第5話 勇者のお話Ⅱ
王城内の薄暗く、埃が舞うような書庫で、一人、シュテファーニエは調べ物をしていた。それは、かつて起きた王国の事件や事故について……
第三王女である彼女が幼き頃、自分の姉である二人は不慮の事故により亡くなった。しかし、シュテファーニエはその事実を何らかの意図で伏せたものだと認識していた。だからこそ、王に許可を取り、事実を確かめるためにここに来た。
そんな彼女はランタンのような魔道具をテーブルの上に置き、積み重ねられた本を一冊だけ取り、中身を確認した。本のタイトルは『勇者について』————————
著者は、先日崩御したクライム・ブリューナスという王族だ。本の一ページ目には、こう記されていた。
この世界には度々、“勇者”と呼ばれる存在が誕生する。
異世界からの転生者または転移者がそう呼ばれることも多々あるが、本質的に言えばそれは世界を管理する誰かが緊急的に生み出したモノであり、星そのものの働きではない。だからこそ、もし、本当の“勇者”が誕生することがあれば、それは紛れもなく、星が危機に瀕しているときである。
この事実によるのならば、長らく人類同士の争いしか起きていないこの世界は平和であり、勇者が誕生していない、とシュテファーニエは考えていた。だがしかし、数年前、厳重に保管されていた勇者の杖槍“マルミアドワーズ”と第一王女が契約を果たした。
彼女に扱いやすいように、多少なりの調整は施されたようであるが、それ以外は完全にアーティファクトに認められた形となる。
この事実を期に第一王女ヒルデガルドは王国各地の様々な事象を解決していくこととなる。その最たるエピソードの一つに、黄風を纏う触手生物との戦闘である。
突如としてブリューナス王国に現れたソレは多大なる被害を出し、多くの地域が破壊された。最後はヒルデガルドが率いた勇者一行により討伐されたが、それまでブリューナス王国は多くの魔術師を失うことになった。
結果として防衛能力が著しく低下したブリューナス王国は隣国との戦争を避けるため、領土の一部を手放すことになった。
これは、その直前の物語である———————
その日は、次の日の作戦のため、第一王女ヒルデガルドをはじめとして、彼女と同期で連れ添っている人物たちが一堂に会していた。
それは、天才的な場面状況の操作を行うパラドイン・オータムをはじめとして、鉄壁の聖騎士とされるミセス・ヴェラルクス。そして、情報収集などの影仕事を得意とするルイス・ネセラウス。
彼らは幼いながらも成果を上げ、次世代の希望とまでも称されていた人物たちである。そんな彼らは地図と、件のモンスターの略図を片手に会議を進める。
「神核の露出……これが最低条件。そのために必要なのは……」
「ここの砦で兵装を発動するのはどうだ?」
「おいパラド。その後の神核の破壊はどうするつもりだ」
「魔術がほとんど効かねぇんだし、殴るしかねぇだろ」
「オホホ。それならば、わたくしの役目ですわね」
内容を冗談交じりに喧嘩しながら決めているが、言葉とは裏腹に、彼女たちの顔には暗い影が落ちている。
なぜならば、過去通算5回にわたり、彼女たちは敗北しているからである。良いタイミングで撤退を行ったおかげで、欠員こそ出ていないが、倒せなかった回数だけ、被害が広がっている。
王国の市民たちの中には、彼女たちを非難するものも確かにいただろう。だがしかし、その多くは件の怪物の恐怖を知っているものたちだらけであり、同時に彼女たちに縋るしかなかった。
だからこそ、討伐が為されたその時まで、誰もが文句を言うことはなかった。為された後も、彼女たちが復興に尽力したため、その非難は下火になっていった。
ただ、この事実は逆に、当事者たちにとっては酷くプレッシャーになっていた。それでも、挫けることなく、後に彼女たちはやり遂げた。
「なぁ、ヒルダは俺の作戦に反対はしないのか?」
パラドは、会議が終わり、二人だけになった室内でこう告げた。するとヒルデガルドは少々驚きながらも、書類を整理する手を止め、悲痛な表情を浮かべるパラドの元に歩み寄った。
「あなたのことは私が評価して、受け入れたのです。何も責を負う必要はありませんよ。もし責任があるのだとすれば、それを任せた私自身です」
「でも……俺は……」
「そうですね……通算5回……。これほどまでに苦戦させられた相手は初めてです。その間に、救えなかった命……見捨てた命は数えきれないぐらいありました」
「生きたかったはずなんだ……。俺がもっと……」
奥歯を食いしばるパラドの緊張をほぐすように、ヒルデガルドは彼の両頬に触れ、マッサージするかのように少しだけ撫でた。
「もっと強ければ……なんていうのは言い訳でしかありません」
「じゃあ、どうすれば……」
「それは人それぞれです。そりゃあ、私だって、『私なんかにこんな大役が務まるわけがない』と思うことは多々ありますよ。だってほら、みんなの命運とか無関心な私が背負っていいものじゃないでしょう?」
「ヒルダが……無関心?」
ヒルデガルドは恥ずかしそうにしながらパラドから手を離し、背中を向ける。
「正直なことを言えば、自分の周囲だけ幸福であれば、他が死のうとどうでもいい。知っての通り、私は王女ではあるけれど聖人ではないから」
「じゃあなんで……」
「うーん……少し難しいんだけど、たぶん、私は自分自身を知りたいんだと思う。だから、嫌な事でもやるんだよ」
あまりにも突飛な回答であったため、パラドは当然のことながら首を傾げた。それを見て、ヒルデガルドは補足するように言葉を続ける。
「『人々の希望』、『世界を救う者』、『勇者』なんていう大それた視線や言葉をみんなが私に向けてくる。じゃあ、知りたくなるのが筋じゃない? 『どうして私なんですか』って……。だって私、どこにでもいるような普通の女の子だよ?」
「————————普通?」
「そこ、疑問に思わないでくれるかな……」
「だってお前、第一王女だろ」
「そりゃあ、そうだけどさ……。それを除いたら、才能に乏しいどこにでもいる少女の肩書しか残らないと思うけど? だって私は……普通に働いて、普通に生活して、普通に恋をするような……そんな、どこにでもいるような普通の女の子。それは紛れもない事実————————」
「その普通の定義はよくわからんが、ヒルダが……恋?」
ヒルデガルドは疑問を浮かべるパラドの声を聞いて、ふくれっ面になりながらパラドの頭を小突いた。
「失礼な。私だって、恋ぐらいはしますよーだ」
「へー、一体誰にだ? 第一王女なんだから手に入れることもたやすいだろうに」
「もー、言うわけないじゃん! ちょっとはデリカシーを学んだらどうなの!」
頬を膨らませ、腕を組み、横を向いた状態で見えるヒルデガルドの耳は暑いのか赤みを帯びているように思えた。
それを見たパラドは少し落ち着いたのか、安心したような吐息を漏らし、微笑みながらヒルデガルドの方を凝視した。
「そっか……じゃあ、こんなところでまだ終われねぇな」
「当たり前でしょ。まだ、やりたいことがたくさんあるんだから!」
「それは『知りたいこと』か?」
「もちろん、どっちも————————。私、結構欲張りなんだよ」
「知ってる……。食い意地が半端じゃねぇもんな」
「それは—————その……って、そうじゃなくて!!」
ヒルデガルドはパラドの冗談に怒りながら、地団駄を踏む。だが、すぐに冷静になり、疲れたようなため息を漏らした。
「はぁ……『勇者』って、一体何なんだろうね……」
「そりゃあ……」
ヒルデガルドがふと漏らした声に反応しようとして、パラドも言葉を詰まらせる。そして、気づく……ヒルデガルドが本当に知りたいことを……
「『勇者』は星に生み出される存在だって、クライムおじい様は言ってた……。でも、私は、紛れもなく、母から生まれ、育てられ、ここにいる……。じゃあ、私は一体誰なんだろう……。そう思うのはお門違いなのかな……」
パラドは再び言葉を詰まらせる。しかし、今度は少しだけ意を決したように、声を小さくしながらもなんとか言葉を捻りだした。
「お門違いなんかじゃないさ……。誰だって、自分が何者なのか、って知りたくなる。まぁ、大抵は、『普通の人間だ』って気づいて、落胆と同時に安心するんだがな……」
「普通の人間かぁ……そうだといいなぁ」
「自分で普通の人間だってさっき言ってただろ……」
「まぁ、そうだけどさ……。それはあくまで自己評価であって、周りの事実ではないわけじゃん?」
「はぁ……まだわかんねぇのか……」
「———————何が?」
「クソ鈍感かテメェは……」
「それ、パラドに言われたくない」
反論するヒルデガルドを無視して、パラドは鼻を鳴らしながら堂々と宣言する。
「あのなぁ……お前が何者であっても、俺たちの関係は変わらない。それは、『勇者』であっても『第一王女』であっても……だ。そいつらは単なるきっかけであって、ヒルダ自身じゃねぇだろ」
「まぁ……そりゃあ……そうなの?」
「なんでそこで疑問形なんだよ」
「いやだって、そんなこと言われたことなかったから……」
「どうして、そんな当たり前のことに————————ッ!!」
パラドは恥ずかしそうにヒルデガルドの顔を見ようとした。だがその瞬間に彼の言葉は止まる。なぜならば、目の前のヒルデガルドが、こちらへの視線を崩さないまま、頬に涙を伝わせていたからである。
「お、おい……なにか気に障ることでも言ったか?」
「え? いや、違くて……あれ……なんでだろ……」
ヒルデガルドは自分の頬からあふれ出す涙を必死に手で拭おうとする。しかし、それ以上の量があふれ出し、不器用に笑顔を見せようともすぐに崩れてしまう。
“勇者ヒルデガルド”は民を救わない———————
それは、紛れもない事実である。自らの信念を貫いた結果として民が救われているだけである。その選択を、彼女は心の奥底で悔やみ続けていた。
誰もが彼女に期待し、誰もが本当の彼女自身を見ない。
それは、王国内の誰しもがそうであり、当然、仲間であるミセスやルイスもそうだった。ミセスは『第一王女』として、ルイスは『勇者』として、こちらを見ていることを聡いヒルデガルドは気づいてた。
唯一、心を許していたパラドに関してはどちらともいえないような態度であり、わからなかった。それが今、ようやく彼自身の言葉で聞いてしまったが故に、蓋をしていた彼女自身の心が開いてしまったのである。
「ごめん……なんかよくわからないけど……」
「違うの……望まれたことを……望まれた通りしてきたから……だから……」
勇者という称号は、単なる『貧乏くじ』だとヒルデガルドは思っていた。なぜならば、それを手にした瞬間に、周囲の視線は一変し、手のひらを返し始めるのだ。それは評価されることもあるが、同時に誰しもが彼女自身を見なくなる。
皆一様に、『勇者』として見るようになるのだ————————
生まれたときから『第一王女』として周囲から見られてきた彼女に選択権などなかった。たまに、少しばかりの反抗したところで、評価は変わることがなく、誰しもが彼女自身を見なくなる。
彼女が『自分を知りたい』と願うのは、そう言った過去にも起因する。
ヒルデガルドは止めようとしても止まらない涙を見せないために、俯き、小さな手で自分の顔を覆い隠した。目の前にいるパラドは、どうすればいいのかわからず、右往左往しかしていない。
そんな静寂は長く続くことはない——————
長話をし過ぎたせいか、部屋の灯りがまだ灯っていることに気づいたミセスがドアを開け放ったからである。
ミセスが泣いているヒルデガルドを見て、パラドを睨みつけるのは当然の帰結であった。
「パラドくんは何をやっておられるのですか、オホホ……」
「いや違うんだ……俺だけど俺じゃない」
ミセスの表情は笑っているように見えるが、眉間にしわを寄せているところを見るに、無理矢理に顔を作っているようなものであった。それを見たパラドはより支離滅裂になり始める。
「ヒルダを泣かせるなんて、問答無用ですわ!」
「落ち着け! 話せばわかるから!!」
ミセスはパラドの元にゆっくりとにじり寄っていく。パラドは顔を引きつらせながらも小さな灯りで出来た大きな影から逃げるように後ずさりを始めた。
こうして、決戦の前夜は更けていく—————
これは本に記されていない彼女たちが知る物語。だからこそ、調べ物をしているだけの第三王女シュテファーニエが知ることはない。
記されていた『勇者について』の記述からわかったことと言えば、『勇者として活躍する未来』が確定していること以外は、『“勇者”は普通の人間である』、ということだけであった。
だからこそ、シュテファーニエは静かに本を閉じ、次の本を手に取った。
次の本のタイトルは『守護者について』————————
著者はまた、『クライム・ブリューナス』と記されているが、その下に『賢者グリーゼ』の名前があった。つまり、賢者グリーゼが調べて伝えた内容を、クライム・ブリューナスが本に書き記した、ということなのだろう。
その本になにかないかとシュテファーニエは一ページ目を開いた。
その瞬間、中に挟まっていた誰かの手紙が地面に落ちた。
「こんなもの栞につかった輩は誰だ……」
シュテファーニエは悪態をつけつつ、宛先の書いていない手紙を手に取り、外装を確認する。すると、そこには、王家のみが使用を許されたシーリングスタンプの紋が記されていた。
だがしかし、その手紙の封は既にきられていた————————
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