第2話 深緑の裁き


 「いやっほぉぉぉぉおおおおお!!」


 一面に広がっているのはひたすらに青い景色と澄み渡るような冷たい空気。下を見れば広大な緑の地面が広がっている。前を見れば、荒野が見え、それが徐々に近づいてきていることが分かる。


 「変な声出さないでください。それと、運転が荒いです」

 「仕方ないじゃん。この子の性格なんだし……ねー、『クリフ』」


 アリッサが騎乗している幻獣の背中を撫でると、クリフと呼ばれたその頭が鷹であり下半身が馬の翼をもつその幻獣は少しだけ怯えながら鳴いてみせた。しかしながら、空を飛ぶこと自体は嫌いではないらしく、随分と楽しそうに飛んでいるようにも見える。


 アリッサとキサラは件のモンスターの巣窟で本当にヒッポグリフを叩きのめして調教し、それに二人で騎乗して空の旅に出た。アリッサの予測では7日から10日でヤマト国にたどり着く試算らしく、二人はコンパスを片手に真っ直ぐ目的地を目指していた。


 クリフと呼ばれた幻獣は長距離飛行でも疲れることを知らないのか、二人で乗っているのにも関わらず、飛び続けている。ただ、それでも乗っている当人たちの方が疲れてくるため、時折、地上に降りて休憩をしながら旅程をこなしていた。


 「それにしてもこの子……本当に気性が荒くないですね」

 「最初に肉体言語で話し合おうとしたのが申し訳ないぐらいだよ」

 「まぁ、その分、飛来してくる襲撃者はこちらが迎撃しなければならないのですが……」


 キサラは気苦労するかのようにため息を吐くが、ヒッポクリフは楽しそうに泣くだけであり、何もしていないアリッサは小首をかしげてしまう始末であった。


 「この子のエサが勝手によってくる。超いいこと尽くしじゃん」

 「一応聞きますが、旅を終えたらこの子はどうするつもりなのですか? かなりの食いしん坊のような気がしますが」

 「うーん……とりあえず、育児放棄はできないし、飼うしかないんじゃないかなー」

 「まぁ、そうなりますよね……」


 そんな風に呑気な会話をしている二人であったが、目的地に近づくにつれ、徐々に疲れが出始めていた。それでも、順調に旅程をこなし、あと数時間進めばアリッサの知識でいう『日本海』を越え、ヤマト国に入ろうという距離までやってくる。

 厳密にいえば、ここは異世界であるため、今現在横断しているのは『日本海』ではないが、この世界での正式名称をアリッサは知らないため、そう呼称していた。


 アリッサの知りうる限りの情報で言えば、現在のヤマト国は、アリッサの知識で言う『日本』と酷似している地形に位置しているらしい。例の如く、山の地形や海岸線などは若干の違いこそあるものの、緯度経度は一致しているので、そこに間違いはない。


 ただし、キサラの話を聞く限り、現状の文明レベルで言うのならば、発展していても明治時代や大正時代であるとアリッサは予測していた。それは、この世界では、アリッサの知識で言う江戸時代が存在していないからである。

 戦乱の世が終わり、安定した貿易が開かれたのがごく最近だとするのならば、ここまで遅れいてもおかしくはない。ただし、これらはあくまでもアリッサの予測であり、ここが異世界であるが故に、それらの知識がどこまであてになるのかなど未知数であった。

だからこそアリッサは、そこから生じる不安を少しでも解消するために、自分の背中につかまっているキサラに声をかけていた。


 「そういえば、キサラさん。ヤマト国に着いたらどこに向かうの?」

 「あぁ、そのあたりはまだ話していませんでしたね」

 「うん。とても言いにくいんだけど、キサラさんの……」

 「気を遣わなくとも大丈夫です。事実ですから」


 キサラの両親は既に死んでいる。そう考えるのが妥当であるとアリッサは考えていた。それは、キサラの母親が命を賭してキサラを転移させたことから明らかであるし、キサラのヤマト国での最後の記憶が燃える城の中であることから否定しようがない。


 「アリッサの指摘通り、わたしに帰る国はありません。一家は既に滅ぼされて亡くなっていますから」

 「だからこそ、行き先がわからなかったんだよね」

 「それは確かに悩みますね」


 キサラは柄にもなく笑って見せたが、アリッサはヒッポグリフを操縦しているため、こちらの顔を見ることはなかった。


 「今回の旅の目的は単なるお墓参りです。わたしの家が滅ぼされた後、国がどうなったのかを確かめるだけに過ぎません」

 「あれ? でも前は、国の現状を評価するようなことを言ってなかったっけ?」

 「それはついでです。天皇陛下のご尊顔など、この身で排することなど叶いませんからね。あくまでも、安定している国を観光するだけです」

 「もう、内戦は起こってないんだっけ?」

 「商人に聞いた話ですから、どこまで信用できるかはわからないですが……天下統一を果たした御仁がいたようです」

 「そりゃスゴイ」


 後ろを振り向いてこそいないが、アリッサはキサラの声が少し寂し気に震えていることを感じ取っていた。それでも、それ以上の詮索は不要なため特に問い詰めることはしなかった。


 「じゃあ、もしかして、その人物にも会うつもり?」

 「天下統一をした将軍様に会えるとでも?」

 「ははは! そりゃ無理だ」

 「わかっているのならば、聞かないでください」


 アリッサたちは、確かにエルドラ地方……つまりはリリアルガルド国やブリューナス王国ではそれなりに名前が広まったギルドになった。しかしそれは、彼女たちも自覚している通り、小さな枠組みの中でのこと……

 遠く離れたヤマト国では、そんな知名度など在りはしない。だからこそ、王族クラスの身分の高い人物とコミュニケーションをとる機会など普通は巡り合わない。


 「じゃあ、服装を豪華にして目立てばいい感じ?」

 「悪目立ちするだけです。ただでさえ、アリッサは……」

 「うーん、この瞳の色以外は案外馴染むと思うよ」

 「綺麗な茶髪をしているのに、目立たないわけがないでしょう」

 「褒めてるの?」

 「褒めているに決まっているでしょう。わざわざ言わせないでください」


 キサラはアリッサの背中を軽く叩き、恥ずかしがりながらも抗議する。アリッサはそれを笑いつつ、会話を続けた。


 「じゃあ、目立たない服を買わなきゃだけど、お金はどうする?」

 「共通エルド硬貨は使えませんからね。最初は持参した調度品を売って換金するしかありません」

 「芸術は万国共通?」

 「どうでしょうか……一昔前は、ヤマト国の絵画が流行ったようですが……」

 「あー、浮世絵のことか……って、忘れてたけど言語!!」


 アリッサはここでようやく、自分の失態を恥じることになる。

 それは、言語の違いの壁が立ちふさがるという歴然とした事実である。アリッサたちが使っている『共通エルドラ語』は、アリッサの前世の知識でいる『英語』に近いが、厳密には『英語』ではない。発音やスラングに似たモノが多数存在する。それらを使えるのは、アリッサに、前世の記憶だけではなく、アリッサとしての記憶もあるからである。


 「それならば、わたしがいるので問題ないのでは?」

 「はぐれたらどうするのさ。とりあえず、今からでも間に合うかな……」

 「何を無茶な……。だいたい、アリッサは時折、『ヤマト語』を話しているじゃないですか」

 「————————え?」

 「『だから、こういうことです。わかりますか?』」


 キサラが唐突に『日本語』を話し始めたため、アリッサは思わず手綱を手放してしまいそうになる。

 キサラが話した言葉はたしかに『日本語』だった……。それは、今まで確かめてこなかったが故に情報の齟齬……。キサラの言う『ヤマト語』とはそれすなわち『日本語』だった。


 「『わかるけど……通じるの?』」

 「『まぁ、訛りが少しありますが聞き取れないほどではありません』」


 まさかの、『訛り』で済んでいた————————

 その事実がアリッサの頭を一度リセットする。そして、再起動の結果、引き起こされた行動は風を切る音に負けないぐらいの大笑いだった。

 アリッサは心配が杞憂に終わったことに安堵して思わず笑いが堪えられなかったのである。


 「訛りってどの程度のもの?」

 「まだ聞き取れる部類のものですね。会話には問題ないかと」

 「そっか……なら、問題ない。よっし! 俄然やる気が出て来たぞ!」

 「あまり張り切りすぎないでくださいね。それに、あまり単独行動は避けてください。可能であれば常にわたしと一緒に行動してください」

 「えー、それは流石に束縛しすぎじゃなーい」

 「あなたがあまりにも非常識な行動ばかりとるからでしょう。少しは自覚を————————」


 キサラが何かを話しているところで、アリッサは激しい耳鳴りを覚えた。加えて、唐突に心臓の鼓動が高鳴り、そして同時に背中に嫌な汗が伝い始める。


 それは、アリッサの転生者としての能力……『虫の知らせ』と呼ばれたそれは、未来予知にも等しく、自らの危機に対しての警鐘を鳴らしてくれるものだった。

 これを感じ取ったからこそ、アリッサは咄嗟にヒッポグリフの手綱を勢いよく引き、空中で強引に旋回させる。



 直後————————



 アリッサたちの進行方向目前で、眩い緑色の閃光が爆ぜた。それは大地から天へ向かって解き放たれた高出力の熱源であり、対空レーザーにも似たものであった。だが、その規模があまりにも大きく、直撃すればアリッサやキサラのみならずヒッポグリフも簡単に飲み込んでしまうほどのエネルギーを持っていた。

 だからこそ、そのエネルギーに押しのけられた空気の熱風はアリッサが遅れて展開させた障壁魔術と衝突し、そして二人をヒッポグリフから跳ね飛ばした。ヒッポグリフも突風にあおられ、空中で制御を失い、遠くに弾き飛ばされている。

 加えて、アリッサとキサラは互いに近くにいるものの、上空からの落下を唐突に停止させている余裕などなかった。

 それは眼下にある巨大な新緑樹から先ほどと同じように緑色の閃光が瞬いたからである。


 二発目の緑光の柱————————


 下から上に打ち上げられるように放たれたそれは、空中で体勢を立て直しきれていないアリッサたちを襲うことになる。ここでキサラやアリッサがもう一度、攻撃を防ぐことを試みても明らかに無傷とはいかない。


 急停止して一発目は直撃しなかったからこそ難を逃れた。だが、今度は回避する時間がない。つまり、真正面から攻撃を受けなければならない。


 その上で、この上空から地上へと不時着をしなければならないとくれば、二人が絶体絶命であることは明白である。キサラはそれを自覚しているからこそ、どうにかして攻撃を防ぐために、自身にできる最大限の防護魔術を展開し始める。


 しかしアリッサは、そうではなかった————————



 命中してしまうことを確信し、次の一手に出る。


 「ごめん……キサラさん————————」


 アリッサは落下しながらキサラの展開した障壁を勢いよく蹴り飛ばした。刹那、水面のようなエフェクトが生じるとともに、キサラの体は障壁と共に大きく跳ね飛ばされた。

 キサラの体はその加速Gだけで意識が飛びそうになるほど一瞬のうちに見えなくなってしまう。だが、そんな衝撃を受けてなお、キサラの展開した障壁は砕かれていなかった。

 それは、アリッサがベクトル操作の魔術を、キサラの展開した障壁に付与したからである。結果、キサラはその障壁に押し出されるように弾かれたのである。その上で、アリッサはキサラが怪我をしないようにある程度に威力を抑えていた。その代わり、長くそして遠くにキサラを運べるように、魔力消費を無視して持続的に押し続けるように調整する。

 あわよくば、この緑光のレーザーの射程から外すために……


 だが、そのせいで、アリッサは自分の対処が遅れてしまう。


 気が付いたときには、アリッサの体は緑色の閃光に飲み込まれ、そして肌が焼き焦がされるような痛みと共に、意識が真っ白に染まっていった。僅か一瞬で、音も、光も、そして命すらも奪っていったその光は、アリッサを焼き焦がすと同時に、収束する。

 残されたのはかき消された雲の合間から顔を覗かせる太陽と、地面に広がる深緑の大地……そして、先ほどまで過剰な光を伴っていた、山に匹敵するぐらい大きな広葉樹だけだった。

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