第3話 星の大空洞Ⅱ
「いやぁぁあああああああ!!! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!」
あたしは泣き叫びながらとにかく走り続けていた。後ろには四足歩行の節足動物……というか、茶色の甲殻に覆われたよくわからない推定2.5メートルの虫がいる。
ゲームでならばこんなものは簡単に倒せると思う……が、しかし現実はどうだろうか……。身体能力は、あたしでもびっくりするほどあるのに、攻撃を当てるどころか、立ち向かうことすら難しい。
人間は、自分より大きなものに恐怖を覚えることがあると言うが、それが関係しているのだろうか……いや、そんな単純な事よりも、カチカチと顎のハサミを鳴らして、こちらを捕食しに襲ってきていることが一番の問題ではなかろうか……
「少しは応戦してくだサイ!」
そう言いながら、レムナントがコマのように回転して、虫系モンスターの横腹を突くように漆黒の大鎌を振るう。だが、堅い表皮に阻まれて刃先がそれ以上通らない。本当にコレ……最初からラストダンジョンに放り込まれた村人の気分……
なんとかしなきゃ、レムナントがやられてしまう……。そうしたら次はあたしだ……。
バカか、あたしは————————ッ!!
どうして、レムナントを犠牲にすることを考えているんだ……。そんな思考は……あの最低なクズどもと一緒じゃないか……。あたしは違う……あたしは違うんだ!
あたしは地面を蹴り上げながら踵を返して、レムナントと激しい攻防を繰り広げている巨虫をもう一度凝視する。恐怖で胃の中の内容物がこみあげてくるが、そんなことは重要な事じゃない。だって、奥歯を噛みしめれば、脚の震えだって止まるのだから……
見ろ————————ッ!!
相手を見ろ————————ッ!!
スポーツでも、アクションゲームでも、攻略の第一歩は相手の観察だ。今、相手の注意がそちらに向いているのならば、数秒という短い猶予だが、相手をじっくりと観察できる。
顎には鋭いハサミ。四つの足には棘と共に壁を走れるかぎ爪。後ろの尻尾のような二本足は……なんでついているのかよくわからない。それらを覆いつくすほどの堅い甲羅のような表皮……お腹周りは柔らかいのかな……いや、滅茶苦茶堅いな、アレ……
レムナントの振り上げるような動きに反応して虫のモンスターが大きく飛びのく。収納されていた羽を振動させ、埃を舞い上げながら、少し広めの洞窟内の壁に張りついて距離を取り直す。どこを向いているのかもわからない丸い眼球が動くたびに次なる攻撃による恐怖を呼び覚ます……
怖い……けど……弱点はよくわかった————————
「レムちゃん!! 羽の下—————ッ!!」
こちらの声に反応し、レムナントが大きく跳躍し、壁に張り付いている怪物を追いかける。数回ほど壁に張り付きながら一人と1匹は攻防を繰り広げるが、その後に再び虫の怪物が距離を取るように羽を広げて大きく飛びのいた。
それを見て、あたしは恐怖に竦む足に鞭を打ちながら地面を蹴り上げる。目指すのは虫の落下地点……おそらく、あの虫の眼球は後ろのあたしも視界にとらえているはず……そしてそれが、落下狩りをしてくると考えてくれるのならば……
虫の動きが変わる————————
空中で身を捻るようにして、こちらに顎のハサミを向けて、むしろこちらを落下と同時に喰らおうとする動きにすら変化する。
いや、まって……攻撃に転ずるとか聞いてない……
「いやぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
あたしは両足で前に進んでいる体に急ブレーキをかけて、足を滑らせながら、元々いた位置にUターンして走り出す。もう、何を叫んでいるのかすら記憶にない。
とにかく、怪物に食べられないように……
「隙あり……デス————————ッ!!」
レムナントの声が空洞内に響き渡り、同時に何か柔らかいものを引き割く音……そしてそれと同時に聞こえてくる虫の怪物の叫び声……
赤色ではない粘性の液体が飛び散り、レムナントの白無垢に襲い掛かる。だが、レムナントはそれを意に返すことなく、体重を移動しながら大鎌を振りまわし、力任せに怪物の腹部の表皮を引きはがした。
不自然な体制で落下した虫の怪物は腹に響くような重低音を轟かせるが、背中から落下して悶え苦しむその姿は、普通に気持ち悪い。ゴキブリがお腹を見せて足をばたつかせているそれに近いような気さえする……
しかし、そんな巨虫にとどめを刺すべくレムナントが天井から落下し、表皮がはがれて無防備になった腹部に鎌を振り下ろし、今度は首元の装甲に引っかけた。そして、小さな体からは想像できないほどの怪力で、虫を振り回し、空洞内の壁や床に何度も怪物の頭を叩きつける。
その姿は、まるで踊り子が水辺でダンスをしているように見えるが、やっている間に怪物の悲鳴や黒く粘性の液体がビチャビチャという奇怪な音を立てて飛び散っているので、実際はもっとグロテスクであった……
ファンタジーの世界って……こんな感じだっけ……もっとこう……妖精とかが体の周りを飛び回って……お花畑が見えるような……
考えるのはもうやめよう……
あたしは完全に動かなくなった虫の上から飛び降りてくるレムナントに、死んだ魚のような目をしながら歩み寄ると、レムナントは得意げに鼻を鳴らして来る。
「どうデスか!? やりマシたよ!」
「いやいやいや、
「何がちがうというのデスか?」
「まってまって! その汚い液体ついたままでこっちにこない……あれ?」
ここでようやく気付いたのだが、レムナントの着ている白無垢が全く汚れていないどころか、水滴一つついているようには見えない。先ほどまであれだけの返り血を浴びていたはずなのに……
そんなあたしの視線に気づいたのか、レムナントは自分の着ている白無垢の具合を確かめながら小首をかしげる。
「汚れて……ない?」
「普通ではないのデスか? 防具に魔力を通せば、障壁が発生しマスし」
「……障壁?」
「体液が猛毒のモンスターもいるのデス。先人の知恵というやつデスね」
成程……つまり……防具……というか、着ている服に魔力とやらを通せば、怪我もしにくく、服が破けることもない、と……。魔力の通し方、あたしはさっぱりわからないけど。
「あぁ、でも……もう限界かも……今日で何日目だっけ?」
「うーん……太陽がありマセんので、正確ではないデスが……4日程だと思いマスね」
「あっちに行っても行き止まり、こっちに行っても断崖絶壁。ついでにそっちに行ったら怪物の巣穴……もうやだー」
「文句をつけないで欲しいデス。お荷物なのはそちらなのデスから……。それに、アレはまだ弱い方デス」
レムナントが虫の死骸を指さしながら怒りを露わにする。そう……この4日間で痛いほどわかったのだが……あの虫の化け物ですら、ここでは低級のモンスター……。そもそも、出くわすべきではないヤバいやつとか、マグマを泳いでいる魚とか……もう何でもありのカオス空間がここにある。
だから、あたしとレムナントの戦闘と言えば、まぁ……9割が『逃げる』ことである。
それは、あたしが闘えないことも一因としてあるのだが、そもそもとして闊歩する敵が強すぎる……。堅いし、状態異常攻撃してくるし、素早いし、それでいて知性が高い。
もっとこう……かわいいやつが……
「おや……またなにか来マスね……」
レムナントの声に反応してあたしは再び現実に引き戻される。だが、その緊張はすぐに解けて消えた。何故ならば、暗がりから現れたのは白い毛並みを持つ可愛らしいウサギであったからだ。
ウサギは口元をもごもご動かしながら、こちらに少しずつ跳んでやってくる。そのあまりの可愛さにあたしは顔をほころばせて、和んだ。
「あぁ……こういうやつが一番助かるー。みんなこんな感じで、可愛ければいいのになー」
そう言いながらあたしは、手を差し出しながらその愛くるしい毛並みを撫でようとした。
刹那————————
襟首をつかまれ、レムナントに強引に引き寄せられた。そしてその直後に聞こえてくるカチカチという歯ぎしりの音……。後ろに引きずられながらあたしが見たのは、ウサギの顔が4つに割れ、人を丸呑みできる程の大きな口が露わになったバカみたいな光景である。あと少し遅ければ、腕を食われていたかもしれない。
その事実にあたしが恐怖に唇を震わせていると、推定ウサギの伸びた顔が元に戻り、元の愛くるしいような表情に戻る……。
「死にたいのデスか?」
「いやいやいや!! 何アレ!? キモッ!?」
「とりあえず、ここは退きますよ。アレは集団で行動するみたいデスから」
そう言いながらレムナントはこちらの腕を掴み上げて一目散に走りだす。背後からはこちらを追いかけて来る足音が聞こえ、それよりも遥かに大きな音で、何かを噛み砕くような破壊音も聞こえてくる。
それはもはや、鉄をスクラップにするためのプレス機の音に近く、あの愛くるしいウサギが虫の肉体を噛みちぎっているなどと言うことは考えたくもない……。
返して……ファンタジー世界に夢を見たあたしの羨望を返して……
もう本当にやだ……この世界……
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