第21話 わたしはあなたを救わない



 受け止めたショートソードが焼き付くような火花が爆ぜる————————



 キサラは帝城内を走り回りながら、留まることを知らない追撃から逃げ続けていた。それを追いかけているのは、キサラを自身の師匠の仇だと勘違いしているリージェ・ガリツィアだった。

 キサラが結界の改変を終え、作戦通りに城から離脱しようとしたその時、再びリージェがキサラの前に現れ、暴れ狂い、今に至る。

 キサラにとってしてみれば、これから行われる大規模な戦闘に巻き込まれないために、この結界内から脱出を図りたいところであるのだが、その魔術式を構築する余裕すらリージェは与えず、猛攻を繰り返していた。

 それ故に、キサラは退路を確保しながら、帝城から飛び降りるように城外へと出るほかなくなっていた。


 結界が完成して、魔術の使用を解禁されたキサラにとってしてみれば、リージェを倒すことは容易い。しかし、キサラには亡きガリツィア伯爵との約束もあり、死なない程度に手加減をしなければならなかった。万全の状態であればそれも楽にできていたのであるが、今のキサラは、本来の力の半分程度しか出せていないため、手加減をするほどの余裕はなかった。




 キサラは降り注ぐ雷の槍をジグザグに動きながら回避して走り回りながら、思考する。だが、いくら考えても、どうするべきか思いつかない。いつもならば、何の迷いもなく、リージェを切り捨ていたのかもしれないが、今のキサラは、自身が何故迷っているのかもわからないまま、決めることができていなかった。


 そうして、しばらく逃げ続け、帝城から離れ、貴族街の中心地あたりに来たその時、キサラはようやく足を止め、荒れている呼吸を整え出した。そんなキサラに遅れるようにして、追いかけて来たリージェが紫電を纏ったハルバードを振りかぶり、まるで流星の如く落下してくる。

 しかし、キサラは微動だにせず、静かにショートソードを握り締めていた。



 直後、紫電の魔力を爆ぜ散らすような甲高い音が波のような衝撃波に伴って周囲を揺れ動かした。

 気が付いたときには、チャージアタックをしていたはずのリージェの体は勢い余って前方の建物へ激突して小さな轍を作っていた。そして、それを成したキサラは、静かに焦げ付いて煙を上げるショートソードを振り上げたまま制止していて未だに顔を上げていない。



 だが、それはほんの数秒の間……。静寂が開けたその時、キサラは顔をゆっくりと上げ、未だに起き上がろうとするリージェの方を真っ直ぐ見ていた。


 「ようやくわかりました……どうして、わたしが、あなたを救うことに対して迷っているのか……」


 キサラは振り上げて剣先をゆっくりと降ろし、こちらに向けて武器を構えるリージェの喉元に向け直す。


 「あなたは……わたしに似ている……。あなたを救うということはつまり、鏡合わせの自身の感情を許してしまうことになる。だから、すぐに決めることができなかった」

 「何を……言っている……」

 「復讐に身を焦がし、己が敵を前にひたすらに前に進み続ける……。今のわたしもそうです……。ただ、対象が少しだけ違うだけ……」


 キサラはリージェのアメジストのような紫色の瞳を自らの濡羽色の瞳の中に映し込む。


 「だから決めました……わたしはあなたを救わない————————」

 「何を身勝手なことを!! お前なんかに救われる筋合いなんかない!!」

 「えぇ、そうでしょうね。でもこれだけはハッキリさせておきましょうか。あなたの師匠、帝国4騎士サラドレアを殺したのはわたしではない」

 「嘘をつくな————————ッ!!」

 「嘘ではありません。悔しいことに、わたしは、彼女に及ばなかった……」

 「その口を閉じろ————————ッ!!」


 リージェが再び咆哮しながらキサラに突撃する。紫電をまき散らし、周囲を焼き焦がしながらハルバードを構えたリージェは後先を考えず、今に全力を投じている。それは、例えレベルが離れているキサラにすら届きうる……はずだった————————


 キサラが突っ込んでくるリージェよりも早く、虚空をショートソードで縦に切り裂く。その瞬間、まるで地面から噴火するように漆黒の炎が地面を走り抜けた。しかしそれはリージェの体を引き裂くことはしない。だが、リージェの体に付与されていた雷すべてが縦に切り裂かれ、呆気なく霧散させてしまった。

 あとに残され、勢いを失ったリージェの体は、追撃に肉薄してきたキサラの蹴りに穿たれ、何度もバウンドしながら泥だらけの地面を転がった。

 リージェの霞む視界で見えたのは、薄気味悪い笑みを浮かべる、顔に影が落ちたキサラ・ヒトトセという存在の真っ黒な部分……。


 「悔しいですか? 悔しいですよねぇ……。自らの無力さを思い知る感覚は概ねそんなものです。力及ばず、どうすることもできず、挙句の果てに、誰かに逃がしてもらう……守ってもらう……。そうして、目の前で大切な人が死んでいく……」

 「お前は……いったい……」

 「だから言ったでしょう。あなたと同じだって……。唯一違う点があるとすれば、その憎しみを他者に向けなかったことだけ……」


 キサラは石畳を蹴り上げて、未だに体勢が整いきっていないリージェに向けてショートソードを振り下ろす。リージェはそれをハルバードで受け止めるが、受け止めた衝撃だけでリージェの体は後方へと弾き飛ばされ、貴族の屋敷を取り囲む誰かの家の外壁を破壊してようやく停止した。

 だが、キサラのショートソードも、強化魔術を付与していたにもかかわらず衝撃に耐えかねて瓦解し、刀身半ばで真っ二つに折れてしまった。


 「早く立ちなさい。できなければ死にますよ……。そちらが殺しに来ているのならば、こちらもまた、殺し返すのが筋なのですから」

 「わた……し、は……お前を……殺すんだ……」

 「そうやって、他者に怒りを向けたところで、現状は何も変わらない。脆弱なあなたはここでわたしに殺される」

 「死ぬのはお前だぁあああああああああああああ!!」


 リージェが再び紫電を纏って突進してくる。しかし、今度も、キサラはそれを、背中を逸らすように回避し、同時に空中でリージェの顔面を素手で掴むと、そのまま勢いよく地面に叩きつけた。


 地鳴りにも似た凄まじい衝撃が走り抜け、背中から激突したリージェの体が地面で一度跳ね上がる。強化された肉体が引き裂かれることはないが、背中を強く打ち付けたリージェは一時的な呼吸困難に陥り、視界が揺らぐ感覚と共に、頭部の裂傷から血があふれ出し、意識が朦朧とし始めていた。


 「悔しさを他者へぶつけるのは、とても楽なのでしょう。ですが、結局のところそれは何も生まず、何も得られない。殺したい相手を殺せばすっきりするのでしょうけれど、それは、一時の麻薬のようなもの……。その先に思い描く理想像など、得られるわけがない」


 キサラは四肢に力を入れて立ち上がろうとするリージェの右腕を勢いよく踏みつける。その瞬間、再び地鳴りが起こり、キサラの足裏から空中に爆ぜ散るように青色の稲妻が走り抜けた。


 「あがぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 キサラの足で踏みつぶされたリージェの右腕は血肉が弾け飛ぶ音と共に、骨が粉々に砕け散った。稲妻で焼き焦がされたが故に流血は少ないが、それでも原形を保てていないほど、崩れ落ちていた。


 「理性の枷を外し、暴れ狂うなど言語道断。ましてや、殺すべき相手すら間違うなど、それは人ではなく、獣そのもの。今のあなたは後者です……」

 「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い————————」

 「泣き叫ぶ暇があるのならば、足掻いてみせなさい。復讐とはすなわち、立ち止まることすら許されない茨の道を突き進むこと……泣き叫んでいる暇など在りはしない。死すらも恐れず、相手の喉元に喰らいつき続ける……それができないのであれば、あなたは復讐者になどなれはしない」


 キサラは泣き叫ぶリージェの髪を掴み上げ、強引に立ち上がらせる。そして、自身の顔面を近づけ、狂気に染まった瞳を相手の眼球に映し込ませた。


 「これが、あなたが目指す復讐者の末路です。内なる自身に刃を向け続け、体が壊れようとも、その炎だけは消えることのない。足が壊れようとも、進み続けることを止められない。狂った人間の成れの果て……。さぁ、どうしますか? まだ進みますか? まだ牙を突き立てますか? まだ己が身を焼き焦がし続けますか?」

 「私は……私は……」

 「こんなことは単なる作業です。私にとってしてみれば、路傍に転がる虫を踏みつぶしているだけのこと……あなたの命など、赤子を捻るように容易く握りつぶせる」


 キサラは髪を掴んでいる方とは逆の左手でリージェの首を掴みそのまま立ち上がり、天高く掲げる。リージェは苦しそうにもがいて、キサラの腕に爪を突き立て、足をばたつかせるが、防具がないキサラにすら傷一つつけられてはいなかった。


 「最初に宣言したはずです。『わたしはあなたを救わない』と————————」

 「————————ひっ!!」

 「付きまとわれるのは鬱陶しい。これで終わりにしましょう」

 「い……や……じ……にたく……ない————————」

 「何を言っているのですか? 他人に身勝手な殺意を向けたのです。許すはずがないでしょう」

 「だ……すげ……て……たす……」


 キサラの首を絞める手の握力が強まる。その力に生物的反射をするように、リージェの体はより一層暴れ出す。しかしそれは少しの間だけのことであり、やがては口から血と泡を吹き出し始め、涙で潤んだ瞳が天を向いた。

 それを見て、キサラは掴んでいた手を放し、そしてリージェを地面へ叩きつけた。叩きつけられたリージェは未だに血液混じりの泡を吹きながら大きく咳き込み、そして乾いた唇で浅い呼吸をしながら意識を泥のように沈ませていった。


 それを確認し終えたキサラは、静かに瞳を閉じ、もう一度呼吸と跳ねる様な心臓の鼓動を整えなおした。そして、その直後にゆっくりと膝を折り、手をかざしたかと思うと、無言で治癒魔術を発動させた。


 「言ったはずです……『わたしはあなたを救わない』、と……。————————でも、あなたがせめて、間違う前に……こちらに来てしまう前に……違う道へ導くことぐらいはします……」


 明るく白い魔術光が徐々に収まっていく。そしてすべてが終わったその時、リージェの右腕は完全に元通りに復元されており、僅かな傷が残る程度になっていた。しばしの間は全身に神経痛や疲労感が残ることは確かであるのだが、日常生活に影響を及ぼすほどのものではないことは誰の目を見ても明らかであった。

 全てを終えたその時、キサラは誰にも見せないような優しい笑みを僅かに浮かべ、そしてすぐに元の無表情へと自身の頬を叩いて強引に戻す。その上で、静かに寝息を立てるリージェを担ぎ上げ、元々の作戦の一つである撤退の帰路につくのであった。


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