第4部 ヤマト国払暁編

第1章 あなたの手を握ってしまったら

第1話 時は金なり


 「——————で、何か言うことはないの?」


 リリアルガルド国の首都ベネルクの街中の一角。表通りに面した小さな家の中の大広間にて、女性は怒りのあまり端を発した。

 つけられた照明の魔道具により、視界に映る女性……つまりアリッサはつい先日、この大陸の一部で名を馳せた冒険者に与えられる最高ランクの称号“オリハルコン”を賜ったばかりの超大型新人である。

 ただ、その経歴に似合わず、アリッサの年齢はあまりにも若い。


 何事にも動じないような薄桃色のぱっちりとした瞳。そして、茶色で癖の少ないセミロングの髪の毛は何も飾り付けがないまま肩の少し下まで伸びている。肌色は多少の日焼けがあるぐらいで血色がよく、顔の輪郭は以前よりも凛々しく見える。

 アリッサの身長は170センチメートル前後、体には実家の稼業や冒険者業のせいもあり、しなやかな筋肉がついている。胸囲に関してはあまり豊かではないものの、顔立ちは整っている部類にはいるだろう。


 そんなアリッサが問い詰めているのは、同じぐらいの年齢の女性……キサラだった。

 キサラは少しだけ黄色を帯びた肌色を持ち、鴉の翼のよう艶やかな濡羽色に輝く胸元まで伸びた髪、そしてその髪の一部をモダン色のリボンで結んでいる。彼女の横顔は細く整っており、少しだけ釣り目な目元でさえ、柔らかな唇と合わされば、誰しもが自然にも目が吸い寄せられてしまうほど綺麗であった。


 キサラはアリッサの会話を右から左に流しつつ、静かに、そして効率よく荷物をまとめ始めている。


 「どうもこうもありません。冒険者組合として、最高の評価を頂いたということは、準備が整ったということですから」

 「何がどう整ったのかわからないんだけど……」

 「わたしは元より帰郷するつもりでした。ですがそれは、自身の実力を磨いてからと決めていました。その基準としていたのが、冒険者組合での“オリハルコン”の到達です」

 「たしかにそれは達成したけどさー。だから、学院すら辞めて帰るっていうのは流石に性急すぎるんじゃない?」

 「アリッサが何を勘違いしているかは知りませんが……わたしは別に中退するつもりはありません」

 「————————え?」


 アリッサから府の抜けた声が出る。それは、キサラが、全てを投げ捨てて戻ってこないと思い込んでいたが故の困惑だった。


 「冬の長期休暇を利用して、帰国するだけです。だから、ここにもきちんと戻ってきます。それなのに、どうしてアリッサも、フローラも心配しているのですか?」

 「それは……その……前例があるから」

 「心外ですね……。フローラにも先ほど説明しましたが、その前には『ごめんなさい』と泣きつかれた始末です。そんなに信用がないですか?」

 「うん……まぁ、前例がねぇ……。というか、まさかフローラはキサラさんについていくつもりだったの??」

 「そのようでしたが、両親と本気の喧嘩になって叱られたそうです」

 「まぁ……前例がねぇ……」

 「さっきから、そればかりですね」


 フローラが両親に全力で止められた理由は考えずともわかる。なんせ、数か月の間、行方不明であり、電報や報告では『死亡した』と告げられていたほども大事をしでかしたからである。結果的に帰還は果たしたものの、親が心配して、大遠征を止めるのは無理ないだろう。

 

 直線距離にして9000キロメートル越えの大遠征————————


 そんなものを一度危うい身の上になった娘に許可する方が、親子関係が良好な場合ありえない。


 「二人とも信用できないからという自覚はないのだろうか……」

 「ならば、自分の目で確かめればいいじゃないですか」

 「————————はい?」


 キサラの荷物をまとめる手が止まる。

 アリッサが不思議そうにキサラの横顔をのぞき込もうとすると、キサラは顔を逸らしてこちらに素顔を見せようとはしてくれない。ただ、彼女の耳が僅かながらに赤くなっているのを見て、アリッサはつい頬を緩めてしまった。


 「あー、もしかしてー……ついてきて欲しかった……とか?」

 「いえ、そんなことは……」

 「随分と歯切れが悪いなぁ……いつものキサラさんらしくもない」


 笑うようなアリッサの仕草に反応したのか、キサラは地団駄を踏むように立ち上がり、そして赤くなった顔のままこちらを睨んで来た。


 「あぁそうですよ! アリッサにはついてきて欲しかったです! 悪いですか!」

 「悪くないけどさー。いやーでも、良いものが見れたなぁって」

 「心外です。そういうことをすると嫌われますよ」

 「キサラさん以外にはしないって……。あぁ、それと、答えはもちろん『OK』だよ」


 アリッサは口笛を鳴らしながら拳を握り締めて震えているキサラの周囲を歩き出す。キサラはそんな能天気なアリッサに対して疑義を覚え、そして眉を細めた。


 「良いのですか? もしかしたら戻れないかもしれないのですよ?」

 「うん? 戻ってくるつもりだったんでしょ。話が違くない?」

 「そうではなく、リスクの話を——————」

 「じゃあさ……キサラさんは、私が今回の帝国との争いに首を突っ込むって言ったとき、リスクの話をした?」

 「それは……その……」

 「私は、『私がそう望んだ』から、キサラさんについていくことを決めた。キサラさんだってそうだったでしょう?」

 「本当に……良いのですか?」

 「くどいなぁ。いいって言ってるじゃん……。それよりついていくから、もう少し詳しい旅程を聞かせてくれないかな……さすがに、わからん」


 ふざけた態度を取り続けるアリッサに絆されるように、キサラは握り締めていた手をいつの間にか緩めていた。そんなキサラを見て、アリッサはテーブルの淵に腰かけながら静かに微笑んでしまう。


 「えっと……出発は明日で、港町まで北上してそこから貿易船に同行させてもらうかと……」

 「明日ぁ!?」

 「はい、何かおかしかったでしょうか……」

 「いやいや、時間がかかるのはわかるけどさ。学院の期末テストは……もう終わってるか……。いやいや、それでも明日は流石におかしいでしょ。もうすぐ日付を越えそうでもう、今日なんですがそれは」

 「船旅は時間がかかるのです。向こうで一週間と考えたら、それぐらいしなければ間に合いません」


 アリッサはキサラの正論に対して、眉をひそめてしまう。だが同時に、考え込むように腕を組みながら少しだけ俯き、旅程の試算を頭の中でいつの間にかやっていた。


 アリッサの前世の知識でのこの時代の船舶でならば、世界地図を見る限り、三週間は最低でもかかる。ただこれは最短でついた場合なので、実際は一ヵ月以上かかることは確かであった。

 長期休暇はおおよそ三か月。往復を考えると、キサラが明日にでも出立したい理由はすぐにでもわかる。ただし、それは常識の範囲内での話である。


 「ちょっとキサラさんの考えに横やりを入れてもいい?」

 「なんですか……。時間が見えないほど馬鹿ではないでしょう?」

 「言い方さぁ……まぁ、今は置いておいて……。キサラさんの試算は船舶での話でしょ。だったらもう少しスマートに移動する方法はある」

 「そんな方法があるのならば教えてもらいたいですね。残念ながら、冒険者としての特権を使用しても、“転移結晶トランスポート”は申請に時間がかかりすぎます」

 「科学を舐めないで頂こうか!」


 アリッサが勢いよく鼻を鳴らしてキサラの邪推を一蹴する。

 キサラが話した“転移水晶トランスポート”とは、大陸の一部国家が所有している大きな魔石を用いて国家間の移動を一瞬のうちに行うものである。これがあれば、地球の裏側だろうと一瞬でたどり着けるのだが、これは全ての国が所持しているわけではなく、消費する魔力も膨大であるため、まず許可が下りにくい。加えて、国が厳重に管理する程のものであり、所持している国家は数える程しかない。

 アリッサたちが今いるエルドラ地方ですら、エルドライヒ合衆国とフィオレンツァ共和国の2国しかない。その上で転移には相手国の了承も必要となる。だからこそ、例えコネクションを持っていようとも使える可能性は低い。

 だからこそ、それを使用することを否定され、キサラは首をかしげることになる。


 「ならば、どうやって移動するというのですか?」

 「そりゃぁもちろん、お空を行くに決まってるじゃん」


 アリッサが笑いながら天井を指さすと、キサラは呆れたようにため息を吐いてしまう。それもそのはずであり、アリッサも周知しているのだが、この世界ではどうにも『航空機』の発展が遅れている。それは、戦闘機としての発展が遅れているというわけではなく、旅便としての発展が、と限定した話である。


 「それは無理ですよ、アリッサ。わかっての通り、上空なんてモンスターの巣窟です。死にたいのですか?」

 「まぁ、確かにそれはそう。でも、不可能ではないと思うけど?」

 「無茶です。アリッサの魔力がいかに潤沢であろうとも、飛んでいくだけの量はありません」

 「そりゃそうでしょ。魔術師の単独飛行なんて、戦闘機を使用しても精々500がいいところ。持つわけがない」

 「じゃあ、なんだというのですか……」


 アリッサは得意げに鼻を鳴らしながら人差し指を軽く振るう。


 「ちっちっちっ……逆転の発想だよ、キサラさん」

 「ロクな考えではないことはわかりましたが、話だけは聞きましょうか」

 「上空がモンスターの巣窟なら、逆にそのモンスターを利用して飛べばいいじゃん」


 キサラがアリッサの言葉を聞いて大きなため息を吐く。

 それもそのはずであり、アリッサの話が突飛すぎたからである。

 たしかに、人類がモンスターを用いて空を飛んだ前例がないわけではない。時代を紐解くと、幻生生物と呼ばれるような“グリフォン”や“ドラゴン”と友情を育み、そして空を飛んだこともある。ただこれは、例外中の例外であり、一般的にこういう存在は人間を毛嫌いするためまず懐かない。つまり、コントロールすることがおこがましいのである。


 「本の読みすぎですね。だいたい、どこからその生物を連れて来るというのですか……。いいですか? モンスターは理性がないのですよ? 幻生生物なんてこちらを見るなり襲い掛かってくる始末。それに絶対数が少なすぎる。どこをどうとってもおかしなことしかないです」

 「そんなことはないよ。いるよー、だってこの目で確認したし」

 「どこでそんなものを見たというのですか……」

 「そんなの決まってるじゃん。“星の大空洞アビスホール”だよ」


 ここで再びキサラが大きなため息を吐いた。


 「以前その名前を聞いたとき、あなたがなんだか陽気な態度をとったことがありましたが、そういうことですか……」

 「お、存在を否定はしないんだね」

 「否定はしていないだけです」

 「まぁ、私も最初は『こんな空がないところでどうして』って、思ったけどさ……大空洞だけあって、真ん中にすっごい大穴があるからそこを飛んでるんですわこれが……」

 「一体何が飛んでたというのですか……」

 「グリフォン……と言いたいところだけど、下半身が馬だったし、アレはヒッポグリフだと思うよ」


 キサラは能天気なアリッサを見て、さらに深いため息を吐く。しかしこれは落胆というよりはむしろあまりの滑稽さに笑っているようにも見えた。


 「それでアリッサ……どうやって手懐けるつもりですか? 絶対というほど、失敗しますよ」

 「そりゃもちろん……拳で————————」


 アリッサが笑いながら自身の両手の拳を突き合わせる。そのあまりの力技に対して、キサラは呆れを通り越してお腹を抱えて笑い出してしまう。それはもう、深夜ということも考えずにひたすらに笑い転げていた。

 しかし、そんなキサラにはたった一つだけ、悠然とした事実があった。それはあれだけ質問を繰り返して疑義を強めていたにもかかわらず存在したたった一つの事実……


 キサラは『アリッサの考え』を却下はしなかった———————


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る