第7話 方便は時に正義を示す


 煤と泥で汚れた制服から着替えを終え、清潔な衣装を身にまとったパラドは完全に夜が明けた連合軍の臨時駐屯地のテントの近くに作られた懲罰房の中へと足を運ぶ。

 懲罰房といっても簡易的なものであるため、テントの中に内部からは破壊が難しい結界が貼ってあるだけで、その他は普通のテントと変わりはない。


 ただ、声をかけずに中に入って目に入った人物が、ブリューナス王国で勇者と呼ばれているユーリという青年の兵士であることは普通ではなかった。まして、その男の手首にありとあらゆる魔術を使用不能にする魔道具の手枷がつけられていることは通常では絶対にありえない光景だ。


 この魔道具の手枷により、魔術はおろか、身体能力すらもレベルの低い人間と同程度まで低下させられた彼は、成すすべなく、マーキーテントの中央に備え付けられていたイスに縛り付けられていた。


 パラドは入室と同時にそれを一瞥すると、自分も端に寄せられた折り畳み式の椅子を手に取って、自らの重い自重を全てそこに預けた。そして、ユーリと向かい合う形で相手の顔を見て視線を外さずに見つめ続ける。


 すると、それを嫌がったのかユーリの方がツンツンとしてはねている金髪を揺らし、丸みを帯びた深紅の瞳で、堂々とパラドを睨み返し始める。


 「理解に苦しむな。オータム伯爵。貴族の身分がない一般の兵士とはいえ、戦果を挙げた兵士に対し、このような不当な扱いをするとは……」


 この言葉に対し、パラドは深いため息を吐き、余計に冷ややかな視線をユーリの方へと向けるだけだった。


 「何をしたのか自覚がねぇのは、テメェがアホだからか?」

 「なるほど、何か不都合をこちらに押し付ける腹積もりなのですね。なんとも愚かしい……。手柄を横取りされたから、腹をたてるとは……まるで子供だ」

 「なんとも頭が痛くなる問題だな。こんなやつを国は勇者としているとは」

 「援軍をしてもらったのに、随分と横柄な態度をとるじゃないか。危なくなって折角駆け付けたそちらのメンツを潰してしまったことがそんなに悔しいのかい?」


 パラドは冷静な態度を取りながら足を組み、懐からいくつかのドックダグを取り出して、静かに相手に見せつけた。


 「あぁ……勇敢なる同志たちのおかげで、憎き魔族を後退させることができた。それを感謝しなくてはならないな……」

 「本当にそう思っているのならテメェの頭に風穴を開けても問題はなさそうだな」

 「貴公は国家への明確な叛逆をするつもりか」

 「ケッ! バカ言うんじゃねぇよ。このドックダグはお前が総司令の待機命令に背いて、夜間襲撃させたテメェのクソ上司が殺した命だ。だから、お前は現場の判断ができてなかったこと以外は非がねぇ」

 「非がないというのに拘束している事実を認めましたね」

 「あぁ、上司に忠実な可愛い子犬ちゃんが部下を見殺しにした罪は精々叱責程度で済ませてやる。だがなぁ……テメェ……あそこで戦うことの意味わかってやってたのか?」

 「わかっているも何も、あの村は魔族の汚らしいレジスタンスに無理やり従わされていた。だから俺はそれを解放してあげただけだ」


 その言葉を聞いて、パラドは静かに立ち上がり、拘束されているユーリの座っている横に立った。そして、何食わぬ顔でその椅子を蹴り飛ばし、彼を湿った地面へと叩きつけるのであった。


 「何バカなこと言ってんだ。まさか、アイツらが民を襲っていたのがテメェのせいだって気付いてないのか?」

 「何をバカな……こっちは助けに来たんだぞ!」

 「それが引き金になったって言ってんだろ—————ッ!!」


 パラドはユーリの頭を掴み上げ、地面の土を喰わせるがごとく、叩きつけた。そして、髪を掴み上げたまま、冷ややかな瞳で自身の顔を近づけた。


 「テメェがしゃしゃり出てきたせいで、昨晩何人死んだと思ってる……。まさか、目の前で戦闘が起こって、何もできない人間が逃げずに部屋の隅で閉じこもっているとでも思ってるのか? それとも、一瞬のうちにテメェが殲滅したとでも言うつもりか?」

 「たしかに……できていなかったさ……けど、こちらに武器を向けてくるレジスタンスに大打撃を与えることができたことは間違いない」

 「あぁ、そうだな。テメェが守ろうとした民の中にレジスタンスが多くいて、テメェを信じた兵士たちと乱戦にもつれ込んで虐殺したことは間違いねぇだろうな……」

 「な……そんなバカなことがあるわけないだろ……」

 「だからテメェはバカなんだよ。世の中はリバーシみたいに善悪を決められるほど単純じゃねぇ……」


 パラドは掴んでいる髪を離して、自分だけ立ち上がり、見下すように唾を吐き捨てる。


 「テメェが護ろうとした市民を殺した感触はどうだヒーロー気取りのクソ野郎。余計に戦闘を長引かせ、敵はおろか、仲間に多数の犠牲を出して勝ち取った正義は、最高に気持ちよかったんだろうな!」

 「ちがう……俺は……そんなつもりじゃ……」

 「あぁ、ついでだからアストラル王国の今日の朝刊の見出しを言ってやるよ。『敵領地に囚われた我らが市民を勇者が大虐殺』だ」

 「なに……を……」

 「わからねぇだろうから教えてやる。アストラル王国はこの機会を虎視眈々と狙っていた……。なんせ、ウチの国の工業地区を丸ごと手に入れるための口実を手に入れられたんだからな!」

 「それは……あまりにも横暴な理由だ。そんなものを他の国が許すわけ……」

 「許すか許さねぇか、じゃねぇんだよ。口実を与えられたアストラル王国は数日後に大量の軍をこの地域に送り込んでくる。そのとき、軍港としての駐屯地をとられている今の状況はどうだ?」


 その言葉を聞いて、ユーリはようやく状況を理解する。この先に起こる結末と自分の犯した過ちについて……


 「そうだ。起こるのは大軍と大軍の衝突だ……。その際に、いくらの人間が死ぬと思っている……。全部テメェが引き起こしたことだぞ……。それだけじゃねぇ、刻限が決められた持久戦になったことで、奴らは駐屯地の軍事物資を使うだろうな。それこそ、大量破壊兵器でも何でもお構いなくな……。そうした時、いったい何人……いや何万人の人間が息絶えるんだろうな。まったく、笑える冗談だぜ」

 「あぁ……あぁ……ちがう……。俺は、勇者として市民を助けるために……」


 パラドは土の上に横たわっているユーリの脇腹を蹴り飛ばし、テントの中を転がす。


 「もう一度、そのセリフを言ってみろ。今度はテメェの頭をナッツボールみたいに砕いてやるからな……」

 「そうだ……これは起こるかもしれない予測だ……。実際に起きているわけじゃない。第一、護るべき民は向こうも同じだ。だったら……」

 「まーだ、わかってねぇようだな……。レジスタンスにとっても、アストラル王国にとっても、ここにいる民の命は虫けら同然だ……。だから、平気で市街地を吹き飛ばすような魔術を行使するだろうな。それこそ、シャンパンを開けるぐらいに気持ちい音を立てながら笑顔で虐殺していく」


 パラドは蹴り飛ばしたユーリの近づいていき、再び見下ろしながら汚物を見るように目を細めながら彼を見つめ続ける。


 「だから、俺や、ヴェラルクス伯爵はゆっくりと、後ろから手を伸ばしながら、市民を巻き込まない形で、決定的な敗北を突きつける準備をしていた……。それが、テメェとテメェのクソ上司のおかげで全部パァだ……。だから、本来ならテメェの頭を踏み砕いたところで文句を言われる筋合いはねぇ」

 「そんな……ちが……ちがうんだ……」

 「より多くの市民を殺すキラーマシンになって満足か? 正義を振りかざしたヒーロー気取りのクソ野郎……」

 「あぁ……あぁ………あぁぁぁぁ——————」


 パラドは泣き喚くように震えているユーリに対してもう一度蹴りを入れようとしたが、唐突な虚しさに襲われたが故に、静かに振り上げたこぶしを降ろした。それはかつて、復讐に走り、抑えきれなくなった過去の自分を一度重ねてしまったが故なのかもしれない。

 いずれにしても、パラドはその言葉を最後に、地面に倒れ伏して泣き喚いているユーリを宥めることも、それ以上の叱責をすることもなく、静かに背を向けてテントを後にした。




 彼がテントを出ると、心配そうに見つめているミセスと顔を合わせる形で出くわしてしまう。パラドは何も言うことなく、彼女の横を通り過ぎようとしたが、ミセスはその動きに反応して、パラドの進路と同じ方に体を向け、歩きながら口火を切った。


 「つい先ほど、貴方の予測通り、アストラル王国から抗議文と捕虜の受け渡し要求書が届きましたわ」

 「最悪な報告だな……。こっちは再編が終わってないっていうのに……」

 「少人数の精鋭ならばそれなりに動けそうですが当てはありまして?」

 「そうだな……一人だけ……心強い当てがある」

 「あら? こちらも、頼もしい友人がいましてよ」

 「そいつは僥倖だな……。向こうからの回答期限は?」

 「72時間ですわ、オホホ」


 パラドは少しだけ考えるような素振りを見せつつ、たった一言……『何とかする』とだけ口にした。その言葉を聞いて、ミセスは安堵に似た懐かしさを感じつつ、思わず微笑んでしまい、それを見たパラドに怪訝な顔をされてしまった。


 それでも、彼女はめげることなく、彼の横を歩き、別々の目的地に向かう直前に静かに呟いた。


 「お疲れ様です……。そして、おかえりなさい」

 

 その言葉に対し、パラドは静かに微笑みながらたった一言だけ、こう返した。


 「ありがとう」————————と





 ◆◆◆◆



 時間を空けず、パラドはアリッサに連絡を取り、この場に呼び出そうとした。しかし、彼女は何故か返信も反応もなく、しばしの時間が経過した。

 痺れを切らしたパラドは仕方なく、同じ『月のゆりかご』のギルドメンバーであるフローラに連絡を取った。連作先を知らなかったため、彼女の両親が経営する宿屋を経由して、実際に連絡が取れたのはもう数時間ほど後になった。


 しかしながら、その努力もむなしく、転移魔術で行き来をして、迎えに行ってパラドが初めて知ったのだが、アリッサは今現在、別の場所に出かけていた。

 それは、今現在の渦中であるはずのアストラル王国であり、どうやら、エニュマエル・アーストライアに同伴する形で出かけていったきり戻っていない、ということだった。


 パラドは頭を抱えたが、その代わり、フローラがある程度の補助や、戦場回復術師として怪我人のケアを請け負ってはくれた。


 だが、それでも主力と考えていた人物が欠けたことで、否応なく作戦が変更されたことは間違いない。

 それでも、引き渡しの是非を問う回答期限は迫っているため、パラドは再び、臨時の駐屯地での作戦会議に参加することになった。



 パラドがため息を吐きながらテーブルに着くと、状況を理解しているダルテン・ヴェラルクス伯爵も同じように険しい顔をしている事実が嫌でも目に入った。それでも、時間を潰すわけにはいかないため、互いの補佐官……つまりはミセスとユリアが現状の確認を淡々と述べ始めた。


 「先の戦闘で損失した分の報告です。王国軍が持ち出した物資、ならびに負傷または死亡した人数についてはお手元の資料の通りです。レジスタンスの戦力の約1割の損失を達成しましたが、こちらは約二割に当たる駐屯王国軍が壊滅状態になりました」

 「王国側からの回答は?」

 「『至急、援軍を送る』とのことです」

 「次は、情報司令部からですわ。口頭でお伝えした通り、あと60時間を刻限として、レジスタンス組織の受け渡しと武力介入の通達を受けておりますわ」

 「レジスタンスの動きはどうかね?」

 「はい、お父様。元々の我が駐屯地における物資を惜しみなく使用している状態ですわ。強固な結界により攻撃術式を撃ちこむことが難しく、歩兵及び工兵での対処が必要と考えられますわ」

 「あそこにある魔導兵器の中で厄介なのはなんだ?」

 「陸戦力として88㎜魔術砲、ホルニッセ、キングタイガー、エレファントが弾薬と共に充足しております。他の魔道具に関してましても過剰なほど在庫を抱えている状態となっておりました。幸いにも、停泊中の海戦力は潜水艦1機のみ、他はドック入りしており、航空戦力は抑えられておりませんでしたわ」

 「あまり、良い状況とは言えないか……。この状況をどう切り抜けるかね、オータム伯爵」


 パラドは少しだけ考え、地図をしばらく凝視し、資料と自分の記憶を精査する。そして、これまでかき集めていた情報を元にして、静かに口火を切る。


 「市民の避難が完了さえできれば、最小限の破壊活動で終わらせる作戦はある」

 「ほぉ……。だが、どうする? 武器を持たれると、レジスタンスも市民も、我々には区別ができんぞ?」

 「避難勧告を出し、残っているのならば、それは全て民兵と見なす。これしかないだろう」

 「ほぉ……十数年前の大戦時に使用した作戦を持ち出すか……。しかし、乗り気でないと見える」

 「当たり前だ……。もう少し時間があれば、説得もできるかもしれないが、これでは……」

 「具体的には何時間だ?」

 「避難のための時間も考慮すると、使用できるのは非常に限られている。この短い間に、どっちつかずの連中を説得しなきゃならなねぇ。つまり、一発勝負の演説で説得するしかないってことだ」

 「成る程……それは厳しいかもしれませんな……」


 パラドが苦虫を噛み潰したような顔をしていると、ダルテン・ヴェラルクス伯爵もつられて、重い表情を浮かべていた。そんな時、パラドの後ろにいるユリアが声を張り上げるようにしてその空気を切り裂いた。


 「お兄様——————。恐れながら、意見具申をよろしいでしょうか」

 「なんだ……。お前が説得するとでも言うのか? 残念ながら、奴らは我が国に対し、それなりの不信感を抱いている……。こちら側の言葉など耳には入れないぞ」

 「わかっています。ですが、私の友人に一人だけ……説得が非常に得意であり、かつ、こちらの国に属さない人物がいます」

 「おい……そいつは、このクソ戦場にご招待しても平気でいられるやつなのか?」

 「問題ありません……。彼女はどこまでもまっすぐで……そして、芯の強い人物です」

 「そうか……。できることならお願いしたいぐらいだが……行うにしても、一度あいつらの信仰心を崩壊させないと心の隙が作れない」

 「オータム伯爵……具体的には?」

 「あいつらが信頼している人物の裏を暴露する必要があるってこった。それも、言い訳ができない状況にした状態でな……」

 「成る程……密偵で捕えさせておくのが有効ですな」


 ここまで来て、パラドはようやく希望が見え始め、もう一度地図を凝視する。駐屯地を覆うような結界もさることながら、やはり隣接する市街地での戦闘は避けられないようにしか見えない。


 「これで、民兵の問題はいいとして、一番大切な作戦についてだが……」

 「なにか、策があると、言っておりましたな」

 「あぁ……。といっても、簡単なことだ。こちらが制空権と制海権が取れているのなら、裏から突いてやるだけのこと」

 「そのために、正面に戦力を集中させているように見せかける……ですかな?」

 「その通りだ。問題は誰がどこを担当するのか……ということだが……」


 この言葉と共に、作戦は少しずつ詰められていき、具体的な指示が決まっていく。そうしてそれは数時間後には命令書として、各所に回り始めるのであった。


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