第8話 勇者のお話Ⅰ


 偶発的に勇者として選ばれ、その生涯を全うしたヒルデガルドはかつて、精神を病んだことがあった。

 それは、“勇者の槍杖”と契約してしまった直後の出来事……。知見を得るために訪れた宝物庫でガラスケース越しにそれに魅入られ、そして武器からも選ばれた彼女に訪れた悲劇……


 それは、契約の反動として訪れたアーティファクトによる侵蝕である。

 一部の例外を除き、国が管理し、契約者とアーティファクトそのものを保護するのにはこういった理由がある。アーティファクトは、現代では再現できない強力な力を持つ反面、契約者は代償として“何かを失う”のである。

 例えば、ブリューナス王国が新たに勇者として認めたユーリという青年に与えられた“聖剣デュランダル”の場合、『契約者の死後の未来を奪う』という制約がある。つまるところ、平穏な死は訪れず、死後も何らかの悲劇に襲われることになる。もしかしたら、その人物の名声や存在が歴史から消え去る可能性すらありうる。

 それが、アーティファクトという古代兵器である。



 そんなアーティファクトと契約し、“勇者の槍杖マルミアドワーズ”を得たヒルデガルドが失ったものは『人間性』であった。それは性格を表す言葉ではなく、体質を表す言葉であり、彼女は契約した結果として『人の嘘や悪意がわかる』ようになってしまったのである。


 つまり、死ぬ間際ですら苦しい顔を見せなかった彼女を追い詰めたのは、彼女の周囲にいる人間たちだった。



 オンオフができず、善意でついた嘘ですらわかってしまうことは悲劇に等しい。ふとした事でも、何らかの裏があって接していることが常にわかるというのは、“気持ち悪い”ものだからである。

 それは、特に、様々な思惑が入り乱れる王宮内では顕著であり、結果、彼女は誰も信じることができず、数週間ほど、自室に引き籠るようになり、誰とも接触を図ろうとはしなくなった。



 そんな彼女が変わった理由はたった一つの事件である。



 それは誰もが寝静まった夜のこと。

 幼いヒルデガルドにとって、この時間は窓を開けても庭先の誰かの声が入ってこない至福の時間だった。だが、それはこの日に限ってそうはならなかった。


 いつものように窓を開け放ち、綺麗な星空を眺めていたその時、遠くからふと、短い悲鳴が聞こえてきた。ヒルデガルドは、なにか不祥事でも起きたのではないかと勘繰り、デッキから身を乗り出すように階下の庭を見てみるが何もない。

 首をかしげていると、頭の上を何かが通り過ぎ、直後に、部屋の中の棚にその何かがぶつかるような音が鳴り響いた。


 ヒルデガルドは慌てて振り返り、様子を確認するためにそちらの方に走り寄ると、そこにはぶつけた腰をさすっている同年代と思しき少年がいた。

 鋭いような目つきに最初は怯えたが、彼から悪意のようなものは何故か感じ取れなかった。


 「—————いつっ……」

 「あなたは……誰ですか?」


 ふとした疑問をヒルデガルドは少年に投げかける。すると少年は我に返ったように驚き、床に座った姿勢のまま、ここで初めてヒルデガルドの顔を見た。

 月明りの逆光は、彼女の端整な顔つきをさらに整え、女神か何かのように魅せたことだろう。結果として、少年は言葉を失うことになった。


 「あなたに問います。あなたは一体何者ですか? 名乗らなければ、警備兵を呼びます」

 「あ、えっと……別に怪しいモノじゃなくて、俺はただ……」

 「名前を聞いているのです。怪しいものではないのなら名乗りなさい」

 「え、あ、ごめん。俺はパラドイン・オータムです」


 少年は名乗った後に、やらかしてしまったかのように口を紡ぐ。その所作から、焦ると全てを台無しにしてしまうような性格ではないかと将来を疑いたくもなった。


 「オータム伯爵家の子息? それが、なぜこんな時間にこの部屋に? ここがヒルデガルド・ブリューナスの部屋であるとわかってのことですか?」


 この問いかけで、『この人物が悪意を持ってここに来たことがあぶり出せる』、そう、ヒルデガルドは考えていた。だが、その予想に反して、幼いパラドは小首をかしげ、数秒間、事態の把握に時間を要していた。


 「————————え? それかなりマズいんじゃ……。あ、ごめん、今日のことは何もなかったということで……」

 「おい、ちょっと待て」


 立ち上がって、そそくさと立ち去ろうとするパラドを、ヒルデガルドは言葉で制する。すると、パラドの背中がわずかに震えた。


 「あなたが壊したこの衣装棚。これをなかったことにできるとでも?」

 「そりゃー、そうだな。後で弁償する、それじゃ!」

 「逃がすわけないでしょ。それに弁償しなくていいですから!」


 何を思ったのか、ヒルデガルドは彼を引き留めていた。それは、彼女自身が彼に対して特別な感情を抱いていたというわけではない。ただ単純に、彼から、悪意や嘘が読み取れなかったからである。

 特殊な耐性を持っているのか、それとも単純に真っ直ぐな性格であるのかはわからない。でも、なぜだか、彼に対しては少しぐらい正直になってもいいと、ヒルデガルドが思ってしまった。それは、彼女の“寂しがりや”な正確に起因していることは当の本人は当然のことながら気づいていない。


 「じゃあ、何が望みなんだ……まさか命か!」

 「取りませんよ、そんな物騒なもの!」

 「じゃあ、なにが欲しいんだ! 強請ったってなにも出せないぞ!」

 「いらないって言ってるでしょうが! だーかーらー、少しだけ話をしたいだけなんですー!」


 癇癪を起して地団駄を踏む彼女は年相応であり、自らの醜態に気づいて口を両手で覆った彼女の姿もまた、年相応であった。


 「話したいと言われても……お姫様を満足させられるような話題は持ってないが?」

 「じゃあ、私から質問します。あなたはこんな夜中にいったい何をしていたのですか?」

 「んー……魔術実験?」

 「え————————」

 「だから、魔術実験だって……飛行デバイスなしで空を飛ぶ実験。大昔の魔術師ができていたことの再現だけど、やってみたくて色々試してた」


 そう言いながら彼は部屋の中央に落ちていた竹箒を手に取り、自慢げに見せてくる。その光景を数秒間、開いた口を塞がないまま見ていたヒルデガルドだが、事のおかしさにやがてはこらえきれなくなり、お腹を押さえて笑い出す。


 「アハハハハ! 何それ! バカらしいにもほどがあるんですけど!」

 「おかしいことは何もないだろ」

 「だって、今の時代。飛行デバイスを使えばだれでも空を飛べるじゃないですか。それなのに前時代的な飛び方をやるなんて……」

 「非効率極まりないか?」

 「そりゃそうでしょ……」


 ヒルデガルドは真面目に言っているパラドの顔を見て、我に返り、同時に自分が逆にバカにされているのではないかという錯覚すら覚える。

 しかし、彼に嘘をついている様子はなかった。


 「なら、ちょっとついてこい」


 そう言いながらパラドは何を思ったのか、ヒルデガルドの手を掴み、強引にテラスの方へと誘導する。そして、ヒルデガルドが反論反撃する暇も与えず、竹箒に何らかの魔術を付与し、そして大地を蹴り上げた。


 その瞬間、箒に跨ったパラドは重力から解き放たれ、同時にそれに引っ張られるようにヒルデガルドの足が地面から離れていた。

 パラドは意外にも強い力でヒルデガルドの腕を引張り、ヒルデガルドは大慌てで恐怖から逃げるように彼の体を掴み、振り落とされないように目を瞑り、必死にこらえた。


 もしかしたら、自分をこうやって暗殺や誘拐するために騙したのではないかと疑ったが、鼻歌混じりに風を切り裂きながら夜空を突き進むパラドがいたため、その疑念は即座に切り捨てられることになる。


 「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あなたは、私を殺す気ですか!!」

 「はぁ? そんなことする分けないじゃん。ただ、どういうものか知ってほしいだけだ」

 「それなら、あなただけが飛べばよかったじゃないですか!」

 「そうしたら、逃げたと思われるだろ」

 「思いませんよ!」


 怒りを露わにしながらヒルデガルドは恐る恐る足元の景色を見た。その瞬間、彼女は自身の怒りをどこかへと吹き飛ばし、ただその光景を眺めていた。


 上空にいる恐怖に足が竦んでいたわけではない。


 ただ、豆粒のような都市の点在する灯りが、美しく見えただけである————————



 しばし、その景色に魅入られていたヒルデガルドだが、パラドの声により現実に引き戻される。


 「俺の国の言葉にな……『温故知新』っていうのがあるんだ」

 「オンクォチシー? なんですか、それ……」

 「まぁ、簡単に言うならば、『新しいことを知るために古いこと理解する』って言うことだ」

 「それがこれですか?」

 「あぁ……機械に頼るのは後からでもできる。でも、まずはその原理をちゃんと知らなきゃ、ちゃんとした魔術を扱えない」

 「別にそれでいいじゃないですか。楽なんですし……」

 「まぁ、繰り返し練習して、使うだけならそれでいいのかもな。でも、次のステップに進むためにはそれじゃ足りない」

 「次のステップとはなんです?」

 「自分で魔術を新しく作る、っていうことだ。お生憎、考えただけでありとあらゆる術式を構築できるような超能力は持ち合わせていないからな」


 嘘は言っていない。悪意もない。ただ純粋な探求心が彼を動かしていたことがヒルデガルドにはわかった。ただ、わかったが故に、それを笑った自分自身が少しだけ恥ずかしくも思えた。


 「さっきはその……ごめんなさい」

 「なにが?」

 「だーかーらー、あなたの努力を笑ったことです」

 「別にいいんじゃない? 実際、やっていることは変人そのものだし」

 「自覚はあったんですね」

 「そりゃー、まぁ……」


 ヒルデガルドの視界からでは、パラドの背中しか見えないが、パラドが誤魔化したかのように苦笑いを浮かべていることを容易に想像できた。


 「なぜ、そこで笑うんですか?」

 「いや、なに……普通の人間は奇異の眼差しを向けるだけだからさ……」

 「はぁ? というか、あなた、さっきから失礼ですよ」

 「それは第一王女に対して無礼だと言っているのか?」

 「いえ、そうではなく、態度です。へらへらと……」

 「ご生憎様、性分なんでね」

 「皮肉が口に出るタイプですか、あなたは……。少しは腹の内に押しとどめる努力をしなければ、敵ばかりを作りますよ」

 「それは、お前に対しても……か?」


 悪意ではない善意の問いかけ……。この言葉に全てが込められていた……。

 ヒルデガルドはこの瞬間に、『何故、この人物から嘘や悪意が読み取れないのか』という疑問が解けてしまった。

 何のことはない。彼は、はじめから、ヒルデガルドが嘘を読み取れるとわかっていた、それだけのことである。


 「はじめから、これが狙いですか。わかっていて接触したんですか!」


 ヒルデガルドは飛び降りようと暴れ出し、パラドは大慌てでそれを抱き留めて無理やり体に密着させる。背中を何度も叩かれたが、パラドは思いのほかビクともしなかった。


 「いいや、完全に偶然だね。たまたま、制御を誤って落下したら、お前の部屋だった」

 「そんなウソついても無駄ですからね」


 ヒルデガルドは気づく。彼は嘘をついていない。本当にたまたま制御を誤って落下しただけであるという少年の発言の正しさに……


 「嘘かどうかはお前が一番よくわかってるだろ。“妖精眼”なんていうたいそうなものを持ってるんだからさ」

 「こんなもの、あなたに譲りたいぐらいですよ! 聞きたくもない嘘を聞かされる気持ちもわからないくせに!」

 「いや、そこは『どうしてそれを』って返すところじゃね?」

 「何言ってるんですか、あなたは————————ッ!!」


 風が頬を撫で、パラドから手を離される。会話に夢中になり、この人物を信用してしまったが故に殺されるのだとヒルデガルドは勘違いし、落下に備えて目を瞑った。

 だがしかし、即座に石畳のテラスの上に足がついたかのように、拍子抜けするような声を出してしまう。


 「尋ねないのなら話さないけど……。まぁ、そっちが拒否したってことは、弁償分の『お話』は終わったっていう認識でいいな」

 「はぁ!? 話はまだ終わってないですからね!」

 「だったら、そんなところに閉じこもってないで文句の一つでも言いにくればいいだろ」

 「できたら、やってます!」

 「あぁ、あと、引き籠るのはいいけど、風呂ぐらい入れよ。臭うぞ—————」

 「え————————ッ!!」


 ヒルデガルドは大慌てで自分の臭いをかぐために顔を左右に動かし始める。その隙に、パラドは再度飛行魔術を使用し、いつの間にか空へと逃げていた。

 それに気づいたヒルデガルドは地団駄を踏み鳴らし、怒りを露わにした。


 「失礼な人ですね! 憶えて置いてくださいよ、ぜぇーたい召喚してやる! 王族嘗めんな!」


 消えていくパラドの豆粒のような背中に対し人差し指を突き立てたヒルデガルドは奥歯を噛みしめる。

 その姿は勇者になる前のような以前のヒルデガルドの姿そのものであり、この件がきっかけとして、ヒルデガルドは国を愛し、国民から慕われる“勇者”としての第一歩を踏み出すことになった。

 なお、後日、王城にパラドが召喚されたのはまた別の話である。



 部屋を出て、“勇者”としてその能力を遺憾なく発揮するようになったヒルデガルドだが、自身が嘘や悪意を見抜いてしまうという体質を口外することはなかった。

 この事実を知っているのは、このひょんなきっかけと同様に、ヒルデガルド自身とパラドイン・オータムという人物だけである。


 これが、勇者ヒルデガルド・ブリューナスの始まりの物語である——————


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