第3話 ライカとシグルド
扉が作り出す濃い影のなかで、ライカはうずくまる。綺麗に切り揃えられた白髪が、じんわりと汗ばむ額に張り付いていた。
少年の髪色は、毛先にいくにつれ、白の中に水色が混じり、不思議なグラデーションを作る。
レネの美しいハニーブロンドとは似ても似つかない自身の色に、時折酷く不安になる。冷たくされても、頬を打たれても、兄を恋う気持ちは変わらない。
変わらぬ愛情こそが真実の兄弟愛だと言い聞かせて、ライカは兄の仕打ちから目を背けている。
兄の口から真実を告げられると想像するだけで、震えが止まらなくなる。
「追いかけなきゃ……」
胸に巣食う黒い靄を振り払い、ライカは顔をあげた。
玄関の扉は重い。少年がありったけの力を込めて押しても、びくともしなかった。
「何をやっているんだ?」
「追いかけなきゃ。シグルド、明日は兄さんの誕生日なんだよ。何時帰ってくるのか、聞かないと……!」
「ははは、お前にその扉を開けるのは無理だよ」
シグルドの影がライカを覆う。武骨な手がドアノブにかかると信じきっていた少年は、不意に抱き上げられ、言葉を失った。これではまるで子猫扱いだ。
「シグルド、お願い。せめてプレゼントを買いに行かせてよ」
「駄目だ。体調が優れないくせに、我儘を言うんじゃない」
「だって」
ライカは軽く唇を尖らせながら、シグルドの首に腕をまわした。発作の予兆は鳴りを潜めたようだ。シグルドが優しく背を撫でてくれるおかげだろう。
「……あと、何回お祝いできるかわからないもの」
左手首に嵌まる
ライカの身体にリングが嵌まっている限り、彼は発病から逃れられない。形は違えど、街のほとんどの子どもたちが身体の何処かに星を飼っている。
死は確実。時は不確実。兄が読んでいた古い本の掠れた文字を、ぼんやりと思い浮かべながら、少年はシグルドの肩に顔を埋めた。
「馬鹿。子どもはそんな心配しなくていいんだよ」
シグルドはライカを赤子のように抱きかかえながら、居間を目指す。
彼は休日のほとんどを兄弟の塔で過ごしていた。何処を歩けば居間にたどり着けるのか。すでに身体が覚えている。
「お前が、俺の弟だったら良かったのに」
ライカを抱く腕に自然と力がこもる。手入れの行き届いた白髪が、さらりとシグルドの耳をくすぐる。少年の肩が微かに震えている。笑っているのだ。
「ふふ。駄目だよ、僕は兄さんの弟なんだから」
「……はいはい。わかっていますよ」
シグルドは、二、三度、ライカの背を叩き、居間の扉を開けた。
片腕で育ち盛りの少年を支えられるほど、世話好きの機関構成員は己の筋力に自信があるわけではない。
ライカを抱き上げる度に感じるのだ。少年の未成熟な身体は、羽のように軽く、シグルドの胸の内に不安の種を植え付けていく。
塔の兄弟は、一日の大半を自室か作業場で過ごす。そのため、居間にはほとんど私物がない。
兄弟の祖父が集めていた絵画が数点壁にかけられている他は、必要最低限の家具が配置されていた。
黒の皮張りソファにライカを下ろし、シグルドは大袈裟に腕を回す。
「此処で待ってな。何か作ってきてやるよ」
居間に内包されている簡易キッチンは、レネの几帳面な性格のように整然としている。
朝食のレシピを頭の中で描きながら、シグルドは意気揚々と冷蔵庫の扉を開ける。
「……おい、どうなっているんだ」
冷蔵庫の中は、真っ暗だった。見れば、コンセントが抜けている。新品の冷蔵庫をそのまま放置したかのようだ。
無論、中身も空っぽだ。数種類の調味料が肩を寄せあって並んでいる。
(レネのやつ、どんな生活をしているんだ?)
自然と大きなため息が出る。中央商店街までは黒馬車を飛ばせば一時間で往復できる。しかし、ライカを一人残して塔を去るわけにはいかない。
シグルドは懐から端末機を取り出し、電源を入れる。薄いディスプレイに人形の街の全体図が浮かび上がった。
「ね、シグルド」
キッチンの白い柱の陰からライカがひょっこりと顔を出す。穏やかな菫色の睛は、青年の手元に注がれていた。
「連れて行ってくれる?」
まるでシグルドの心を見透かしたように、少年はにこりと笑う。
シグルドの指先は、無意識に黒馬車を呼ぶ番号を押していた。
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