第2話 賢者グリーゼⅠ


 リタが目を開けた瞬間、飛び込んで来たのは流れるような景色。そして、浮遊感と空気を切るような冷たさを感じるとなれば状況は一つしかなかった。

 自分の体が高高度からパラシュートなしで落下運動を始めているということしか考えられない。そんな状況下でリタは悲鳴を叫びながらも、頭の中は意外にも冷静であった。


 (位置エネルギーから運動エネルギーの計算式……いやこの場合は空気抵抗により、途中から等速直線運動に変わるから、最初から運動エネルギーの計算式……あれ? どうして……)


 リタは頭の中で思い浮かんだことに、疑問を抱く。どこで学んだのかも、どう計算するかもわからない文字列に対し、頭が勝手に処理をはじめ、コンマ数秒も待たずに計算結果をはじき出す。

 側頭部がわずかに痛んだが、それを気にしている余裕などなく、リタは頭から落ちている状況を何とかするために、強引に体をまわしながら体勢を変え、足を地面方向へと入れ替える。


 あとは落下地点を考えるだけ……。人がいるところに落下すればただでは済まない。直前でエネルギーのベクトル変換する関係上、それを全て吸収することは魔力効率上良くない。常に体にかかり続ける空気抵抗を取り除かないのもすべてはそこに通じる。長い時間を維持することはその分だけ燃料を喰うのである。

 だからこそ、力をどこかへ逃がす必要がある例えばそう……壊しても問題がないモノに付与して、押し付けるなど……


 リタは大慌てで腰からナイフを右手に握る。体が覚えているあたり、これは緊急用のステンレス製ナイフなのだろう。その証拠に、込められた魔石にはひたすらに強度アップの魔術式込められていない。

 リタはそれを即座に確認して、地面とキスをする直前にそれに自分の落下運動分のエネルギーを魔術により全てナイフへと押し付け、地面に向けて放り投げた。


 その瞬間、リタの体はほんのわずかな無重量感を受け、残された空気抵抗が減衰するかのように一瞬だけ上向きの力が優勢となり、宙へと浮く。だがそれはほんのわずかな間だけであり、即座に落下を始めるのだが、地面が既に近いため、宙がえりをして、少し離れた位置に両脚と膝を使いながら怪我無く着地することができた。


 しかし、その瞬間にリタの足元が唐突に揺らぐ。



 思えば投げたナイフが地面に突き刺さり、地割れを起こすがごとく、柔らかい地面を突き刺した直後に何かが骨を砕くような断裂音が響いたような気がした。二次被害を防止するために力が横方向に逃げないように、ナイフそのものにもベクトル操作の魔術を施していたせいで、リタの予測よりも深く地面に突き刺さってしまったのかもしれない。


 地鳴りが収まって、恐る恐る自分が投げたナイフの落下地点を見ると、まるで灼熱の槍が天から降り注いだがごとく、見下ろすほど深い円錐状の大穴を開けていた。

 しかも、摩擦熱で溶けたであろう岩盤の底には、柄の部分が全て弾け飛んだせいで、刀身だけが残った片刃のダガーナイフが残されている光景が目視で見えた。


 「壊れて……ない? あれぇ???」


 リタは自分の所持していたナイフの頑強さに首をかしげる。一体、どんなことを想定してあそこまでの強度を求めたのかすらわからないが、切れ味などをかなぐり捨てていることはまず間違いないだろう。

 しかし、それだけの一品であるのだが、わざわざ、突き刺さったナイフを取りに行く程、リタはそれを大事に思ってはいない。それは失われた記憶もそうであり、体が拒否反応を示すこともなく、自然に足はそこから遠のいていた。



 周囲を見渡す限りどこかの山中であるように見えるため、リタはとりあえず身軽さを活かしながら木から木へと飛び移りながら飛び出していく。そこから見えた景色から、近くに見えた小さな街らしきものを目的地として、凄まじい速度で下山していく。

 流石に土煙が立つほどではないが、おそらく遠目で見れば、山猿か何かが跳躍して木々を飛び越えながら一直線に降りてくるように見えたことだろう……


 そうして、降りていると、前方に何やら揉め事が怒っているような戦闘風景がリタの視界に映る。あまり、関わりたくないのは事実ではあるのだが、あの街の住人である場合、見殺しにすれば寝覚めが悪いことは間違いない。


 結果、リタはため息交じり、そちらの方へと大きく跳躍し、最後に斜面を滑り降りるように着地する。森を抜けた先は、草木がほとんど生えていない茶色の土……。砂漠のように乾燥してひび割れているわけではないのだが、明らかに動植物の類は見られない。


 それよりも、目の前の争いを何とかしなければならない。


 リタは状況を確認するために、争っている二勢力を凝視する。一つは、後ろにいる旅団を守りながら戦っている丸ブチメガネの女性。もう一つは、何か奇怪な言語をつぶやきながらおぼつかない足取りで迫りながら半狂乱で攻撃魔術を放っている女性。正確には、下半身がワームのような無数の触手になっており、それが彼女の自重を支えている。


 後者はなんの魔族か亜人族かは不明であるのだが、リタが迷わずに前者に味方をするような動きを見せたことは間違いない。それは、旅団の一部の人間が血を流しながら倒れていることを見たのも一つの要因だ。


 幸いにして狂乱している女性はこちらに気づいていない……。だから、リタは腰の留め具からピッケルに似た形状の魔術杖を引き抜きながら構え、自然な動作で魔術を発動する。

 名前は朧気のため覚えていないが、おそらくは『ブラスト』という名であったような気がする。


 リタが発動させた無属性魔術は、通常の『ショット』と同様に半狂乱の女性の背中に突き刺さり、次の瞬間、連鎖的な爆発を引き起こす。それは、上半身と下半身を等しく削り取り、内部から弾けさせるように肉片に変えていく。


 リタは、予想以上の威力が出てしまったことに驚き、同時に人を殺めてしまったことに対する罪悪感が一瞬だけ訪れる。しかし、慣れてしまっているのか、それらはすぐに過ぎ去り、一呼吸で冷静さを取り戻していた。



 リタが魔術杖を腰の留め具に戻すと同時に、旅団を守っていた女性と眼があった。こげ茶色の癖の少ないショートボブ。ライトオレンジの穏やかな眼差しを覆い隠すような丸ブチの大きなメガネ。丸みを帯びた骨格と、リタよりも一回りは小さい体格の通り、華奢であることが目に見えてわかる。

 ステッキ型の魔術杖を持っていることから魔術師の類なのであろうが、服装がリタのものとは大違いである。白い布地のシャツのようなレースに単色の一枚物の布を括りつけたような服装……。

 リタが今現在着ているような、ショルダーベルト付きの白いシャツや、カーキ色のモッズコートは異色であり、ネイビーのハーフパンツはどう見ても目立っている。膝部分にプロテクターのついたダークブルーの膝上ブーツはもはや、畏怖の対象である。

 だとするのならば、リタは自分がとんでもない異色の大地に降り立ったのか、それとも記憶を失う前の自分が生きていたであろう時代ではない、ということが自然に理解できた。


 「あの……大丈夫ですか?」


 リタは少し戸惑いながらもステッキを持ったメガネの女性に声をかける。すると、メガネの女性は困惑しながらも、こちらに敵意がないことを読み取り、武器を静かに下ろした。


 「やー、でんでぃあ。なーむず?」


 互いに目を丸くして困惑する。なんせ、相手が何を言っているのか、さっぱり理解できなかったからである。何となく、リタが喋っている言葉の発音との共通点があったため、意味が通じることもあるのだが、細かな部分が違い過ぎて、インスピレーションで何となく理解することしかできない。

 つまり……リタの言葉が通じていなかった……


 互いに数秒の沈黙の後、敵意がないことがわかっているが故に歩み寄るように近づいていき、目を細めながら相手の存在を再確認。


 最初に動いたのはリタ————————


 「あれ、なに?」


 指をさしながら自分が魔術で倒した半狂乱の女性を指さす。すると、メガネの女性は


 「パーゾン……ズァンファン……」


 短文の言葉ならば通じる……。もちろん、相手が言った言葉を理解できているわけではないのだが……相手が目線を不自然に背けたところを見るに、あれは見たくはないものであることがわかる。だとするのならば、意味合いは「人間だった」というところであろうか……だとするのならば、なぜあの状態になったのだろうか。

 リタは思い描いた質問を言葉にできない歯がゆさに眉をひそめながら、次の言葉を練るために頭を捻る。


 その瞬間、頭の中に聞いたことのある声が響き、同時に鼻孔を甘ったるい臭いが占拠し始める。


 『あーごめんごめん。わたしとしたことが失念していたよ。今、自動変換を付与したからここにいる間は不便なく会話できるようになったはずだよ』

 「おい、それよりも先にここはどこだか説明しろ」

 『それじゃ、今度こそ良い旅を。グットラック!』

 「おい、説明を————————ッ」


 リタが叫んだ瞬間に、甘ったるい臭いが消え失せ、同時に頭の中に響いていた声がなくなる。しかし、それを周囲の人は認知することができていないが故に、勝手にしゃべりだして、怒りくるった人物にしか見えなくなってしまっている。

 その状況に、リタは苦笑いを浮かべて困りつつ、声質を正した。


 「ごめんね……言葉通じている?」

 「え、あれ? さっきもそうでしたが……どうして急に……」

 「それは……その……私にもわからないんだけど、『ナビゲーター』って名乗った人が頑張ってくれたみたいで……」

 「ウソをつくのならばもう少しまともな嘘をついた方が……いえ、それよりも言葉が通じるのならば都合がいいです」


 はじめは困惑していたメガネの女性も、次第に態度を再び軟化させ、リタの言葉に耳を傾け始める。


 「まずは自己紹介からかな? 私はリタ……わけあって旅をしているもの」

 「ワタシはグリーゼといいます。先ほどは助けていただきありがとうございました」

 「成り行きだからお礼はいらないよ。それよりもう一度聞くけど、あれは?」


 リタはもう一度倒れて肉片と化している女性を指さした。するとグリーゼは首を横に振りながら明らかに表情が曇った。


 「彼女は元々人間です。シェンロントータスの進行を止めよとして、エーテルリアクターを過剰使用したせいで……」

 「シェンロントータス? エーテルリアクター?」

 「ご存じないのですか? 彼女の勇士により、眠りについたシェンロントータスがすぐそこにいるでしょうに……」


 リタはグリーゼが指を刺した方を見る。すると、先ほどリタが下山してきた山があった。良く見ると木々の下に顔らしきものが見え、遥か先には、小さな丘に見えるレベルの脚の一部が見えた。


 「彼女が最後に発動した魔術が瞬き、そしてかの怪物は口から血液を吐きながら暴れ、そして絶命しました」

 「それは……そうなんでしょうね、アハハ……」


 リタはつい先ほど、地面を深くえぐるようなナイフの痕跡を思い出す。角度や位置を下山した位置から推測するに、丁度、巨大なカメの心臓にあたる位置である可能性が高かった。

 もしも偶然、目の前の超巨大モンスターの心臓に突き刺さり、心筋梗塞でも引き起こしたのなら、原因はまず間違いなくリタであるのだが……。

 リタはここまで推理したのだが、それ以上は不要な情報だと排斥して考えるのを止め、同時にあのナイフがメイン武器だった事実にフォーカスが当たってしまう。もちろん、取りに戻りたいとは思わなかったのだが……


 「リタさんは一体どこから来たのですか?」

 「あーえっと……実はここに来るまでの記憶が全くなくて、どこから来たとか、全部わからないんだよね……」

 「そう……ですか……。失礼を承知で申し上げるのですが、先ほどの魔術杖を拝見させていただけませんか?」

 「まぁ……いいけど……」


 リタは何に抵抗もなく、腰の留め具に止めていたピッケル型の杖をグリーゼに手渡した。グリーゼはそれを受け取ってしばしの間眺めていたのだが、その表情は明らかに困惑しているように見えた。


 「なにか……あったの?」

 「いえ……これは……あぁ、あなたは記憶を失っているのでしたね……」

 「そんなに変なものだった?」

 「そうではなく……。理論も、構成も、文字式もすべてが違い過ぎて……。もしかしたら、あなたが行っていた無詠唱魔術に関係すると思ったのですが……」

 「無詠唱は珍しいことなの?」

 「別段、珍しいことではないのですが、よほど訓練を積んだものじゃないと扱えないので、もしかしたら、ワタシの知る魔術師ではないかと思っただけです」

 「そうなんだね……知らなかった」


 リタはピッケル型の魔術杖を返してもらいながら相槌を打つ。たしかに、詠唱や魔術式をどこかに書きだす方が、より正確であり、より魔力消費を抑えられる。繊細な魔術程、そう言ったものを要求されるため、難しい魔術は詠唱を伴うことが多い。逆に、爆鳴気のように単純な構造である場合……つまりは許容誤差が大きい魔術式は、戦闘中なら無詠唱の方が使用される。

 もっとも、リタの扱う魔術式は、複雑なものが多いが、彼女自体が繊細な魔術操作の才能が絶望的であるが故、魔力効率をかなぐり捨てて発動させている。


 「リタさん……行くあてはありますか?」

 「うーん、えーっとね……。向こうに見える街を目指していたところ」

 「そうですか……。それならばちょうどよかった。ワタシはそこから来たのです。後ろの方々の護衛を引き受けてくださるのならば、歓迎いたします」

 「こちらこそ、お邪魔でなければ是非」


 リタは体が自然に動き、握手をするために右手を差し出していた。だからこそ、すこしだけ、相手に伝わるのか、出した後に気づいて、戸惑ってしまう。

 しかし、そんな不安を払拭するかのように、グリーゼはその手を取って握り返してくれた。お互いにグローブ越しではあるものの、敵意がない仲間の関係が、ここで初めて成立したのであった。



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