第6話 この体は憶えている


 暗がりの中を突き進み、少しだけ開けた場所が階下に広がる地点までたどり着く。目の前には切り立った崖のようになっているが、開けた場所の端には、先へと続く通路が見受けられ、その先からは、どこかから差し込んでいる自然の灯りがわずかに見えた。


 しかしながら、その外へとつながる通路を行ったり来たりしているのが、“ゲノミルピード”というダンゴムシに似たモンスターである。ゲノミルピードの体長は優に3メートルを超え、広い坑道内でも手狭になってしまうほどに大きく成長している。

 開けた場所にエサのようなものは見受けられないが、定期的に、外への通路を行き来していることから、その通路そのものが天然の落とし穴になっており、生物が落ちてきてエサを無限に得られるのではないかと考えうる。

 逆にここ以外にどこかに行く気配がないことから、他に出口らしきものは階下にはなく、戻るためには、切り立った崖を登らなければならなくなるため、実質的に一方通行になることは容易に予測できた。


 戻ってきたゲノミルピードをもう一度観察する。


 背中には肉を食らう牙のようなものがあり、前足には鎌のような触角、背面から生えている無数の触手は今しがた捕獲してきた動物らしきものを締め上げている。複数の節足をもち、紫色の体を持つその怪物は赤い六つの目をあちこちに動かし、常に獲物を探し続けている。


 「レムちゃん……睡眠中に移動するのはどう?」

 「アイツのレーダーを舐めているのデスか……無謀すぎマス。それに、見ていればわかりますが……眠りながら移動していマスよ」

 「えぇ……」


 若干、顔を引きつらせながら、階下のゲノミルピードを凝視する。本当に足を止める気配はなく、常に動き続けている……。さながら、陸のマグロといった具合だろうか……。


 「どのみち、やるしかないのなら、覚悟を決めた方がいいデス」

 「え、ちょっ————————ッ!!」


 レムナントはあたしの手を引いて、崖上から飛び降りる。あたしは絶叫で声を失いながらも必死にレムナントにつかまり、衝撃に備えた。しかし、思った以上のものはなく、むしろ、レムナントの体から吹き出した真っ白な蛇のような首が、地面に撃ち込まれ、衝撃を殺したことにより、痛みなどは訪れなかった。

 代わりに、衝撃を受け止めた地面は叩きつけるような音を空洞内に響かせるが、あたしが絶叫している時点でゲノミルピードには気づかれているため、些末なことである。


 「できるだけ離れていてくだサイ。アイツは毒を持っているらしいデスから」

 「————————え!? 何それ初耳!?」


 こちらの物音に反応してゲノミルピードが進路を変え始める。だが、それよりも早く、レムナントが走り出し、件の怪物の後ろを取る。そして、両手に漆黒の大鎌を生み出し、大きく跳躍する。

 コマのように回転したレムナントは、相手が振り向くよりも早く、背後から生えている無数の触手を引き裂き、そのまま背中の甲羅に刃を突き立てた。だが、甲羅は想像以上に堅く、鎌の先が弾かれて届くことはない。

 怪物は小尾部分の触手の一部を断ち切られたことにより、暴れながら咆哮を繰り出し小さなレムナントの体を壁際に弾き飛ばした。


 「レムちゃん————————ッ!!」


 思わず声を出してしまうが、レムナントは空中で身を翻すと壁際で、先ほどの着地と同じように白い靄の蛇を生み出して衝撃を殺し、無傷のまま元の体勢に戻る。

 対するゲノミルピードは、しばらく、切られた触手から紫色の体液を垂れ流していたが、即座に新たなる触手を生やし、レムナントに向けて怒りに満ちた赤い複眼を向ける。

 二人の間には空気に溶けるように揮発したゲノミルピードの体液が充満しているが、魔力を通しているレムナントの纏う“クテクウシ”という白無垢は、それらを透明な壁のようなもので防ぎ、彼女に害を及ぼしていない。


 それを確認したレムナントは、再び大鎌を握り直し、大地を蹴り飛ばす。今度は真正面からぶつかり合うように、ゲノミルピードの二本の触角の大鎌と、レムナントの漆黒の大鎌がぶつかり合う。


 素早くステップを踏むようにして、踊りながら弾き飛ばすレムナントではあるが、遠目から見ても、やはり体躯の違いによりパワー負けしているように思える。あたしが後方から支援をできれば状況は変化するのかもしれないが、魔力すら知覚することができないため、その光景を歯噛みしながら遠目で見ることしかできない。


 いや、そもそもとして、やはり、倒す必要はあるのだろうか……。

 出口に出られればそれで問題ないのだし、あたしさえ先に逃げてしまえば……


 レムナントが前足の一本を大鎌で切り飛ばす。しかし、ゲノミルピードはその瞬間に大きく飛びのき、距離を置いたのち、二本の触角をカチカチと鳴らしながら、こちらを警戒するような素振りを見せる。


 次の瞬間、ゲノミルピードは口を大きく開き、奇怪な音を発した。直後、地揺れのようなモノが発生し、そして、大地がレムナントを喰らう牙となった。

 あたしは信じられなかった……たしかに、ゲームなどでは魔術などを使うモンスターがいるが、まさか、ゲノミルピードもそれに当てはまるとは思わなかったからである。

 思えば、蟲毒のようなこんな場所にいるモンスターなのだから、できても不思議ではない……。失念していたと言われればそうだが、想像できなかったという方が正しいのかもしれない。

 しかし、現に目の前で、地面を自在に操り、同時に上から押しつぶすように雷のような魔術を放っていると誰が想像できるだろうか……。他でもない、タマヤスデの怪物が……



 だが、レムナントはそれに臆することなく、大鎌で大地を引き裂いたかと思うと、降り注いだ雷すらも、放り投げた漆黒の大鎌に吸い込ませ、大地に逃がしていく。

 大鎌は即座に黒い靄となって霧散し、ゲノミルピードの眼前で消え失せる。ゲノミルピードの複眼はそれらをほんのわずかな間だけ目線で追い、レムナントを見失う。

 レムナントはその隙に新たに、二本の漆黒の脇差を両手に生み出し、相手の懐へ足先から滑り込む。そして、振り抜いた両手の脇差で相手の首筋に僅かな傷をつけた。


 断ち切れなかったのは、やはり、単純に相手の表皮の堅さにも原因があるのだろう……




 彼女は再び距離を取り直して、肩で息をしながら件の怪物と対峙する……。そんな姿を見て、あたしはやはり、先ほどまでの『自分が先に逃げる』という考えが恥ずかしくなってくる。

 レムナントは命を張って戦い続けているというのに、これ幸いと、自分だけ逃げだすのは、最低のクズのやることではなかろうか……。


 それに、“友達”を見捨てて逃げるなど……あたしは絶対にしたくない!


 「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 あたしは絶叫染みた奇声を発しながら、必死に腰のマジックポーチに手を伸ばしながら走り出す。恐らく、近づけば近づくほど、ゲノミルピードの毒気にやられる可能性が高くなる。


 だが、それがどうだというのだ……


 恐怖にこそ、あたしの顔は歪んでいるが、それでも、たった一人で重荷を背負わせるほど、あたしは友達を無碍にできない……

 武器になりそうなもの……そんなものは見つからない……。以前見つけたときにあったステッキみたいなやつならどうだろうか……。鈍器として使えるのだろうか……

 おそらく、怪物の血液が毒物なのだろう。ならば血液さえ出なければ問題ない。だから、鈍器を扱うという選択肢は十二分に有効なはずである。



 刹那————————



 あたしが踏みしめたはずの大地が唐突に隆起し、体が大きく跳ね飛ばされる。おそらくはゲノミルピードの魔術であるのだが、パニック状態になっているあたしではどうしようもなく、空中に担ぎ上げられることになる。

 だが、逆に言えばこれは好機である……


 足元から隆起してくれたおかげで、むしろ大きな跳躍となってくれた。レムナントは驚いているが、今ならば、相手の顔面を、この推定魔術用の杖で殴り飛ばすことができる。

 奥歯を噛みしめれば、杖を握った手の汗も、その震えも少しはマシになる。



 だが、現実はそう甘くないらしい——————


 ゲノミルピードの赤い複眼が全てこちらに向いたかと思うと、口の中が瞬き、眩い光線がこちらに向けて放たれたからである。

 光の角度や照射時の威力はわからないが、こちらの体が耐えられるのかどうかという疑念には結論が出ている。あたしが身に着けている布切れみたいなドレスにそんなものができるはずもない。

 だからこそ、あたしは短慮な自分を反省し、死を覚悟した。









 違う————————ッ!!

 





 あたしは死ぬために前に進んだじゃない。

 友達を助けるために前に踏み出したのだ。それなのにこんなところで死んでたまるもんか……。


 大きく瞳が見開かれる————————


 目を瞑っていては何もできない。手足を動かしても、空中では蹴るものがない。いや、本当にそうだろうか……

 だってここは、酷い光景ながらも魔術がある世界であり、その世界には魔力があるとあたしは知っている。あたしが魔術を使えないのは、魔力を知覚できないから……。だったら、その魔力さえ知覚することができれば、逆説的に、魔術が使えることになる。



 でも、どうやって————————



 アニメや漫画ではどうやっていた?

 ゲームではどうやっていた?

 レムナントはどうやっていた?

 目の前の怪物はどうやっていた?



 わからない……あたしにはわからない……

 

 ————————でも……














 この体は憶えている————————ッ!!




 あたしは、眼前に迫る光線に向けて杖を振り下ろし、無我夢中で咆哮する。それは声にならない声となり、同時に、全身の血が沸騰するように熱かった。

 全身に得体のしれない感覚が駆け巡り、心臓がはち切れる程の鼓動を刻む。だが、その苦しさと同時に、振り下ろしたはずの杖につけられた装飾品の石が真っ赤に輝いた。


 それは、炎……否、制御を失っているその炎は秩序めいたものではなく、もはや爆発と呼ぶに等しい。その爆発は、衝撃波として荒れ狂い、連鎖的な破裂を起こしたかと思うと、光線を真正面から弾き飛ばし、その光の雨で光線を放ったゲノミルピード自らの節足を何本も破壊していった。


 しかし、それだけでは止まらず、火炎の衝撃だけでゲノミルピードの複眼がある頭部を焼き焦がし、同時に、鈍器で上から叩きつけたように怯ませる。だが、それはもちろん相手に対してだけではない。制御ができていないその爆発は、当然のことながらあたしの体を巻き込み、炎の海に飲み込みながら、衝撃で反対方向に弾き飛ばす。


 だが、不思議と熱さは感じない……


 それどころか、熱風による息苦しさすらも感じない……。弾き飛ばされたはずの体も、地面を踏みしめようとして踏ん張ると、体の熱を奪われる感覚と共に、減速する。


 そうして、壁際でようやく停止して、あたしは状況をようやく理解した。



 空中に立っているのだ……あたし自身が———————ッ!?


 油断した瞬間にバランスを失い、重力に従うようにして地面に落下する……が、やはり痛みは少ない……。全身を見てみると、白いドレスのような衣服の繊維がわずかに煌めいていて、仄かな熱を感じ取れる……


 「そうか……あたしの衣服も……」


 想像をしたことがある……。レムナントの衣服がそうであるのならば、もしかしたら自分の衣服も、魔術的な防具ではなかろうか、と……。だからこそ、今の状況を、何となくだが理解できた。

 おそらく、咄嗟に体が衣服に魔力を通し、あたしを外傷から護ったという単純な話……。発動させることができた爆炎も、それと同じ理屈……。

 未だに制御できるわけではないが、魔力というものが何となくだがわかり始めた……


 「イツキ!! 大丈夫デスか!!」


 レムナントが眼前で沈黙しているゲノミルピードを無視してこちらに駆け寄ってくる。だが、こちらの様子を見るなり、一瞬だけ困惑して、そして、胸を撫でおろしていた。


 「えへへ……なんとか……」

 「無茶をしすぎデス!! それより、今のは……」

 「たぶん、なんとなーくできただけ……。狙ってやるためにはもう少し時間がかかるかも……」

 「いえ、それでも————————」


 レムナントの声が、唐突な、高音のハウリングボイスにより掻き消える。レムナントとあたしは思わず両耳を塞ぎ、その大声量に耐え忍んだ。

 音源は当然のことながら先ほど頭に爆発を撃ち込んだゲノミルピード……


 だが、奴は、それなりの致命傷を与えた……は……ず……



 あたしは一瞬、思考がまとまらず、瞳を大きく見開くことになる。どうして、タマヤスデだと思っていたゲノミルピードの背中がひび割れているのだろうか……。あの部分にダメージはなかったはずである。

 それ以前に、そのヒビから這い出ようとしている巨大な腕は誰のものであるのか……



 あれはそもそも……ゲノミルピードというモンスターだったのだろうか……。



 全ての疑問を喰らい尽くすように、ゲノミルピードは脱皮をするかのように、背中から新たなる絶望を眼前で生み出した————————



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