第12話 悪意と共に渦巻く戦禍


 ノギサカから協力の依頼を引き受けた当日の夜。キサラは旅籠の一室で休んでいた。畳が敷かれた簡素的な一般旅籠……。狭い敷布団に堅い枕……野宿よりは良いが、今まで海向こうのスタイルで慣れていたこともあり、落ち着かないことには変わりなかった。

 街の外にテントを設営して野宿も考えたが、同じ宿の隣室にいるトウゾウたちに気を遣わせてしまう。そして何より、キサラは女性であるが故に、夜這いのリスクがあるため、雑魚寝の宿など論外であり、少し高くとも出入り口が少ない方が適していた。

 そのあたりは宿を手配したヒコイチが気を遣ってくれたようである。



 それもそのはずであり、郷に入っては郷に従え、というように、キサラが着物を着て出歩けば、誰もがその整った顔立ちに目を奪われるため、今回に限って言えば、警戒し過ぎるということはない。

 だが、そんなキサラの警戒を嘲笑うかのように、部屋の外から唐突にキサラの名前を呼ぶ声がした。


 「キサラ殿……夜分遅くに申し訳ございません。火急の用があり、こちらに馳せ参じました」


 女性の声であったが、キサラにはこの地で名前を親しく呼ぶような人物に心当たりはない。だからこそ、旅の途中で手に入れた小太刀を手に、ゆっくりと引き戸に手をかけ、外の様子を伺った。

 すると、扉の前には村娘であろう庶民的な服をした女性が立っていた。女性はキサラに向けて一礼をするなど、敵ではないように見え、殺意などは感じ取れなかった。


 「あなたは……」

 「あぁ……申し訳ありません。わたくしです……アヤメです」


 そう言いながら、女性は顔を両手で多い、軽く揉むような動作をする。すると、先ほどとは全く違い、キサラの見知った女性の顔に変化していた。

 黒橡色の少しだけ荒れた長い髪に、藤黄色の丸く優し気な瞳と、それらを支える細く整った顔立ちが印象的な女性……間違いなく、キサラの知っている密偵のアヤメであった。


 「とりあえず、中へ」


 キサラはアヤメの手を引きながら部屋の中へと招き入れ、扉を閉めて外界から遮断する。アヤメは驚くこともなく、キサラの誘導の通りに部屋の中へと入り、畳の上に正座して、キサラからの返答を待ち始めた。


 「何故あなたがここに? それよりもどうやって……」

 「アリッサ殿が交渉していただいた結果、わたくしのみがこちらに馳せ参じることができ、命を受けてこちらに参った所存です」

 「あなたはリンデルにいたはずでしょう? それをどうやって……」

 「はい、転移結晶なるものを使わせていただき、目を開けたときには“東野宮”にいました」

 「な————————ッ! いや、今更、アリッサの行動で驚いていてもいけませんね」


 キサラは深いため息を吐きながらも、アリッサが元気に過ごしているという事実に安堵していた。


 「アリッサは今どこに?」

 「それについて、言伝を預かっています。『今、東野宮にいます。クリフに乗せてアヤメさんを送ったので、準備できたら来てください』だそうです」

 「なにから何まで規格外ですね。どうしてわたしがこちらにいることを……」

 「『飛ばした方角と距離から、そろそろこの辺りに着くころだから』と言っていました。出会えなければそれでいいとも言っておりました」

 「何をどう計算すれば……。まぁいいです……他にはありますか?」


 キサラが頭を抱えながらも更なる情報を求めてアヤメに話しかけるが、アヤメはそれ以上の言伝を預かってないらしく、首を横に振って否定した。


 「そうですか……出発は明日ですか?」

 「いえ……わたくしはこの地で別の所用を承っております。あの奇天烈な怪異には、キサラ殿のみで乗馬ください。すなわち、出立もキサラ殿がお好きな時期で問題ありません」

 「わかりました……わざわざ、こちらに出向いていただきありがとうございました」

 「いえいえ……お世話になった身の上ですので」


 そう言いながらアヤメは深々と頭を下げ、ゆっくりと立ち上がる。彼女が背中を見せた顔を手で覆い隠すと、先ほどと同じように全く別の顔になり、アヤメとは判断がつかなくなった。

 そのままアヤメは何もせずに部屋を後にして、部屋にはキサラのみが残される。だが、これと言ってやることがないため、キサラは息苦しさを感じつつも、部屋の灯りを消して、早くも就寝をするのであった。



 ◆◆◆



 「なんで! なんでこうなっているんですか!!」


 静かな畳張りの広い部屋にハナコの悲痛な叫びがこだまする。そんなハナコを宥めるようにユリが駆け寄り、落ち着かせるように背中をさすった。


 「まぁまぁ落ち着きなって……」

 「落ち着いていられますか! 誰が漏らしたのですか! まさかあの姫巫女が!」

 「やめなってば……タイミング的にアリッサじゃ無理だってば……。どう考えても、事前に漏れていて、計画されてたようにしか思えない」


 ハナコがアリッサのことを睨みつけるが、アリッサとて何か情報を漏らしたような覚えはないため、困惑するばかりである。

 こうなった原因は、数刻前、こちらに届いた密書の内容にあった。そこには、ユリが各地の藩主たちに送った魔道具により被害が出た。そしてそれは、ユリ自身が支配を盤石にするために画策したことである。また、それに怒りを示した藩主たちがこちらに謀反を起こした、というものであった。


 「部外者の立場で言うのもなんだけどさ……。どうするつもりなの? 打ち滅ぼすの?」

 「争いは……もう御免かな……それに、これを使えば色々ヤバいことになるんでしょ?」


 ユリは自分の生み出した魔道具を握り締めながら奥歯を噛みしめる。たしかにユリ自身に影響はないが、それを他のものが使えばあまり良い結果にはならないことが確かであった。


 「そりゃあ、事実だけどさ……」

 「主ぃ……僕は、残念ながら、どっちの味方にもつかないよ」

 「どうして?」

 「これは、民と民の争い……そこに、神である僕は立ち入るべきじゃない」

 「そっか……」

 「そう……ですね。神樹姫と姫巫女に関しましては、こちらで退路を確保致します」


 ハナコは何かを考え込むように、眉間にしわを寄せる。それは、ユリがこの東野宮に駐在させている兵士があまりにも少ないが故の苦慮であった。

 今回の謀反はまさに電撃的であり、ユリたちに準備を整えさせる暇も与えなかった。あと数刻の時を経ると、街全土が主戦場になり、敗戦が濃厚になる。


 城にある魔道具兵器をいくつか稼働させれば、それらも解消されるであろうが、今のユリがそれを許可するとは思えない。その上で、相手は同じような魔道具を考えなしに使用するとなれば、こちらが圧倒的に不利であることは確かだった。


 「できる手段はまぁ……逃げることぐらいかな。転移結晶も使えるだろうし、他国へはいくらでも行ける」

 「そうですね、ユリはいますぐ———————」

 「できないよ————————。この街の人を見捨てて、逃げることはできない」

 「なら、どうすれば!」


 議論が空転し、これ以上の埒が明かないと誰もが思い始めたその時だった。木製の廊下を誰かが走り抜け、合図など無視して部屋に兵士が押し入った。


 「報告します! 東門と西門の両方に敵軍を目視! その数、5万!」

 「どちらの戦力が偏っているのですか、正確に答えなさい」

 「申し訳ありません! 東西どちらも5万規模の軍勢とのことです!」

 「————————なっ……」


 アリッサはヤマト国の戦については良く知らない。だが、ハナコが頭を抱えた時点で、何となくだが、その絶望的状況が見て取れた。だからと言って、今回で言えば、ここはアリッサの故郷でも親友が住んでいる場所でもない。

 そのため、無用に足を突っ込む必要はどこにもなかった。


 「お取込み中ごめんね。ここが主戦場になるのなら、私たちはここで失礼するから」

 「わかっています。姫巫女、神樹姫。わたくしたちに知恵を授けてくださり、ありがとうございました」

 「ごめんね。最後まで一緒にいられなくて……」


 そう言いながらアリッサは空転する作戦会議を無視して、ウララの手を引きながら部屋を後にする。そうして、天守閣に近い、高層階の屋根の上に柵を飛び越えて乗り上げ、状況を確認するように城下を一瞥した。

 確かに、兵士の言う通り、街の外周部に何やら複数の旗を持つ影が見えており、双眼鏡で見てみれば、それが敵軍であることはすぐに見て取れた。


 「主……さっきも言ったけど、僕は手出しができない」

 「それは、神樹様の規定?」

 「それは……うん、たぶんそうだと思う。本体から、『介入するな』とさっきからうるさくて……」

 「我慢できそう?」

 「無理そう……吐きそうなぐらい気持ち悪い」

 「なら、仕方ない……」


 アリッサはウララの体調を気遣いながら肩を寄せる。そして、軽く口笛を吹いて自らが従えている幻獣のヒポグリフを呼び寄せた。ヒポグリフは空中を旋回しながらすぐさまこちらに駆け寄り、屋根瓦の上に着地し、撫でてほしそうにアリッサに顔を向けて来る。

 それに答えるようにアリッサはヒポグリフを撫でて落ち着かせ、その後、先ほどからかなりぐったりしているウララを鞍に乗せた。


 だが、アリッサはその鞍には跨らなった————————



 「ウララ……とりあえず、アレはわたしが何とかする」

 「何とかするって言ったって、主は————————」

 「かなり弱体化してるってことぐらいわかってるよ。でも、神様の眷属なら、女の子一人ぐらい救っても罰ぐらい当たらないでしょ?」

 「ははは……神様にそんな権限はないよ、主……」

 「そりゃ助かる。じゃ、後で必ず追いかける。それまでヨロシク!」


 そう言いながらアリッサは苦笑いを浮かべ、そしてウララに手綱を握らせてヒポグリフを発進させた。結果的にアリッサは瓦屋根の上に取り残されることになり、落城までの一刻を過ごすことになる。


 「我ながら、少しお人好しすぎるかなぁ……」


 アリッサは空に消えていくウララを見送りながら自虐気味に小さな声を漏らす。

 アリッサはそれなりに状況を理解して判断するタイプの現実主義者であるのだが、たまに今回のように状況に則さないことを起こすこともある。アリッサが今回そうなったのは、アリッサ自身がユリとハナコに味方すると決めた裏返しでもあるのだが、そこには明確なルールが存在した。


 ユリとハナコは悪意を持っていない————————


 二人は、民の生活をよくするために魔道具を開発していた。はじめは試作品であり、そしてやがては少量ながらの流通をさせた。そこに悪意はなく、そして、その結果としてアリッサの周囲が傷ついているわけではない。だからこそ、アリッサが味方をしない理由はなかったのである。


 加えて、アリッサ自身、今回の謀反には一部、引っかかるものがあった。


 それは、対応があまりにもできすぎているからである。まるで、それは仕組まれたようであり、どこか意図的なものを感じ取ってしまった。その謎はまだ解けていないが、ユリが追い込まれた理由に関係していることは推察できた。



 アリッサは一度、踵を返し、柵を機敏な動作で乗り越え、もう一度室内に入る。そして、自分の頬を叩き、気合を入れ直すと、城下へ向けて一気に階段を駆け下りていった。

 武具は、天皇家からもらった姫巫女専用のもの……。

 “エツェル”や“ホライズン”を使いたいところだが、弱体化した今のレベルに合わな過ぎて、まともに扱えない。だからこそ、今の装備で何とかしなければならなかった。


 だが、アリッサはその事実を理解していながら、その表情は、まるでキサラと初めて会った頃でニードルベアーと出くわしたときにようであり、どこか清々しく、そしてしっかりと前を見据えていた。


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