第2話 星の大空洞


 一緒に食事をとりながら、レムナントと名乗った女の子から様々なことを質問してまとめると、この世界は概ね、ファンタジー世界のソレと一致しているらしいことがわかった。ただ、ファンタジーとはかけ離れた要素が多々あって、家電製品などがその最たる例。

 なんとこの世界には、冷蔵庫や電子レンジ、コンロ、テレビやラジオ、洗濯機などがあるらしい。あくまでも似ているものであるのだが、それでも流石に自動車が走っていると聞いたときには腰を抜かしそうになった。こういうファンタジー世界では普通は馬や徒歩で移動するのが常識というものではないだろうか……

 もちろん、未だに馬を使う人も数多くいると聞くが、それでも驚くほどに文明発達を遂げている。唯一ないのがスマホであるのだが、一応は通信端末に類するものがあるらしく、いつかは手に入れてみたいとは思った。もしかしたら、荷物のどこかにあるのかもしれないが……


 一番、気になったのは魔法の有無であるのだが……どうやらこの世界では“魔術”と呼称しているらしい。やり方をレムナントに教えてもらいながらやっては見たが、上手くいかない。

 魔力を込める? らしいのだが、その扱い方がわからないし、そもそも魔力が何かを自覚することもできない。一応、肉体面はモデルのような体型に似合わず鍛えているようで、動くことに支障はないが、これではあんまりである……


 「イツキはもしかして、“迷い人”というやつデスか?」


 あたしが魔術を扱えないことに地団駄を踏んでいると、レムナントが小首をかしげて尋ねてくる。“迷い人”という単語が、何をさすのかはわからないが、この世界の住人でないという意味なのであれば正しいのかもしれない。


 「それって、他の世界の記憶を持っているっていう意味?」

 「概ねその通りデス」

 「なら、合ってると思う。どうしてそう思ったの?」

 「色々なことを知らな過ぎているからデス。常識的なことまで知らないとなると、そういう結論に行きつく方が自然デス」

 「そりゃあ……そっかぁ……」


 あたしは、自分の中で勝手に納得して、少しだけ反省する。レムナントを信じると誓ったものの、あまりにも不用心すぎたかもしれない。他人を信用していいことなんて何もないのに……


 自分以外の人間なんて当てにならないし、なんなら、人が傷つくことを平然としてくる。無遠慮というよりは、集団形成において失敗した人間を玩具にして遊ぶ悪癖がある、と言った方がいいのかもしれない。


 じゃあ、なんで、レムナントを信じたのだろうか————————



 それは、あたしにもわからない。わからないけど……そういう人間から、彼女はかけ離れていると思ってしまったからに違いない。嘘をついているようには見えないし、何らかの見返りを求めて下卑た笑みを浮かべてもいない。

 ただ純粋に、真っ直ぐ、それでいて、誰よりも『生きること』に執着しているように思える。そういう人は初めて見たから、信じてしまったのだろう……。


 「ほら、とっとと荷物をまとめてくだサイ」

 「ほーい。40秒で支度するよー」

 「わけのわからないことを言わないでくだサイ」

 「ごめんちゃい」

 「まったく、“迷い人”は皆、あなたのように頭のネジが飛んでいると聞いていましたが事実だったとは……」


 さらっと毒舌を言うあたり、この人物は本当に嘘をつくのが下手なのだろう。まぁ、上辺だけの綺麗な面を見せられても気持ちが悪いのだが……


 物思いに耽っていてはまたレムナントに怒られてしまうため、あたしは荷物をもう一度マジックバックにしまい込み、移動を開始する。一応、カバンの中を一通り見てはみたが、武器らしきものは簡素な杖とナイフしかなかった。もしかしたら、ここに来るまでに落としてしまったのかもしれない。だから今は、戦闘に仕えるのかもわからない簡素なナイフを腰につけるしかない。

 杖は鈍器にしかならないし、狭い坑道内では少々扱いにくい……。


 それは、実際に歩いてみてよくわかる。天然にできた洞窟など、ゲームのように一定間隔で広がってはいない。人一人がギリギリ通れるところなど腐るほどある。加えて、迷路のようでもあるため、マーキングをしながら進んでいくしかない。

 そんな単調作業を繰り返していると、無言で歩くことに耐えられなくなったのか、レムナントが先に口を開いた。


 「イツキは……元の世界に帰りたいのデスか?」

 「え————————」


 唐突な質問に、あたしは言葉を詰まらせてしまう。歩いている足は止めることはしなかったが、それでも、ランタンの灯りに照らされたレムナントの表情が、ほんの少しだけ不気味に見えてしまった。


 「たった一人で……こんなところに投げ出されて、寂しくはないかと疑問に思っただけデス。他意はありマセん」

 「そ、そっか……そうだよねー。あはは……」


 笑ってごまかしながら、自分のことを少しだけ振り返ってみる。答えなど、わかり切っているはずなのに……


 「実際どうなんだろう……。こんな状況だから考えてなかった」

 「そうデスか……。なら、それでいいです……」

 「まって————————」


 どうして、言葉を止めてしまったのか。どうして先を歩くレムナントの腕を掴んで止めてしまったのかなどというのは起こってしまってからでは考える余裕などない。でも、何となくだが、ここで言わなければ、一生、機会を逃すような気さえした。

 だから、そのほんの少しの勇気に身を任せて口を開く……


 「あたし……は……たぶん……戻りたくは……ない……と思う?」

 「随分と自信がない回答デスね」

 「あはは……ごめんねー。でも、答えは事実だと思う……だって、あたしは……」


 また言葉に詰まる————————

 真っ直ぐなレムナントの顔を見るたびに、ひねくれ続けてきた自分自身が鏡のように映し出されるようで胸が痛くなる。

 それでも、この世界で生きるというのならば、必ず通らなければならない道……


 「あたしね……実は……誰からも愛されていないんだ……。親には暴力を振るわれて……学校でも、友達なんて言える人もいなかったし……。毎日が死にたいぐらいに……酷い日々で……」

 「だから、戻りたくはないのデスか?」

 「うん……。あんな地獄にいるぐらいなら、今、レムちゃんといる方が……何十倍も幸せなぐらい……」

 「————————なぜ?」

 「だって……だってさ……。あたしを殴らないんだよ……。ちゃんと、人として扱ってくれるんだよ……。それが危機的状況だから仕方なくっていう面もあるのかもしれないけど……。だけど……だけどね……。それが……そんな些細なことが、あたしには————————」


 振り向いたレムナントがあたしの手を両手で包み込むように握ったことで、彼女の体温が自然と肌に伝わってくる。その温かさに驚いて顔を上げると、レムナントが真っ直ぐにこちらを見て微笑んでいた。


 「それは、些細な事ではないデスよ……。それがいかに大切であるかは、レムナントがよく知っていマス」

 「レムちゃんが?」

 「もしかしたら、ここで出会ったのは、単なる偶然ではなかったのかもしれないデスね」


 レムナントは一度手を放し、こちらに背を向けて歩き出す。あたしはそれを追うようにして再び足を進め始めた。


 「ワタシも……捨てられたんデス……。疎まれ、憎まれ、気味悪がられて……御師様と出会うまではそれが日常でシタ。生きる理由も、生きる術もなく、逃げられない呪縛にまとわりつかれて……毎日が地獄のような日々……。でも、きっかけ一つで変わるものデス。バカみたいにあっさりと……」

 「レムちゃん……」

 「けど、きっかけはいい方ばかりじゃなくて、悪い方にも動きマス。御師様は殺され、そのとき、レムナントは何もできずにベッドで寝ていただけでシタ。だからこそ、急いで動き出してみればこの始末……。他人の過去なんていうものはそんなものデス。自分にとっては重いものでも、他人にしてみれば、くだらない記録の断片————————」

 「じゃあ、レムちゃんにとって、あたしの過去はくだらないってこと?」

 「それをレムナントが語ることに何の意味があるのデスか……。あなたは、その過去があって、今、この世界で生きようとしている。それだけの事実で十分なはずデス……。違いマスか?」


 少しだけ胸が熱くなる……。レムナントが前を向いているおかげで、眼がしらにこみあげてきたものを見られる心配はないが……この表情は……今の彼女には見せられない……。



 自分を初めて肯定してくれた————————


 それが、何よりも嬉しかった。

 親にも、教師にも、クラスメイトにも、自分を肯定してくれるものなど誰もいなかった。皆、こちらを人間だとは思わず、玩具のように扱う……。それなのに、レムナントいう女の子は、真っ直ぐにこちらを見て、受け入れてくれる……



 もう、やめにしよう————————



 彼女を疑うこと……。彼女を信じないこと……。それらすべてをやめにしよう。信じて、彼女と共にここを脱出する。そのことだけに注力しよう。それだけの価値が、ここにはある……

 今まで、一度たりともやってこなかったことだけど、ここでなら……彼女と一緒でなら、そんな初めてでもできる気がする……。



 「いた————————ッ!!」


 そんなあたしの感傷を崩すように、唐突にレムナントが立ち止まったため、あたしは急には止まれず、彼女の背中にぶつかって跳ね返され、尻餅をついてしまう。


 「そんな……」


 だが、そんな平和的なあたしとは正反対に、暗がりで見えるレムナントの表情は非常に懐疑的であり、同時に戦慄していた。何があったのかとあたしがレムナントの横に並び立ち、状況を確認する。


 その瞬間、あたしの目は目の前に広がっている光景を疑ってしまった——————


 灯りすら届かない遥か下まで続く、大きな縦穴。反対側の淵など見えないほどに遠く、断崖絶壁の地獄が目の前に広がり続けていた。しかし、それだけではなく、階下には、蠢くような無数の光が右往左往していており、時に自然のものとは思えないような奇怪な叫び声すらこだまする。

 ここが本当に地獄ではないかと疑いたくなるような光景が目の前に存在した。


 「“アビスホール”……。まさか、星の大空洞に落ちていたなんて最悪デス」

 「星の……大空洞?」


 額に手を当てて、絶望に打ちひしがれるレムナントとは対照的に、あたしは状況を掴めず困惑するしかなかった。


 「平均レベル150……この世のモンスターを閉じ込めた天然の蟲毒……。帝国すら手を出しあぐねる未開拓領域の多い、地獄デス……」


 あぁ……そうか……そういうことか……。今目の前に広がる縦穴は、言葉を借りるならば、ありとあらゆる怪物毒虫を集めた壺。だとしたら、階下に広がっている様々な光は、暗黒でこちらを見る怪物たちの獲物を捕らえる視線————————


 背筋が凍り付いたような気がした……


 未だに戦闘などは経験したことがないが、自分よりも遥かに大きい怪物が闊歩しているという事実だけで、喉を唾が通らない。

 あたしは……ここを本当に出ることができるのだろうか————————



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