第9話 仮面の下で有事は踊るⅡ


 リリアナがガリツィア伯爵との秘密会合を行っている中、キサラはその階下で行われている仮装パーティに赴いていた。

 動物の仮面をつけた上に、魔術でカージナルレッドの柔らかく腰まで伸びた長い髪に変え、ドレスなどで体型を一時的に誤魔化す。そうすることで、キサラの今の姿はリリアナと酷似しているように見え、パーティにいない彼女の代役を務めることができる。


 そんなキサラの変装に騙され、ダンスを申し込まれた際に、彼女に帝国への反乱軍として接触を図ろうとするものも現れる。キサラはそれらを一つ一つ丁寧に対処しつつ、不穏な動きをしているものがいないかを確かめていた。

 一部の貴族が、帝国の圧政を嫌い、革命に前向きであることは知っているキサラではあるのだが、その中にこちらの情報を漏らしている裏切り者がいることもわかっていた。結局のところ、そういう貴族たちはどっちにも顔を売って、勝ち馬に乗りたいだけなのである。

 だから、こちらが不利ということがわかればすぐに向こう側へと寝返る。一部の熱心な貴族はそうではないようであるが、やはり、大多数が未だに様子見をしているように思えた。


 キサラはそんな貴族たちの、こちらの状況を探ろうとするしたたかさに嫌気がさしつつも、皇女リリアナを演じ、時間を過ごしていく。やがて、そんな連続対応に疲れ、休むように会場の隅の方へと歩いていくと、キサラの眼前を一人の女性が横切った。

 それは、帝国では非常に珍しいセミロングの黒髪の女性。もちろん顔は仮面をつけているためわからないが、雰囲気や体型などはキサラの故郷であるヤマト国の民と酷似しているように思える。


 キサラが不審に思い、その女性は観察すると、その人物は貴族らしからぬ足取りで会場の中を歩き回っていた。だが、殺気の類は感じ取れず、誰かを狙っているようにも探しているようにも見えない。加えて、もし、動き方が暗殺者の類であるのならば、怪しまれるような動きはしない。だからこそ、キサラは彼女が何らかの理由でこの会場を見張っている同業の護衛の類であると考えた。


 だが、この瞬間にキサラは自分の失態に気づいてしまった————————


 それは、その女性の動きを目で追うあまり、自身が皇女リリアナではなく、キサラとして動いてしまったことである、完璧な演技を貫いていたが故の失態であるため、周囲からの視線は一部困惑が入り混じっていた。

 そのほとんどは、キサラの正体に気づいている様子はないが、急に立ち止まったキサラが皇女ではないのではないかという疑念を持ち始めてしまった。キサラはその事実に気づき、仮面の下で歯噛みしながらも、どうするべきか逡巡してしまう。

 もちろん、こちらから皇女のように声をかけることも考えたが、それではこちらが取り繕っているように見えるため、余計に不審がられるリスクもあった。


 「一曲、どうですか、レディ……」


 そんな折、キサラに一つの救いの手が差し伸べられる。それは金色の髪を持つ細身の男性だった。顔は当然のことながら仮面をつけているためわからないが、礼儀正しさや身に着けている装飾品の類から、大物の貴族であることはキサラにもすぐに理解できた。


 「喜んで————————」


 だからこそ、キサラがこの機を逃す手はなかった。

 大物貴族の男性がキサラの手を取って、ワルツを踊り始めることで、周辺貴族の疑いの目は徐々に晴れ、やがては消えていく。それはむしろ、まるで大貴族と皇女が結託を結んでいるようにも見え、日和見していた貴族たちを動かし始めるのには十分すぎる程の証拠となった。


 そんな大貴族は踊りながらもキサラのみに聞こえる様な声で話し始める。皆、ダンスに夢中であるため、こちらの会話に耳を傾けようとするものはいなかった。


 「危ないところでしたね」

 「何故、わたしを助けたのですか?」

 「あなたと一曲、踊ってみたかったから……それでは理由になりませんか、“灰かぶり姫アシェンプテル”」

 「どこかでお会いしたことがありましたか?」

 「えぇ……声をかけようとして逃げられたことが幾度となく……」


 会話内容から察するに、この貴族が皇女に化けたキサラの正体に気づいていることは明白であった。だからこそ、キサラは先ほどの失態を悔やまずにはいられなかった。


 「お名前をお伺いしても?」

 「この場では、名前を明かさないことが通例であるとお伺いしています。しかしながらレディの頼みです。仮にも“ロア”と名乗らせてください」

 「では、ロア様……。この度はお助けいただき、感謝いたします」

 「礼など不要です。貴女を助けたいというのは、私個人の意思ですから—————」

 「ロア様……あなたは一体……」


 ダンスの最中で、体を預けるようにロアの動きに合わせていく。足を踏むことはなく、むしろロアのリードにより、キサラの動きはより華麗になっていった。


 「正体は明かせません。今はまだ……。ですが、この仮面を外し、正体を明かしたその時、あなたが私の愛を受け入れてくれることを切に望みます」

 「それは……誠に申し訳ないですが、お答えできません」

 「えぇ、知っていますとも……。だからこそ、今はあなたが信頼してくれるだけで構いません」


 一曲が終わりを迎える————————

 二人は両手を重ね合わせながら停止し、そして分かれるように互いに礼をする。その一連の流れの中、ロアはキサラにとあるものを周囲から見えないように手渡していた。キサラは驚きながらもそれを受け取って握り締める。

 そんなキサラの動揺を理解してか、ロアは畳みかけるように、別れ際にキサラの頬に自身の顔を近づける。すると、キサラの右頬で仮面同士が擦れるようにわずかに音を立てた。

 まるでキスをするような動作であったが、実際は、キサラに耳打ちをするために近づけた行動であり、周囲の黄色い歓声とは別物であった。

 ロアはキサラの耳元でたった一言だけ告げる。


 「ブリューナス王国は、帝国の革命を全面的に支援する」


 たったそれだけの言葉……しかし、それはロアの正体がブリューナス王国の大貴族であることを暗に告げていた。そして、それを証明するかのように、キサラの手の平の中には小さなカギのようなものが握られていた。

 魔力を帯びたそのカギの正体は考えずとも答えが出てくる。間違いなく、皇女リリアナの首につけられた逃亡防止用に呪殺魔道具の解呪錠である。


 何故、ロアがこれをキサラに手渡したのかはわからない。だが、キサラにとっては状況を覆すような大きな収穫であり、戦果でもあった。

 キサラはその事実に喜びを覚えつつも、すぐにそのカギを服の中へとしまい込んだ。そして、もう一度、皇女リリアナとしてパーティに溶け込んでいく……



 瞬間————————



 会場の外で何か大きな音が鳴り響いた。まるで花火を上げたかのような重低音と振動は天井にぶら下げたシャンデリアを揺らし、会場にいる貴族たちに動揺の種を植え付けていく。

 音源はかなり遠く、こちらまでの距離が離れていることは確かだが、断続的に鳴り響き始めたとなれば、誰であれ何が起きているのかと不安を覚える。そんな混乱と焦燥を打ち破り、更なる混沌へと叩き落したのは、会場に駆け込んできた兵士の一人のたった一言。


 「大変です!! 帝国軍が我らガリツィア軍に攻撃を開始しました!!」


 誰に向けたモノなのか定かではないが、そんなことを急に言われたとなれば、死にたくない貴族たちが一斉に出口めがけて殺到することは目に見える。攻められたとは言っても音と衝撃の発生源からして未だ城門付近であることは確かであり、それまでに逃げれば助かるものだと考える貴族が数多くいたのである。


 この街の全ての城門が既に落とされ、封鎖されていることなど露とも知らずに……


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