第8話 仮面の下で有事は踊る



 エルドライヒ帝国の首都ワルシアスの中心地にそびえ立つ漆黒の城。その中の一室に、異様な空気が漂っていた。それは、軍の方針を決める会議の場であるのだが、閉め切った室内のせいか、余計にピリピリとした肌に刺すような威圧感が充満している。

 その原因は、長方形のテーブル席の一番奥に座る人物……帝王テオドラムの直系の息子にして、帝国軍を指揮する元帥である彼の名はコンラード。

 わずかに黄色を帯びたこげ茶色の髪をセンター分けにした、細く整った顔立ちを持つ人物。そんな彼の琥珀色の鋭い瞳で睨まれると、この場にいる大半が委縮し、発言すらできなくなってしまう。


 コンラードはそんな停滞を忌み嫌ってか、静かに用意された紙の資料に目を配らせていた。すると、彼の右隣りの席にいる女性が時間を気にしながら、コンラードに対して口火を切った。


 「それで? ワシらを呼び寄せた理由はなんだ?」


 特徴的な一人称をもつ女性がコンラードの方を退屈そうに見ると、コンラードはようやく資料から目を離し、机に座る為政者たちを一瞥した。


 「帝国4騎士を招集した理由となれば馬鹿でも察しが付く……といっても、この場にあの馬鹿はいない」

 「陛下に対して、無礼を働いたと聞き及んだッ!! その上逃げるとは、漢が廃るってもんよ!!」


 コンラードの左隣に座る大柄な男性が話すと、そのあまりの声量の大きさに、一部の人間は耳を塞いで堪えだす。


 「うるさいぞ、ヴァゼル。ここは話し合いの場だ。お前は静粛にしていればそれでいい」


 コンラードが一喝すると、ヴァゼルと呼ばれた人物は忌々しそうに鼻を鳴らし、その体格には小さすぎる椅子の背もたれに堂々ともたれ掛かって腕を組んだ。

 彼らは帝国4騎士の内、アガネリウスを除く残りの3人……。コンラード、サラドレア、ヴァゼルであった。そんな彼らの会話に、他の為政者たちは口をはさめない。もしも失言をしてしまえば自分たちの首が飛びかねないからである。


 「今回の議題は帝国内で活動している反逆者たちについてだ」

 「その件ならワシも存じておる。死んだはずの第一皇女の亡霊が這いずり回っておる……とな」

 「しかし、大将! 勝手に動いていいのか? また、陛下には言ってないのではないか? 前回の晒し首だってそうだったであろう」

 「必要ない。現に、陛下は気にしておられない。あのお方はこのような些末な事には興味を示されないからな」

 「ふむ……まぁよい……。して、ワシらは何をすればよいのだ?」

 「決まっている。亡霊に魅入られた反逆者ネズミの一掃だ」


 コンラードは手にもっていた資料の束を長テーブルの中央へと放り投げる。すると、手前側に座っていた為政者たちは肩をびくつかせ、僅かに震えだす。そのためか、資料の束は誰も手に取ろうとはしなかった。


 「西側の攻勢も上手くいっていないというのに、この始末か……」

 「問題ない。冬の間は王国側も本気を出しては来ない。だからこそではあるが、今この時に、帝国に蔓延る膿を全て出し切る必要がある」

 「出し切るって言っても、ネズミはそう簡単に尻尾を掴ませてはくれないぞ」

 「問題ない。何のために亡霊を泳がせていると思っている。すべてはネズミ共を一網打尽にするためだ」

 「集まったところを叩く、というわけか……。当てはあるのか?」


 コンラードは女性の問いに対し、余裕そうな笑みを浮かべながら鼻で笑い飛ばした。


 「当然だ————。近々、ガリツィア伯爵の元でパーティが開かれる。その場に、亡霊が現れるという情報は既に掴んでいるからな。当然、それに魅入られたネズミ共も含めて」

 「それで? 方法はどうするんだ、大将!」

 「決まっている……一人残らず殺す。帝国に叛逆するゴミどもは皆殺しだ」

 「なら、こちらは遠慮する。そんなもん、漢が廃る」

 「相変わらずだな、ヴァゼルは……。だがそうすると、その役目はワシしか果たせないが、オヌシはそれでよいのか?」

 「かまわん。元よりそのつもりだ—————」


 帝国4騎士サラドレアは、コンラードの言葉を聞き、突然、お腹を抱えて大笑いをし始める。それは誰も制止することなくしばらく続き、そして、彼女は唐突に元に戻った。そして、先ほどとは打って変わった殺気の籠った口調で、たった一言言い放つ。


 「いいだろう。このワシ手ずから殺してやろうではないか」


 議会は凍り付く。それは冬の厳しさ故ではなく、その言葉の重みを理解しているからである。彼女が滅ぼすと定めたのならば、ネズミが生きて帰れる方法は既にたった一つ……“抗う”こと以外は残されてはいない。

 命乞いをしようとも、首を刎ねられることを、この場にいる誰もが知っていたのである。



 ◆◆◆



 アリッサたちがグディタル侯爵、そしてアガネリウスの元に訪れている頃、キサラと第一皇女リリアナは帝国南部に位置するガリツィア伯爵の元に訪れていた。ガリツィア伯爵の元には、皇女リリアナに賛同する小貴族たちが秘密裏に集いつつあり、皆、この時を待ちわびていたかのように準備を整えていた。


 パーティは一応、仮面舞踏会という名目で開かれ、参加者の出自は明かされていない。しかしながら、杖を片手に置き、左腕が義手であるが故に上手く動けない彼女と踊れば、誰でもその存在に気づいてしまう。

 だからこそ、彼女は、会場の2階のボックス席にて、ガリツィア伯爵と共に、ワインを飲みながら静かにチェスをうち続けていた。当然のことながら、今の彼女の容姿は特徴的なカージナルレッドの長い髪ではない。柔らかく癖の全くない茶髪であり、素顔すらも仮面により明かされていない。

 それはチェス相手のガリツィア伯爵も同様であり、ボックス席の密室には素顔を明かしているものは誰一人とていなかった。


 「さて、ガリツィア伯爵。わたくしがこの場に現れた意味……重々承知ですよね」

 「無論、知っているとも……そしてそれが、私の為すべきことであることも」


 仮面越しにくぐもった声が暗い密室に響く。リリアナは素顔から表情が読めないガリツィア伯爵に苦戦しながらも、会話を続けられるように、所作を洗練させていく。


 「わたくしには時間がないため、率直に申し上げますわ————————」

 「その提案、お引き受けいたします」

 「————————え!?」


 リリアナはまだ、何も言っていない。しかし、初老のガリツィア伯爵はリリアナの提案を聞くことすらなく、了承してしまう。そのあまりに突飛な反応に、リリアナは驚き、変な声を漏らしてしまった。


 「なにも不思議な事ではありません。実はつい先日、この街を救ってくれた御仁がおられまして、そのお方に頼まれてしまいましたから」

 「そのお方は……勇者様なのでしょうか……」

 「ある意味ではそうでしょうな。しかしまぁ……このような結末になってしまった以上、義理を果たさねば、我が家紋が廃るというものです」

 「それはもしや……」

 「はい……この会場を訪れたほとんどの貴族たちが皇女殿下に恩義を感じておられる方々です」


 リリアナはガリツィア伯爵が救ったという人物に心当たりはない。そして、自らが彼らに恩義を感じられる行いをした覚えもない。むしろ、皇帝陛下である実父に気に入られようと、戦争継続のため、税や物資そして人的資源を絞り上げてすらいた。

 だからこそ、ガリツィア伯爵の言葉には疑問を抱かずにはいられなかった。


 「皇女殿下……というのは、わたくしのことではありませんね」

 「えぇ、もちろん……。しかし、あなた様が、我々と共闘するというのであれば、手を取るのは必然的な事。それがかの御仁の意思でした」


 ここでようやく、リリアナは思考の整理が追い付き、ガリツィア伯爵が誰のことを話しているのか、理解できた。しかし、理解できたからこそ、その異端さが理解できなかった。


 「妹が……あの子が……何を成したのかは存じ上げておりません。しかし、あなた方のその忠義は本当に、命をかけるに値するものなのでしょうか」

 「無論……値しないでしょうな……。えぇ……とても些末なことで、押し売り甚だしいほどの行いでしたから……」

 「だとしたらなぜ?」

 「そんなことは決まっておりましょう。殿下を殺し、その行いを穢した皇帝を許すことができないからです。恩義を受けた御仁の行いを侮辱されることは、自らを侮辱されるに等しいこと」

 「しかし、それだけでは……」


 リリアナの問いに対し、仮面をつけたガリツィア伯爵は見えない表情の代わりに、首を大きく横に振った。


 「単なる老害のワガママですよ、皇女殿下……。例え負けたとしても、後世に『恥』として語り継がれるか、それとも、『誇り』として歴史の一ページに刻まれるか……という、些細なことでしかありません」

 「少なくとも、あの子に……汚名をつけたままでは終われない、と?」

 「えぇ、その通りです。だからこそ、かの御仁を虐げていたあなたとでも手を組むのです」

 「はは……ははは……それは、とても心外ですわね」


 リリアナは当初、このガリツィア伯爵の説得には手こずると踏んでいた。しかし、蓋を開けてみればそうではなく、腹違いの自らの妹が敷いた瓦礫のレールにより、意図もたやすく山を越えていた。

 しかし、その事実に嫉妬をしている場合ではなく、その状況すらも利用しなければ、リリアナに明日はない。進んでも地獄、戻っても地獄……今のリリアナには、進むという選択肢以外は残されてはいない。だからこそ、静かに、ガリツィア伯爵に右手を差し出した。


 「あなたの御事情を理解いたしました。革命の成功の暁には、第三皇女という希望がいたことを、帝国全土……いいえ、大陸全土に認知させることをお約束いたします」

 「えぇ、貴女様ならばそう言っていただけると信じておりました。だからこそ、我々も貴女の手を取りましょう」


 そう言いながらガリツィア伯爵はリリアナの手を取り、静かに握手を交わす。二人が手を放し、互いの椅子に腰かけ直すと、ガリツィア伯爵は仮面の下で笑っているようにリリアナには思えた。


 「さて……これで、第一段階は完了いたしました。あとは、皇女殿下が、どのような手を指すのかが見ものですな」

 「あら、こうみえてわたくし、チェスは結構強いのですのよ」


 そう言いながらリリアナは盤面の黒い駒を一つ動かす。すると、ガリツィア伯爵は、仮面の下で笑ったような素振りを見せ、同じように白い駒を一つ動かした。



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