第44話 トリィア 1

「後で散歩にでも行こうかしら…」


 しかし、今は静寂に飢えていたウレイアの元に招かれざる訪問者がやって来る。彼は部屋の前を通り過ぎること無く、ドアの前で足を止めた。


(っ!、はあ……)


 コンコン…


「どうぞ」


 ドアを開けずとも訪問者が誰かはウレイアには分かっていたが、顔を見せたのは執事長のグリムスだ。


「おくつろぎの所失礼致します。旦那様がベオリア様との歓談を希望しておられるのですが、いかがでしょうか?」


 歓談、とは?


「今、ですか?」


「はい」


 ウレイアは仕方なく、上げたくもない重い腰を持ち上げた。


「分かりました、伺います」


「ありがとうございます。では書斎へご案内致します」


 歓談と言っておいて書斎とは、ウレイアにとっては楽しいものではなさそうだ。






「ベオリア様をお連れしました」


 女性を個室に招くなら当然だが、開け放されたドアからグリムスが声をかける。なるほど、書斎とは言ってもこの屋敷で一般的な書斎を想像していたウレイアがうかつであった。広く贅沢な応接室に多くの書籍と装飾品、その中にデスクが置かれちょっとした展示室という趣きである。


「ああ、すまないねグリムス」


 ウレイアの姿を見るとネストールが立ち上がった。


「応じてくれてありがとう。どうぞ、ソファーに」


「歓談、と伺いましたが?」


「お酒とお茶と…どちらがいいかな?」


「ではワインの白を」


 その言葉を聞くとグリムスは部屋を出た。


 ネストールはその姿を見送りながら意を決して話し始める。


「私に取っては喜ばしい事なのだが、今は…不安でね。失礼するよ」


 そして遠慮がちにウレイアの前に座った。


「そう……初めてオリビエに出会った時…まあ、商人の私に取ってはお客様だったのだが、彼女はまるで、私とは違う存在だと思ったものだよ。それは今でも変わることはないが、母の様でもあり、姉や妹、子供の様にも思えたし、なにより女そのものにも思えた。しかも賢人で超上な存在だと感じた次の瞬間には最も人間らしく見える。計りきれない彼女の存在に私はすぐに魅了されてしまった……私は何とか気を引こうと思ったものだが……そんなことは彼女を前に無駄な事だとすぐに気が付いたし、結局は自分らしく接することしか出来なかった……」


 慧眼、ものの本質を見抜く能力を確かにこの男は持っているようだ。それはマリエスタ家の遺産だろうし、ケールが王として選んだ理由なのかもしれない。


 グリムスがワインを持って来ると、邪魔にならぬ様に静かにグラスをテーブルに並べてワインを注ぐ。ウレイアが会釈をすると僅かに微笑んで会釈を返した。


 注ぎ終わると、なるべく存在を感じさせぬよう、部屋の隅に身を潜めた。


「その賢女が機会のある度に自分以上と褒めていたのがミス・ベオリア、君だったのだが…正直、私には信じ難いことだったのだ。育てた親の欲目ではと思っていた、何しろ彼女以上の存在を私は想像できなかったのだから……」


 少しずつエルセーのことを語るうちに、ウレイアにもネストールの本性が見えてくる。


 どうやら、この男がエルセーに求めているのは対等の愛では無い。本人自身気が付いていないが、求めているのはエルセーへの従属。自身より高位な者に対する敬愛の念だ。


「だが妻の言っていたことは嘘では無かったようだね?……大変失礼な言いようだが正直に言わせていただけば彼女とはまた違った、特別な超越性を感じています。それが一体何なのか?私程度では推し量ることも出来ないのだが………実は、妻の話を聞くにつけ君達に会うことが叶った時には、当家に養女として入って欲しいと頼むつもりだった」


「!?」


 とんでもないことを言い始めたが、ネストールの話をウレイアは黙って聞き続けた。


「知っての通り私には子供がいない。妻のせいでは無い、恥をさらすが…どうしても私のモノが役に立たなかったのだ」


 え……?無表情に聞く中で、さすがにウレイアの眉がぴくりと動いた。


「いや、すまない、こんな事を淑女の君に打ち明けるべきでは無いかもしれないが、彼女のせいには…したく無いのでね。とにかく、それならば彼女が育て、彼女が愛する君に是非、当家に入って貰いたいと思っていたのだ」


 ウレイアはネストールの勝手な言い分が少し気に入らなかった。


「ネストール様は私に何をお求めなのですか?家族に名を連ねればよろしいのですか?」


「それで構わない。しかし、オリビエと同じく、君ほどの才女がそれでは満足出来ないだろう?全ては君次第で構わない」


「私次第?お会いしたばかりの私に?」


「確かにおかしな事を言っているかも知れない、でも分かるのだよ……私が君を養女になどとおこがましいことを言っている事さえ……」


 彼はワインを飲み込んだ。


「ミス・ベオリア、私程度で解る事で言えば、君は本当に稀有な存在だ。なんというか、独立した存在として確立しているというのかな?」


「そうですか?」


「どんな立場であっても、人間も動物と同じでコミュニティを作るか、そこに属さなければ生きていくのは難しい。それは君も同じかもしれないが、そこに生まれる精神的な依存が感じられない。口では言えるがこれは物凄く難しいことだ。あらゆる事を中立に観察しているし、達観出来る。賢人の域だ、と言っても言い過ぎでは無いと思う。まあ、たまにそれを気取る者はいるがね…」


 たしかにウレイアは社会の中で生活ごっこを楽しんでいる。しかし善良な彼は欲しいものを奪って生きることを想像できない。


「私が不安に思ったのはそこでね、君が欲するものは非常に少ないだろう?私には王家の遺産と、少しは自慢できるマリエスタ商会と子会社がいくつかある。話に聞いていた才女であるならこの環境に興味を持ってくれるとタカを括っていたのだ。だが君と会ってそれらが交渉材料にはならないかもと思い知らされた。となると…あとは君のオリビエに対する愛情に期待するしかない、のだが……これはまた、あまりフェアとは言いがたい」


 当然だがネストールには彼女達が生きている環境、いや世界が分かるはずもない。目立たぬように生活し、目的の為には暗躍し、おびやかされたら躊躇なく葬る。


 もちろんエルセーのように力を使わずに生きることは出来るだろう。それでもいつか、自分達を無条件に見破り、遥かに凌ぐ力でウレイアや周りの者を根絶やしに出来る者が現れるかもしれない。


 結局は常に仮想の敵を恐れ戦い続けているのだ。安寧は見えないほど遥か遠くにしか無い。


「ネストール様、浅薄な私の考えですが、一家、一社、そして一国の『あるじ』も根本は同じです。しかし領民は…家族や家臣とは違い、『あるじ』がすべき事は従えるのでは無く、道を示す事でしょう、私はそのような者にはなれません。それに、跡を継ぐ者ならば男を養子にされた方がよろしいのではないですか?」


 ウレイアの言葉にネストールは目を見張った。


「やはり……驚くのはそのようなことを語っている君に全くの違和感が無いことだ。そしてそれも君次第で構わない、先程君が言った様に名前を連ねてくれるだけでも私は嬉しいのだ。幸い時間はまだある……考えるだけでもお願いしたい」


 はるかに若いと思われるウレイアにネストールは頭を下げた。その姿を…敬意を示されてはウレイアもむげには出来ない。


「分かりました、考えさせていただきます。でも期待はなさらないで下さい」


 とても歓談とはいかなかった。そもそも今は彼の言葉に応じる気も無かった。

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