第51話 鑑定士 3

 ウレイアはウイットンの屋敷を出ると適当な物陰に身を潜めた。人目を避けて追ってくるエルシーに気付いていたからだ。彼女はウレイアを見失うことなく一目散にこちらに向かってくる。


(ふむ、前にトリィアがエルシーのことを『犬っぽい』なんて言っていたけれど…ふふ、そう言われてみると……)


 エルシーは数歩離れたところで立ち止まると、そこからゆっくりと近づいてきた。そんな彼女を微笑ましく思いながら声を掛ける。


「なんとか、やれているようね?」


「お師さまっ!」


「おしさま?」


「だって…名前を教えてくれないから……でもベオリアって言うんだね?」


「……」


「あっ!もしかして偽名…?」


「くす、聡い子は好きよ」


 ウレイアが微笑むとエルシーの顔が嬉しそうに明るくなって、更にもう一歩、歩み寄ってくる。


「姉さんも元気ですか?」


「姉さん…?ああ、元気よ。ところで、今はどこに住んでいるの?」


「この屋敷だよ?」


「え?でもあなた、私が十分なお金を持たせた筈だけど……」


「お師さまにもらった金は使ってない、ああ、ちょっと使ったかな。でも滅多には使えないよ」


 エルシーは楽しそうに笑った、まるで少年の様な笑顔をするものだ。


「そう、あなたの好きにしなさい。勉強はしているの?」


 そう聞くとエルシーは得意げな表情で言った。


「もう文字は覚えたよ。この屋敷には本も沢山あるから……今は、少しずつ本を読んでいるんだ!」


「まさかあなたっ、それも考えてここに…?そう…頑張りなさい」


「はい、がんばるっ、ます、お師さま」


「そう、もう戻りなさい、じゃあね?」


「あ、お師…」


 エルシーを振り切るように歩きだす、どうやら何の心配も要らないようだ。彼女は思っていた以上に頭が良く素直な性格をしている。少し従順過ぎるところが逆に気にはなるが。ウレイアは顔だけ振り返って笑顔を見せた。






 出かけたついでにお菓子をいくつか購入すると、まもなく工事が終了するエルセーの屋敷を見に寄った。


 外からの見た目は、馬車が動きやすいように庭が整地されて植栽がすっきりと無くなっていたが、建物の外観に変化は無い。やはり工事の中心は内装になるのだろう、建物の中では職人達が工事をしているようだが身内を気取って中に入るつもりは全く無い。リードの姿も見当たらなかったので、ウレイアはそのまま自宅に戻った。


 家に戻ると、ダイニングではリードが椅子に座ってエルセーを待って待機している様子だった。


「お帰りなさいませ、ウレイア様。ダイニングをお借りしております」


「かまわないわ、ご苦労様。2人は?」


「トリィア様のお部屋にいらっしゃいます」


「そう。あなたにもお菓子を買ってきたから召し上がって」


 リードは嬉しそうに笑った。


「これは、お気遣いありがとうございます。では皆様のお茶をご用意いたしますか?」


「そうね…お願いしてもかまわないかしら?」


「もちろんでございます。それから、このようなものがまわってまいりました」


 彼はテーブルに置いておいた紙を1枚差し出した。


「留守番までさせてしまったのね…申し訳ないわね……」


「いえ、どうぞお役に立てて下さい」


「ありがとう」


 リードに礼を言うと、ウレイアはリビングに向かいながら受け取った紙に書かれた内容を確認する。


 明後日、教会のヘンリー枢機卿がこの街の教会で祈りを捧げるから拝謁を希望する者は午後2時に教会に来いというものだった。


(興味無し)


 戻れば当然2人にはすぐに気づかれる。ウレイアを出迎えるためにトリィアがトントンと階段を踏んで下りてきた。


「お姉様、お帰りなさいませっ」


「ええ…何かエルセーと悪巧みでもしていたの?」


「うふふ……、なんてそんなわけ無いです。ちょっと授業を受けていました」


「そうですよ」


 次いでエルセーも2階から降りてきた。なぜか最近、毎日のようにトリィアとエルセーは時間を共に過ごしているようだ。


「お仕事ご苦労様」


「それは何のお知らせですか?お姉様」


 トリィアがテーブルに放られた回報を見つけて興味を示すが


「つまらないものよ。それよりも、あなたの好きなお菓子を買ってきましたよ?」


「本当ですか?ありがとうございまーすっ」


 トリィアは飛びあがってダイニングに向かった。


「これは…教会から来た知らせねえ?偉いさんが来るみたいだけど、でもこんな冬場に?変ねえ……」


 エルセーはいぶかしげに紙をひらひらさせる。


「何か理由があるのでしょう、でも告知の大概は街に貼り出されるものですが……高価な紙の無駄使いですね?」


「まあ、無理に関わらない方が良いと思うわよ?」


 ウレイアはエルセーに同意した。


「そうですね…」


 トリィアはそこへお菓子の全てを大皿にのせて持ってきた。


「お待たせしましたーっ」


「あなたっ、まさかリードの分までのせてきたの?」


「ちゃんと取り分けましたよー」


 そのリードがお茶を運んで来る。


「ご心配、ありがとうございます」


「ふふ、何か楽しいわねぇ」


 上機嫌のエルセーは満足感で満たされていた。人としては平凡であっても自分にとっては得難く、はかなく、いつ誰に奪われるとも知れない不安から戦い続けることを余儀なくされてきた。


 だからエルセーは現在から未来に全力を尽くす。全力で楽しみ、愛し、憎み、戦う。


 そして彼女はもう随分前に後悔と言うものを捨てた。彼女達には過去に囚われている余裕はないのだ。

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