第7話 あの頃には戻れない




 フローラが死んだ———————



 その事実のみが理路整然とアリッサの頭の中にあり続ける。

 後続部隊に保護され、撤退する装甲車の中で、濡れた衣服すらも乾かさないまま、アリッサはうずくまる。

 同行した人たちも、皆、同じように誰かを失ったのか、陽気に話す人物などいない。しかし、それこそがここでの日常。隣で寝ていた友人が、次の日に冷たくなっていることが当たり前の世界……


 それが今回、たまたまフローラであっただけのこと……


 ただそれだけの事実であるのに、アリッサの思考は空回りを続けていた。

 確かに、アリッサ自身も多くの命を奪い、狂気に身を投じてきた。だからこそ、恨まれて死ぬ覚悟もあり、それが当然だと受け止めている。しかし、それでも、大切な友人を失い、悲しみに暮れる感情を、アリッサは未だに持ち合わせている。


 きっと、生きているから———————


 などという甘い期待にどっぷりと浸かることもない。その代わり、ぶつけようもない感情が頭の中で反芻し続ける。

 膝を抱えてうずくまり、自分のした過ちに、後悔をし続ける。



 もしも、時間を戻せるのなら助けられるのだろうか……



 答えは否だ————————

 そんな能力や魔術は存在しない。例え実現できたとしても、ゲームのセーブデータをロードするかのように、別の選択肢を選ぶことなどできはしない。これは現実で、そんな単純な事象の組み合わせではない。



 もう戻れない……

 フローラの笑顔はもう見れない……



 アリッサはそんな単純なことを最後に頭の中で思い浮かべ、そして、暴れまわる感情に蓋をする。


 とても簡単な作業————————


 人を殺すときと同じように、自分の中に暴れる感情を抑え込むだけの簡単な作業。いつも通りに、完璧に、涙一つ流すこともなく、アリッサという怪物は行える。

 そんな簡単な作業が終わりを迎えたその時、丁度目的地に着いたのか、車の揺れが収まり、乗っていた車両が停車した。数十秒としないうちに、誰かが後ろのドアを開け放ち、降りるように指示を飛ばす。

 アリッサを含めたほぼすべての人間は未だに冷たい雨が降りしきる中、泥で汚れた地面に足をつける。あまりの冷たさに空を見上げてみれば、いつの間にか雨から一部が凍り付いた水分量が多い雪に変わり始めていた。

 その降雪量は、あと数時間もしないうちに周囲を雪景色に変えてしまうことがすぐにでもわかる。しかし、誰もがそれに気を止めることなく、駐屯地に向けて重い足を動かし続けていた。



 アリッサは途中まで一緒にここまで来た兵士たちと共に居たが、歩いている途中で他の人物に呼び止められ、別の場所に通される。

 マーキーテントの布を手で払いのけながら案内された中に入ると、そこには、アリッサと共に出撃していたキサラと、小さな軍服に身を包んでいるシュテファーニエがいた。二人には、話さずとも事情は伝わっているはずである。


 「アリッサ……大丈夫ですか?」


 キサラが少しだけ顔を歪めながらこちらをのぞき込んでくる。彼女も彼女なりにショックを受けているようであるが、上手く押し殺しているように見える。だからこそ、アリッサは泥で汚れた顔のまま、いつものような柔和な笑みを浮かべて返す。


 「大丈夫だよ。心配しないで、キサラさん……」


 その言葉に二人は押し黙り、それ以上を話そうとはしない。

 少しだけ間を置いて、何事もなかったかのように続ける。それが、この狂気の世界での常識であるかのように……


 「とりあえず、現状の情報共有だけはさせてくれ。我が軍が疲弊していたところにオルデル川の氾濫が重なり、戦線維持は困難。よって、現刻をもって、撤退が決定した」

 「どこまで撤退するんですか?」

 「シレムまでだ。場合によっては、ポスナーゼン公爵領そのものを放棄する」

 「戦略的な敗北ですね……」


 キサラの言葉を聞いてシュテファーニエは少しだけ眉をひそめる。アリッサはそんなシュテファーニエの横を通り、テーブルの上に広げられた地図を凝視する。


 「————————姫様。どうして、このタイミングで撤退を?」

 「何が言いたいんだ、アリッサくん」

 「北方戦線は膠着状態。そして、この公爵領を手放せば、首都リンデルが狙われるリスクが高い。なのにどうして、撤退をするのかが、わからないんです」


 アリッサは紙製の地図を指でなぞるように、既に印がつけられた点を取り囲み始める。


 「湯水のように人的、そして物的資源を投入している帝国軍……。やっぱりおかしい……制空権が取れていないのに……」

 「アリッサ? 頭でも打ちましたか?」

 「いや、キサラ。少し続けさせてくれ」

 「姫様に確認です。この地域の制空権は今、どちら側にありますか?」

 「さて、何とも言えない状況だが、戦力と投じれば、容易に取れるだろうな」


 シュテファーニエはアリッサが何かに感づいたのに気付き、顔をほころばせた。対し、アリッサは少しだけ考え込むような仕草を見せ、顎を手で触った。その瞬間、頭の上に乗っていた僅かな水滴が頬を伝い、地面に吸い込まれるように消えていく。


 「そうか……雪……。地面か……」

 「どうやらたどり着いたようだな」


 シュテファーニエは何かに気づいたアリッサを褒めたたえるように拍手し、そして、ペンを取り出しながら地図に線を引いていく。


 「我が国の南東に位置し、帝国と国境を接しているレスデン伯爵は守るのが非常に得意だ。だからこそ、動かず、そして帝国軍ひいてはネセラウス伯爵も攻め落とせない」

 「故に、内乱で弱っているポスナーゼン公爵領から進行しようとしたということですか……」

 「その通りだ、キサラ。だが、戦場とはチェスや将棋のように単純なものじゃない。天候や道路状況、民意や戦意など、複雑に絡み合う……。若きネセラウス伯爵はボードゲームのように見ているようだがな……」

 「姫様も若いんじゃ……というか、姫様の方が年下ですよね」

 「私は複雑な事情があって、色々な経験がある。だから、例外だ」


 自らの若さを否定しながらシュテファーニエは不敵な笑みを浮かべ、そして、地図上にバツ印を追加していく。


 「今から明かす攻勢計画はキミたちだから伝える。そして、そのキミたちが何よりのキーマンになる」

 「姫様……しかしながら、我々はフローラを……」

 「————————やるよ」


 アリッサの顔色を伺いながら参戦を取りやめようとしたキサラに対し、アリッサは力強く、そして光彩の消えた瞳で頷いた。

 それを見たシュテファーニエは折り畳み式の椅子に腰かけ、そして膝を組み、悪魔のような笑みを浮かべた。それを目の当たりにしたキサラは思わず息を飲み、目の前の第三王女の年齢と、その中身全てを疑いだす。

 ひょっとしたら、とんでもない怪物が目の前にいるのではないかと……


 「いい返事だ。キサラはどうする?」

 「無論、アリッサがやるというのならば退く道理はありません」

 「ならばヨシ。これより、白作戦の説明をしようじゃないか……」


 そう言い放ち、シュテファーニエは座ったまま、言葉のみで、地図に示された記号たちの意味を説明し始める。

 その内容は、キサラやアリッサを主力魔術師として見据え、敵軍の横腹を殴りつけるようなものであった。

 前提とされたのは防御の考えに劣るエルドライヒ帝国の軍事ドクトリンと共に、現状の天候と路面変化、そして、補給線、冬季戦用装備の準備。それらを事細かに語る第三王女の姿は、12歳には見えず、戦場そのものを長らく経験してきた人物そのものであった。


 経験が浅いアリッサたちにもわかるように、かいつまんで説明を行い、作戦内容を頭に入れさせる。

 しかし、国家間の戦争は一人で完結するものではない。この作戦が敵に露呈することなく、むしろ、弱腰を見せたと他国を通じて誤情報を流し、攪乱した情報部の人間をはじめとして、様々な優秀な人材が関与している。

 現場を最小限の被害で防衛し続けている現場指揮官、補給を維持し続ける部隊員たち。それらすべてがまるで一つの機械のように芸術的に組みあがり、シュテファーニエを舞台装置の上で輝かせる。

 それは、ワンマンショーを見せるネセラウス伯爵軍とは正反対のように見えた。




 こうして、アリッサたちに作戦が告げられた後日。

 シュテファーニエの予測通り、泥の地面は凍り付き、薄く積もった雪の地面が広がりだす。それは、今まで泥でまともに進軍できなかったエルドライヒ帝国軍そしてネセラウス伯爵軍の進軍速度の回復を意味するのだが、逆に言えば、ブリューナス王国軍もまた、地面に足を取られないという裏返しでもあった。


そんな状況下で両軍が激突する中、ポスナーゼン公爵領の主要都市ボルスカの中心地にある飛行機の発着場にて、アリッサは準備を整えていた。

 今度は、以前のような冒険者用の衣服ではない。

 ララドス武器商店から特急修理をようやく終えた軽装鎧である。しかし、厳密には、元のものではない。アリッサのありとあらゆる成長に合わせ、再調整されたものである。

 改良と同時に、新たに“ボイジャー2号”と名付けられたそれは、全体的にネイビーブルーにカラーリングされた金属製の鎧であり、サバトン……つまりは靴部分がなく、冒険者として活動していた頃のダークブルーの膝上ブーツの上から、すね当てと膝当てが一緒になったものを取り付ける形を取る。

 スカートの上につける腰あては、マジックバックをそのまま取り付けられる構造になっており、そこからひざ下までのインナーと同じ色の白をべースカラーとした当て布が伸びている。

 ごつごつしたガントレットも見た目の大きさに反して、可動域が広い。上腕の防具は軽装備のためなく、肩と胸当ては白いシャツの上から付けられる。その左右非対称の胸当ては、左側だけしかなく、アリッサが戦闘時に左側を前にしがちな癖を元に作られている。

 以前のような、地上戦に特化したものではなく、必要に応じて使用できる魔導スラスターが取り付けられており、空中での姿勢制御を容易する。それだけではなく、シュテファーニエの潤沢な資金を投入したソレには、魔力消費を抑え、魔術効率を上げるような術式が新たに組み込まれた。


 そんな装備を身に纏い、アリッサはその上から防寒用の大き目なダウンジャケットに袖を通す。そして、椅子の近くに置いてあったヘルメットを小脇に抱えて、ドッグの中を歩き出す。


 そんな彼女を待っていたかのように、同じように、シュテファーニエ特製の防具を身に纏うキサラが道を遮るように立っていた。

 アリッサは寝付けずに少し隈が大きくなった顔を隠しつつ、キサラに対して笑みを浮かべた。


 「アリッサ……本当にやるんですね」

 「……やるよ。私が始めたことだから、こんなところで止まれない」

 「フローラのことを、自分のせいだと攻めているのならば、それはお門違いですからね」


 キサラの言葉が胸に突き刺さる。もしもあの時、アリッサが不用意に突撃をしなければ、フローラを失わずに済んだのかもしれないと、自覚しているからこそ、締め付けられるほど胸が痛かった。


 「わかってるよ。でも、復讐でも何でも、今は自分が納得するまでやることしか、私にはできない」

 「相変わらず不器用ですね」

 「止めるつもり?」

 「頑固者のアリッサは、わたしが言ったところで止まりません。時間の無駄です」


 キサラの毒舌な返しに、アリッサは苦笑いしつつ、顔を再び引き締め直す。それを見た、キサラは少しだけ安心したかのように微笑んだ。


 「必ず、帰ってきてください」

 「わかってるよ、キサラさんじゃあるまいし……」


 冗談交じりにアリッサは言ったつもりなのだが、キサラが両手を固く握りしめているのを見て、アリッサは彼女の感情を感じ取った。

 キサラもまた、フローラの仇討ちに興じたい。しかし、それをあえてアリッサに譲った。立場上や作戦上の事情もあっただろうが、一番は、アリッサの感情を読み取ってのことだった。


 それを見たアリッサはそれ以上を語らず、彼女の横を通り抜けるようにして、アリッサを待つように待機している空軍隊員の元へと歩き出した。

 しかし、その去り際、キサラに聞こえるぐらいの僅かな声量で、力強く、前を見据え、堂々とした態度で、アリッサは宣言した。


 「殺戮ってくる————————」


 過ぎ去った彼女は、隊員の指示に従いながらヘルメットを被り、待機していた航空機の後部座席に飛び乗った。

 そして僅かな時間の後、ドッグ内にけたたましい発着音が鳴り響き、“厄災”が空へと解き放たれた。


 空は先日の大雨が嘘であるかのように、凍えるような寒さとは相対して、地面全てに反射する程の太陽が顔をのぞかせていた————————

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