第6話 曇天の最中で
パラドイン・オータムという人物は今現在、自国であるブリューナス王国にいなかった。彼は今、敵国であるエルドライヒ帝国ネセラウス伯爵領の主要都市ヴァルツフを訪れていた。
彼は、癖のあるこげ茶色の短髪と、相手を睨むように威圧的な鋭い鸚緑の瞳を青年であるのだが、今現在は別の姿を魔術で投影し誤魔化している。数か月前まではお世辞にも整っているとは言い難い肥満体形をしていたが、今現在は、あの時よりも頬肉などを大きく落とし、体つきは以前と比べ、筋肉質になっている。
そんな彼の傍らには一人の大柄な女性が立っていた。
頭の後ろに長くボリュームのある金色の髪を黒いリボンでまとめ上げ、胸元まで伸びた毛先は内曲がりの緩やかなウェーブがかかっている。藤色の穏やかな瞳に細くしなやかで健康的な肉付きの輪郭。薄いピンク色の唇と、曲線美を描くような流麗な体型が合わされば、誰もがそちらの方を思わず凝視してしまう。
彼女の名はミセス・ヴェラルクスであり、パラドインの元婚約者でもある。
そんな彼らの目的は、敵国に侵入し、工作を行うことであるのだが、勝手についてきたミセスが目立ちすぎるため、潜入とは程遠いような光景が見て取れた。
唯一の救いは、大雨が天から降り注いでいるため、誰も周囲を確認する余裕がない、ということだけである。
二人はお互いに傘をさしながら石畳に舗装された地面を歩く。見渡せば、閉め切った窓ばかりが並ぶ長閑な住宅街が続いていた。
「懐かしいですわね、この街も……」
「数年ぶりだからな。相変わらず、羽振りがよさそうで何よりだ」
「そうですわね、オホホ……。今の主要産業は、機械製造業と製薬製造業でしたっけ?」
「アイツが成し遂げた改革だからな……。農業主体の街からよくもまぁ、ここまでにしたもんだよ」
水たまりを踏みしめ、わずか数年で変わり果てた街を往く。皆、せわしなく動いているせいか、こちらの様子はやはり気に留めていないようである。
「本日の予定はどうなさるのですか、オホホ……」
「さぁ……な……」
口を紡ぐパラドに腹を立てるように、ミセスは頬を膨らませたが、即座に落ち着きを取り戻すように深い息を吐きだした。
「パラドくん……あなたの考えなんてお見通しですわ、オホホ……」
「うるせぇ……」
「その方法は、あなたが最もやりたくない方法ではないのですか?」
互いの傘がわずかにぶつかって揺れる。ミセスはパラドの顔色を伺うが、パラドは相変わらずこちらを見ようとはしなかった。
「たしかに、この街で破壊活動をすれば、必然的にエルドライヒ帝国軍は大打撃を受けることになります。しかし、人道的とは言い難いですわね、おほほ……」
「そんなこたぁ、わかってる。だが、最速かつ最善手はこれだ」
「相変わらずのバカですわね、あなたは……」
「今なんつった?」
「バカだと言ったのです……。あなたはルイスではないのですから、そのような方法を好まないというのに、まったく……」
ミセスはため息を吐きながらも、歩む足を止めようとはしない。
「あなたの悪い癖ですわ。そうやって、心を悩ませる手を実行する……。だから、いつもたどり着けないのではなくて?」
「お前に言われたかねぇよ……」
「今、現状ではどうしようもない……そう、考えましたわね!」
「勝手に人の思考を読むな」
「お姉さんにはお見通しというわけですわ、オホホ!」
ミセスはまるで小躍りするかのような軽やかなステップを踏み、パラドの前に立つ。その瞬間、僅かな雲の切れ間により、雨脚が弱まったような錯覚を覚える。
「足りないピースを申し上げてくださいませ、お力添えをできるかもしれませんわ」
「それはできない」
「また、わたくしを仲間外れにするつもりですか?」
「そんなことをした記憶はない」
「いいえ……あなたとルイスが争っているとき、あなたはわたくしに頼ろうともせず、勝手に一人で暴走したではありませんか」
「頼ってどうなる……。お前にできることなんて、何もないだろ……」
パラドがこの言葉を言った瞬間、ミセスはバカにするかのように嘲笑って見せた。
「それは一体、誰に言っているのですか、オホホ!」
ミセスは曲がり角に立ち、目的地の一つである領主の屋敷の方を指さした。パラドが不思議に思い、そちらの方を見ると、領主の屋敷を取り囲むように人工的な灯りが見えた。
「あれは……何やってるんだ?」
「ストライキ……というよりは暴動ですわね」
「暴動!? この発展した街で? 警備隊は?」
「今、最前線に駆り出されていますわ。その隙を突きましたの」
「情報操作をしたっていうのか、お前が……」
「人聞きの悪いことを言わないでくださいませ……」
「でも実際、同じような事だろ……」
ここでようやくパラドは気が付く。どうしてミセスが自分に同行したのか、という単純なことを……。
この景色を見てもらうため、という簡単なことではない。それは、口元を隠して不敵に笑うお嬢様を見ればすぐにでもわかる。
「いいえ違いますわ。わたくしは優秀な人材の引き抜きを行っただけです。それ以外は、特に思いつきませんわね」
「ウソつけ……その悪そうな顔は誤魔化せないぞ」
「本当ですわよ。わたくしと懇意にしている関連会社にちょっとお願いしただけで、根本的な原因は、給与を払えなかった彼らに責任がありますわ、オホホ」
パラドは背中に嫌な汗が伝ったことを自覚する。
彼女の話を噛み砕いて要約するのならば、ここの領地で経営をしている工場が取引している会社すべてに圧力をかけ、製造に必要な部品や材料を購入させず、かつ卸先が取引を止めた、という形になる。
「そんなことをすれば、ブリューナス王国にも痛手だろ……どうしてそんなことを……」
「それがそうでもないですわ。化学プラントの製造ラインをちょっと弄れば、同じことはできましたし、何より、わたくしは技術者を“引き抜いた”のですわよ?」
「だが、競合他社になるだけで、取引は……」
「あら、わたくしを誰だと思って? わたくし、これでもヴェラルクス伯爵家の一員ですわ。商売のことならば、誰よりも目ざといですわよ」
パラドはそんなことが可能なのか、とミセスを疑った。しかし、現実に起きていることは確かであり、最近、自国製の医薬品や化粧品が充実してきたことも事実だった。
「この街に働いていた従業員は……」
「もちろん、優秀な人材は我が領に越してきましたわ。しかし、その決断ができなかった人物、そうではない人物……そして、ルイスに与していた人間はご覧の通りですわ」
「はは……何やってんだよ、お前は……」
「もちろん、嫌がらせですわ。
たしかに、交渉して足元から切り崩していく方法をパラドは得意とする。ルイスに関しても、トップの首を刈り取る方法を好んで使う。だが、決して、ミセスのように金銭で殴りつけるような方法は取らない。
パラドは被害を最小限に抑えるため、ルイスは無関係な人を巻き込むことを嫌うため……。しかし、目の前の伯爵令嬢にそんな考えはない。やると決めたのならば、ありとあらゆる犠牲をいとわず、相手を追い込む……。
それは、後で自分の首を絞めることを彼女自身もわかってはいる。だから、普段は行わない……。それでも行うということは、悪魔のような笑みを浮かべる目の前の彼女からわかる通り、躊躇を捨てた、ということに他ならない。
「あなたがやらないのなら、わたくしがやりますわ、オホホ」
「そんなことをすれば、お前は……」
「パラドくん……わたくしは、『あなただけを加害者』にすることは嫌いですわ」
「それに」とミセスは続けて、未だに雨が降り止まない曇天の空を見上げた。
「ヒルダを殺し、パラドくんを悲しませたのですわよ。間違いなく、わたくしの“敵”です。わたくし、“敵”に対しては容赦しませんわ、オホホ」
領主の館の方で小規模な爆発音が聞こえてきた。大雨のおかげで鎮火は早いが、そのせいで、暴動はさらに過激になっていく。
この街の家屋の窓が閉め切られているは、大雨のせいだけではなかった。目の前のミセスという人物が、“敵”を叩き潰しにかかった結果、そうなってしまった。
「それで……俺に何をしろと?」
パラドは大雨にも関わらずさしていた傘を閉じ、地面におろした。大雨が肩を叩くが、気にした様子もなく、ここで初めて、ミセスの真っ直ぐな藤色の瞳を凝視した。
「わたくしが望むことはただ一つ……勝ちなさい、徹底的に————————」
「そのために、手を汚したのか?」
「えぇ、汚しましたわ。そして、あなたが望むのならばこの先も汚し続けますわ」
「バカ野郎……汚れるのは俺だけで十分なのに……」
「そんなこと、“あの子”も、わたくしも望んではいませんわ……」
パラドの頭に一瞬だけ、ヒルデガルドの顔が浮かび上がり、同時にそれはアリッサの顔を混じって消えていく。
パラドはそのせん妄を即座に振り払い、目の前の吸血鬼と同じように、悪魔のような笑みを浮かべて、やがてお腹を抱えて笑い出す。
「アハハハハハハハハハッ!!! 俺がどれだけ汚れているかも知らずに、良く言えたもんだな」
「知っていますわよ。だから、貴方の次なる一手を否定はしませんわ」
「————————っ」
パラドは表情一つ変えないミセスを見て、しばらく言葉を失う。しかし、それはほんの数十秒だけのことであり、即座に踵を返して彼女に背中を向けた。
「予定変更だ。このままフィオレンツァ共和国に向かう」
「フィオレンツァのどこへ?」
歩き出したパラドに追いすがるようにミセスも早足で歩きだし、濡れている彼を自分の傘の中に入れた。
「サナボーニ侯爵が一番適当だが、交渉するならその弟の跡取りだ」
「そこで何を?」
「ドアの反対側を閉じに行く」
それだけを言い、二人の悪魔は荒れ果てたこの地を離れていく。怪物たちの毒牙にかかったこの街は、既に経済力はなく、復興は難航する。
そうなったとき、残された者たちは、糧食を求めて兵士となり、スマートな戦争とは程遠いほどの決死の戦士と変わり果てる。
それは内側から見れば指揮が異常に高く、勇敢な兵士に見えたことだろう。しかし、その実、外側から見れば、それは錆びついたブリキの人形に等しい。
こうなったすべての原因は、全て、“勇者ヒルデガルド・ブリューナスの死”という一つの単純な事象に帰結していることなど、誰も知る由はない……。
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