第一部・そして一家は『棄民』となった。

 ジョユス・オトゥナーの目の前には、半ばほどにまで減った安物のジンの瓶と、ブリスタス王国空軍の紋章がエンボス加工で浮かび上がる通知書が一枚、置かれてあった。

 その文面は。


『全球恐慌に伴う国家財政の危機的状況に鑑み、貴殿に対し月額3ポルド(7万5千円)王国空軍省福祉厚生本部より支払われたる軍人恩給を、聖歴1608年1月をもって打ち切ることを決定した旨、ここに通知する』


 月3ポルド、王国空軍大尉時代の5分の1、それでも一家4人、長男の月給を入れても何とか食いつないで行けたが、それも来月でおしまいになる。

 最大戦速を出せば、年寄りのロバの嘶きに似た情けない音を立てるひ弱なエンジンと、機関砲弾の一発も喰らえば四散する艦体でできた、粗製乱造な小型飛行艦、通称『小銭艦』に乗り込み、南北大陸間に横たわる広大な赤道洋の上を寝食を惜しんで飛び回り、北から南へ兵士や武器弾薬、南から北へ資源を運ぶ宿敵、帝国の輸送船を追い回し叩き落とし、逆に自分の艦の4倍か5倍はあろうかと言う帝国航空軍の飛行駆逐艦(奴らは丙種飛行戦闘艦と呼んでるらしいが)に散々に追い回され、全身全霊祖国と国王陛下と教皇猊下に尽して来たこの身に対する、これが仕打ちかと思えば、彼は情けなくなり、腹立たしくもなり、そして、途方に暮れた。

 自然と右手が伸びジンの瓶を掴むと、そのまま口を付け一気にあおる。

 不意に太りししの腕が伸びてきて、瓶を引っ掴む。 

 その手の持ち主、妻のアマンデが怒りと憐れみと諦めが絶妙に混ざり合った眼差して夫を見下ろす。


「来月から収入が減るんですよ、飲む量を減らしないさいな、そのジンだって安くは無いんだから」


 何か言い返そうかと思ったが、邪魔くさく代わりにゲップで答える。杜松臭いやつが出た。

 居たたまれなくなったのか、彼女はリビングの窓の外に目をやる。

 そこには、冬の北ガイル地方特有の陰鬱な空と身を切るような冷たい風にそよぐ牧草。そしてそれを背景に悄然しょうぜんと立ち尽くす錆だらけ鋼鉄の塊が写っていた。

 全長35メートルの葉巻型の中央檣楼ちゅうおうしょうろうを挟み込むように配された、左右それぞれ20メートルの半円型の船体とその端に引っ付いたさやえんどうの様な左右弦檣楼さゆげんしょうろうをもつ、真上から見れば楕円形の構造物。

 その正体は浮素ガスと呼ばれる負の質量を持つ気体を左右の船体に満たすことで、350トンもの質量を浮かび上がらせることのできる飛行装置。

 帝国の強大な飛行艦隊に数の論理で対抗するために、僅か4年の間に7千隻から8千隻も建造されたと言う『小銭艦』だ。


「退職金代わりに軍からもらったって言っても、いいとこ厄介物を押し付けられたんでしょ?うちは田舎だから置く場所には困んないけど、邪魔なのは変わんないわ、ねぇ、アレ、屑鉄で売れないの?」


 戦後、ブリスタス王国が加盟する神聖王国連合は『小銭艦』を主力とした航空戦力のドクトリンを全面的に改め、帝国のような本格的な飛行戦闘艦による艦隊を編成する事となった。

 その上軍縮も始まり先ず切り捨てるべしとなったのは、数だけあってボロボロな小銭艦とその乗組員だった。と言う訳だ。

 ボロで小さいとは言え飛行船は飛行船、維持管理も比較的楽な上に、これからの復興景気で小口貨物輸送の需要も増えるだろう、と言うのが軍からの説明だった。が。


「全球中が不況なんだ。屑鉄なんて買い手がつくわけないだろ?おまけに南方大陸で安く鉄鉱石が採れるもんだから、余計に屑鉄の値段が下がってる。売れるどころか処分費を取られるのがオチだ。運送業をするにしても営業免許は?燃料は?抜けちまった浮素ガスの補充は?フネを維持するには金がかかる。勝手には飛ばないんだ。飛べたとしても、この不況だ。運ぶ荷物は何処にあるんだ?」


 テーブルの上から瓶の蓋を見つけると、アマンデは夫から取り上げたジンの瓶にふたを閉め台所の調味料棚にしまい込む。


「兎も角、あなたの仕事が見つからない内は、ディリックの月給だけが頼りなのよ。アルネスは奨学金で大学行けて寮で暮らせてるからいいものの、吞気に酒なんて飲んでる場合じゃ無いのよ。ねぇ、解ってるの?」


 長男のディリックは初等学校を出てすぐに港湾都市リベンプールの飛行船の造船所に就職し、兵役を終えても造船所は快く彼を迎えてくれた。

 次男のアルネスは子供のころから頭が良く勉強ができたので奨学金を受けて王都イエテバラの王立大学で法律を学んでいる。

 二人のできた息子が居なければ、今頃一家はたちまち明日の食事にも困る所だ。

 酒も飲ませてくれない、延々と愚痴と小言と皮肉と当て擦りを聞かされるだけ。家にいてもしょうがないか。

 そうジョユスは思い立つと、空軍時代から着続け、最早自分の皮膚の様になっている革のフラトジャケットを羽織ると「仕事を探し位にってくる」と立ち上がった。

 てなこと言っても、どうせ街に出たって仕事なんか無い。足が棒に成るまで歩き回ても草臥れるだけ、パブであとはなけなしの銭を払いエールを煽るだけだ。

 居間を出て玄関の戸口に立つと、ドアの窓の向こうに二人分の人影が見えた。

 ドアが独りでに開くと、そこには息子のディリックとアルネスが茫然と吊っ立っている。

 ディリックはそばかす面に油汚れを付け、これまた油まみれの作業服姿。

 アルネスは大きな荷物を抱え、眼鏡の向こうの父親譲りの緑色の瞳を持つ目はなぜか伏し目勝ちだ。

「お前ら、どうしたんだ?」そんな問いが父親のジョユスの口から出るのも無理からぬこと、ディリックの工場の終業時間までまだ間があるし、アルネスは年に二度しか下宿先から帰ってこない。

「偶然駅で出会って、そんで、二人で帰って来た」と、ここでも目を合わせず取り繕うように言うディリック。

 いや、不思議なのはお前たちが二人そろっていることじゃない。なんでこんな時間にここに居るんだと言う事だ。 

 そういぶかる父親を前に息子二人は顔を見合わせ。

「兄さん、どっちから話す?」とアルネス。

「俺の方が話が簡単だから、俺から話すよ」とディリックが答えると、今度はしっかり父に向き直り。


「親父、造船所が潰れた。今日で閉鎖だってさ」


 続いてアルネス。


「奨学金の財源が切れたからって、今すぐ返せって言われたよ。おまけに最初はついてなかった利子まで付けてね。無茶苦茶な話なんで学生仲間と話し合って、こっちから出てやったんだ。すまない父さん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る