第22話 諦めていた可能性


 燃える————————

   燃える————————

     燃える————————



 三重の壁は魔術砲撃により、ところどころに大穴が穿たれ、街はひたすらに熱く、そして赤く煌々と燃え続ける。市街地での戦闘は未だに激化の一途をたどっており、特に、帝都西側では、両軍が総力戦を繰り広げていた。だが、東側でも、戦闘は留まることを知らず、小さいながらも断続的な破壊音が響き続けている。


 そんな壊れゆく街並みを静かに見下ろしながら、とある男は一人、口角を釣り上げて笑っていた。それは、今現在攻めている新生エルドライヒ合衆国軍の誰かではない。エルドライヒ帝国軍の総司令にして帝国第一皇太子コンラード・エルドライヒだった。


 彼は自らのポケットに両手を突っ込み、死にゆく人々の断末魔を聞き届ける。その表情に迷いや後悔などはなく、むしろ清々しいほどに恍惚とした表情となっていた。


 そんな彼の背後に、唐突に魔力が集まる。その直後、光が瞬いて収束したかと思うと、さらにもう一人、男が何もない空間に転移してきていた。それは癖のあるこげ茶色の短髪に、相手を睨むように威圧的な鋭い鸚緑の瞳をもつ青年……つまりは、アリッサたちに味方しているはずの、パラドイン・オータムであった。

 パラドはコンラードに対して、特に敵意を向けることなく、彼の隣に並び、街の惨状を共に眺め出す。コンラードも、そんなパラドに武器を向けることなく、静かに口火を切った。


 「遅かったな……。もう、終幕に差し掛かっているぞ」

 「遅くないさ……まだ、アリッサが闘っている。すべてが終わるまでは気が抜けない」

 「難儀なものだな。こちらは既に目的を達したも同然だというのに……」


 コンラードが苦笑いを浮かべたことで、パラドも少しだけ眉間にしわを寄せ、思わず苦虫をかみつぶしてしまう。


 「本当に……よかったのか?」

 「あぁ……最初から、これが私の望みだ……」

 「帝国を滅ぼすことが、か?」

 「あぁ……我が父を玉座から引きずりおろす……」

 「そのために、こちらに情報を流し続けたのか? 国を売ってまでも————————」


 新生エルドライヒ合衆国軍の快進撃には理由がある。それは、帝国軍の規模や軍備、作戦のタイミングが全て筒抜けになっていたからである。普通ならば、部下の誰かが情報を漏らすようなスパイであることを疑う。だが、今回に限って言えば、その大本……命令を出す前の段階からパラドに情報のリークがあり続けた。

 だからこそ、勝利を掴み取り続けることができていたのである。


 「12年前……我が父はほんの些細な癇癪を起して、母上を殺したんだ……。それだけじゃない……実の娘も……気まぐれに孕ませた娼婦でさえも……」

 「許せなかったのか?」

 「あぁ……。だから、一番苦しみながら殺す方法を考え続けた」

 「そのために……皇女リリアナを利用したのか?」

 「それは違うさ————————」


 コンラードは静かに首を横に振る。その横顔は、酷く冷淡なことをしているのにも関わらず、とても人間的で、そして、優し気に笑っているようにすら見えた。


 「はじめは確かに、殺して利用するつもりだった。実際、“リリアナアレ”は父に心酔していたからな……」

 「それで、守護結界の術式を、転移の術式だという誤情報を伝え、通信妨害を行ったのか?」

 「その通りさ……誤算だったのは、ブリューナス王国が我が父を撃退してみせたこと……。そして、リリアナが生き延びたこと、だ—————」

 「リリアナが生き延びたことは誤算じゃない。むしろ、その後が問題だったんだろうが……」

 「あぁ……。リリアナが“生きること”に関してあそこまで執念深いとは思わなかったさ……。だが、それで、さらに良い結果が得られる算段が付いた————————。半ばあきらめていたんだ……我が父、『皇帝テオドラムは誰にも殺すことができない』と……」

 「最後に聞かせてくれないか……。何がきっかけで計画を大幅に変更した」

 「そんなもの、決まっているさ——————」


 コンラードはゆっくりと顔を上げ、未だに戦闘が長引いている漆黒の帝城を遠巻きに眺める。結界のおかげで破壊の振動や音は響いてこないが、目視で見ても土煙と瓦礫が絶え間なく飛び散っていることから、戦闘が激化していることは間違いなかった。


 「死んだはずの亡霊が……その執念の残滓が、我が父に手傷を負わせたことだ……。その偉業を見れば、諦めていた可能性に、もう一度目を向けるのは必然だろう」

 「そのために……そんなことの為に、アリッサたちを巻き込んだのか?」

 「怒らないでくれたまえ。確かに、私は、“友情”という感情を利用するために、首を晒して感情を煽った。だが、決めたのは私じゃない。彼らだ————————」

 「否定は、しないんだな————————」

 「しない————————。だが、後悔はしていない。そのおかげで、ここまでたどり着けたのだからな……」


 コンラードはポケットから自分の懐中時計を取り出し、時間を確認する。そして、一度しまうと、もう一度前を向き、置いていた自らの武器を手に取った。


 「時間だ……。そろそろ、加勢しなければ、妹の命が危うくなる————————」

 「お前……不器用だな……」

 「そう見えるか? ならば、次に会うときまでに、もう少し努力しなければならなそうだ」

 「二度と会いたくねーよ、クソが……」

 「同意見だ、パラドイン・オータム」


 その言葉を最後に、コンラードは屋上の縁から重力に身を任せて飛び込む。そして、直後に風属性と火属性の魔術を使用し、鮮やかに、そして軽やかに帝都を駆けていく。

 パラドはその姿を、追いかけることなく、静かに見守った。自らも、やるべきことが残っている……だからこそ、追いかけない。そう強く自身の心に頷き、パラドは未だに激しい戦闘が繰り広げられている帝城へ向けて動き出すのであった。




 ◆◆◆



  「これを受けてまだ生きているとはな……。だが、もういっちょいくぞ!!」


 ヴァゼルは生きて動いているリリアナを見て、下品に笑い、そしてもう一度、先ほどと同じように両の拳を突き合わせる。その瞬間、再び高密度な魔力のうねりが彼を中心に生み出されていき、エネルギーが収束していった。


 「————————あ……あぁ……」


 今まで、自身を護ってくれていたカスミは意識なく倒れ伏している。残存魔力も相手の攻撃を防ぐほど潤沢ではない。そんなあまりに絶望的な状況に、リリアナは唇を震わせ、そして、力なく、地面に座り込んでしまう。思考は相変わらず空回りを続け、打開策が出てこない。そんなリリアナを嘲笑うかのように、ヴァゼルは意気揚々と、拳を掲げ、そして、先ほどと同じように、こちらの体を塵一つ残さず吹き飛ばすために、拳を前へと突き出した。



 刹那————————


 ヴァゼルの突き出した拳が唐突に上を向き、何もない遥か虚空へと膨大なエネルギーが無残に消えていく。ヴァゼルが驚愕し、何が起きたのかと状況を確認すると、自身のすぐ真横……先ほどまではいなかった男がそこにいた。

 それは、自身の味方であるはずのコンラードであり、彼が自身の手首を蹴り上げたことにより、狙いが逸れたことは容易に理解できた。


 「おいおい、どういう要件だ!! 勝負に水を差すとは根性がねぇなぁ!!」

 「悪いな、ヴァゼル……今、アイツを殺させるわけにはいかないんだ」

 「兄妹愛か!! 泣かせやがるぜ!! でもダメだ!! 根性がないアイツを生かしてはおけねぇ!!」

 「話を聞かない奴め……ならば——————」

 「おっと、そうはいかないぜぇ!!」


 コンラードがヴァゼルの瞳を見て、何かをしようとした瞬間、ヴァゼルはそれを避けるように、地面へ向けて自身の拳を叩きつけた。その瞬間、凄まじい衝撃波が円周状に広がり、肉薄していたコンラードの体を容易に弾き飛ばした。


 「何年お前と一緒にいると思ってるんだ!! その起源魔術……“精神操作”は喰らわねぇぜぇ!!」

 「厄介な相手だ……本当に、腕っぷしでなければ落ち着かないとは……」

 「誉め言葉として受け取っておくぜ!!」


 ヴァゼルが地面を蹴り飛ばし、着地したコンラードの顎を抉るように拳を繰り出して来る。だがこれは、コンラードが魔力で作り出したロングソードにより阻まれ、火炎を周囲に拡散させながら停止する。刀身が轟々と燃え盛るロングソードに触れてなお、ヴァゼルは涼し気な様子であり、蓄積させたダメージを感じさせないほどであった。

 続く、ヴァゼルの連撃……コンラードはそのすべてを流麗な剣さばきで叩き落していき、ダメージを負うことはない。


 「もはや、帝国に未来はない。拳を降ろせ、ヴァゼル」

 「何を言っているんだ。そんなわけがないだろう。何故なら、オレがここにいるのだからな!! 例え万軍が控えようとも、オレが可能性の橋を架けてみせるさ!!」

 「余計な犠牲が増えるだけだと何故わからない。滅びの運命を受け入れればそれで済む話を————————」

 「お前の方こそ、わからねぇなぁ!! まだ闘えるというのに諦めるとは、根性がねぇにもほどがあるぜ!!」

 「残念だ。お前とは、共に生きられると思っていたのだがな————————」

 「こっちこそ残念だぜ!! お前とは親友だと思っていたのにな!!」


 火炎を纏ったコンラードの魔力剣がヴァゼルの前頭葉と激突する。だが、ほんのわずかにヴァゼルに切り傷をつけるのみであり、火傷も、切断もできていない。その隙に、ヴァゼルは拳による連打を叩きこむが、コンラードは肩で息をしながらも、必死にそれらを捌いていく。


 「どうしたどうしたぁ!! 根性がないから、攻撃が弱々しいぞ!!」

 「相変わらずの面倒な肉体だ。頑強さだけならば、アガネリウスと同等か、それ以上か……」

 「根性があればだれにも負けねぇぜ!」

 「加えて、一撃の攻撃力だけならば、サラドレアも凌駕する……」

 「根性は最強だからな!!」

 「お前がその力で、新しき国を支えたのならば、どんなに良かったことか……」

 「オレは根性がないやつの下に就くつもりはねぇ!!」


 ヴァゼルの振り払うような回し蹴りを、コンラードはバックステップで回避しつつ、周囲の様子を伺う。戦闘しながら、できるだけリリアナの元から離れるように誘導していたのだが、きちんと逃げ切れたのだろうかという不安を抱きつつも、戦闘に集中しようとする。


 「オレとの戦闘中によそ見とはいい度胸だな、オイ!!」


 ヴァゼルが隙を見せたコンラードを叩き落とすように、拳を放つ。コンラードはこれを寸でのところで両腕を交差することで受け止めるが、その瞬間、受け止めた両腕から骨が砕ける様な嫌な音が鳴り、彼の体はボールのように弾き飛ばされた。

 土煙を舞い上げ、建造物を破壊し、ようやく停止したコンラードは口元にせり上がってきた血反吐を吐きながら、弱々しく立ち上がる。対し、ヴァゼルは、そんなコンラードを嘲笑うかのように、ゆっくりと歩を進め、徐々に距離を詰めていく。


 「弱くなったな。オイ……本気出してんのか? 手加減しているとしたら、本当に根性がねぇぞ」

 「手加減などしていないさ、最初から最後まで本気だ」


 コンラードは剣すら握れなくなった血まみれの両腕をだらりと下げながら、不敵な笑みを浮かべる。だが、そんなコンラードの表情は、視界に映ったある出来事で青ざめていく。


 「お兄様————————ッ!!」


 それは、杖を握り締めて、必死でこちらに駆け寄ろうとしている妹リリアナの姿……。リリアナは善意でこちらに駆け付けてきているのだが、コンラードにとってしてみれば、今のリリアナは足手まといでしかなく、それ以上に、酷い状況を作りかねない要因でもあった。


 「お前を倒すのは少し骨が折れそうだ……。それより前に、あの根性なしに逃げられたら厄介だな」

 「やめろ!!」

 「根性がないやつは全員叩き直してやる!! 歯を食いしばりやがれ!!」


 リリアナに視線を向けたヴァゼルは、地面を蹴り飛ばし、リリアナの顔面を吹き飛ばすために拳を振り上げる。コンラードしか視界になかったリリアナには、それを回避する術などなく、体格の大きなヴァゼルが、リリアナの体に陰りを作った瞬間には、既に拳は振り下ろされていた。








 衝撃は訪れない————————



 リリアナは自身の頬に滴り落ちた雫を感じ取り、塞いでしまった目をゆっくりと開いていく。だが、その頬の雫が真っ赤に染まった血液であり、それが、目の前で体を大きく開いた自らの兄のものであると自覚した瞬間、リリアナの足は立ち上がる力を再びなくし、弱々しく腰をついてしまう。

 ヴァゼルはコンラードの胸元を貫通した拳を引き抜き、真っ赤に染まった自らの拳から血を振り払う。その瞬間に、コンラードは座り込んだリリアナに覆いかぶさるようにゆっくりと倒れていく。


 「おにい……さま……」

 「よかった……無事だった……」

 「なぜ……どうして……」

 「決まっている……お前は私の—————ッ」


 何かを言いかけたところで、コンラードは激しく咳き込み、口一杯の血を吐き出し、徐々に顔色が青ざめていく。リリアナはそれを見て、コンラードに治癒魔術を唱えようとした。しかし、その手は他でもないコンラードが、血まみれの手でリリアナの腕を掴んだことで制止される。

 リリアナの鎧のインナーにはコンラードの真っ赤な血液がこびりつき、やがてはしみ込んで消えていく。


 「ダメだ————————。お前にはやらなければならないことがある……」

 「でも————————ッ!!」

 「お前が……倒せ……帝国を……」


 コンラードが力なく腕を振り上げ、リリアナの頬に触れる。それは、真っ赤な血液がリリアナの肌にこびり付き、リリアナの涙と混ざり合った。その瞬間、触れた個所から、傷口に泥水を注ぎ込まれるように悪寒が走り抜け、リリアナは頭が割れるような激痛に苛まれる。


 「あぁ……あぁ………あああああああああぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ————————」


 それは耐えられるようなものではなく、リリアナは自身の頭を掻きむしり、そして、瞳を充血させ、口と鼻から粘性の液体を排出しながら、コンラードの死に引きずられるように、共に地面へと倒れ伏した。

 妹を庇って死んだコンラードと、そのショックで気絶したリリアナ……この二人がヴァゼルの目にどのように映ったかなど言うまでもない……。


 「その程度で失神とは……根性がないやつだ!! せめてもの慈悲に二人まとめて消し飛ばしてやるさ!!」


 ヴァゼルはリリアナたちに言葉とは裏腹に慈悲の感覚など感じられないほど、徹底的に消すために、両の拳を付き合わせ、全てを薙ぎ払うほどのエネルギーを凝縮し始める。気絶して指一本すら、まともに動かすことができないリリアナは恐怖すら感じることがなく、無残にその魔術を身に受けるしかなかった。


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