第14話 無属性魔術の使い方
アスティが生み出したドーム状の結界内を埋め尽くすかのような水の濁流は、アリッサを容易に平らげようと襲い掛かる。
空へと逃げる手段を持たないアリッサに避けられるわけもなく、迫りくる濁流に襲われることが必須であるように思えた。だからこそ、地面を蹴り上げて回避しようと考えたが、濁流と同時に降り注いでくる土の槍の流星群と、それらを消し飛ばすように散らしていく落雷を見た瞬間に、『上へ逃げる』という選択肢はなくなった。
アリッサは一度、大きく息を吸い込む————————
濁流を止めることはできても、それは膨大な魔力消費につながるため、アリッサは挑まない。荒れ狂う水の壁を弾き飛ばすための魔力も、無駄が大きい。
だからアリッサは水面を蹴った————————
それは、水を吹き飛ばすためではない。荒れ狂う濁流の上を乗りこなすかのように足先のベクトル操作を繰りかえして水の中に沈まないように走り出す。
水底に沈まなければ、濁流はただの動く床だ。圧倒的質量も役に立たない。
また、降り注いでくる土の弾丸はぶつかりそうな部分だけ『ショット』という魔術で軌道を逸らして回避する。こちらを追いかけてくる落雷に関しては、防具の絶縁特殊反応装甲を使いつつ、足元の濁流に吸わせて会場を包み込むドーム状の結界で打ち消されるまで放置する。
最終的に電気を帯びた大量の水は、降参用に開かれた出入り口により排水されて勝手に消えていく。
そんなアリッサを見て、またしても攻撃が通じないことにアスティは苛立ちつつ、ちっぽけな虫を潰すがごとく、手のひらから火球を断続的に放ち、動きをけん制するが、やはりこれでもアリッサには掠りもしない。
そうしているうちに、地上で走り続けているアリッサのピッケル型の魔術杖がこちらに向いていることに気づき、アスティは咄嗟に障壁魔術を使い、身を護ろうとした。
アリッサの魔術杖が断続的な光を放つ。だが、アリッサの扱える魔術で、アスティに傷をつけられるのは『ブラスト』しかない。それも、きちんと障壁魔術を貼れば防ぎきれる。
そう思っていた————————
アリッサが展開した魔方陣から、まるで槍のような魔力の塊が生み出され、それは即座にアスティの障壁に向けて射出された。当然のことながら槍は一度、障壁に衝突して激しい音を立てて止まる。
————————が、しかし、その直後に、まるで壁をくり抜くかのように障壁に小さなヒビが6つほど、点同士で円を描くかのようにできた。だが、それ以上の貫通はせず、アスティの体には届かない。
そう思った直後、魔力で出来た中心の槍先が爆発と共に再加速して、槍の大部分を後方に弾き飛ばす。そして、反作用で前方に弾き飛ばされた槍先のみがヒビの入った障壁を喰い破り、魔力弾としてアスティの右肩を打ち抜き、体を穿った。背中から突き抜けた弾丸は、ドーム状の結界に激突して、先ほどのアスティの魔術と同レベルに障壁が揺らいだようなビリビリとした音が鳴る。
だが、そんなことよりも、アスティは自分の腕が貫かれた事実に驚きを隠せずにいた。だからこそ、睨むように、地上にいるアリッサに向けて咆哮した。
「確かに防いでいたはずだ……それが何故—————」
「あなたに教える筋合いはない。ま、言ってもわからないと思うけど……」
「魔導を極めたオレに理解できないことだと?」
「魔術じゃなくて科学だし、残念ながらね」
アリッサが再び魔術杖を構えたことに反応し、アスティは再び障壁を多重展開させながら、防ごうと試みた。だが、それをあざ笑うかのように、アリッサは普通の『ショット』だけを放ち、多重展開した障壁を無駄打ちさせた。
アリッサが修行中に生み出した、対装甲用の魔術……『ヒートバンカー』と呼ばれたそれは、相手の装甲を貫通することに特化した魔術である。いわゆる成形炸薬弾と同じことを魔術で行い、6連の小さな傷をつけた後に、その傷の中心を起点として貫通させる無属性の魔術。その威力たるや、装甲が分厚い甲羅を持つモンスターですら意味をなさないほどである。だが、弱点として、二重以上で、装甲と装甲の間が中空となっている場合は威力が減衰するというモノがある。
だからこそ、多重展開されたときなどに、違う魔術を発動させて、相手に無駄打ちさせるということを行わせつつ、ジャンケンを行うように、何度も攻撃を加えていく。しかし、相手の思考を読んでいるアリッサが有利なのことは当然であるため、アスティは即座に防御を捨てることになる。
だが、攻撃を受けることにシフトしたわけではない。
「くははははははは!! 認めよう……」
「認める? 何をいまさら……」
「いいやなに、弱体化したこの体とはいえ、ここまでオレを追い詰めたのだ。褒めて称えるということだ」
「まるで、まだ奥の手があるっていう感じだね」
「その通りだ……。貴様のおかげで昔の感覚がわずかながらに戻った。感謝する」
「——————で、何をするのかな? 踊り出したら、流石に笑うけど?」
「期待しているようならば、見せてやろう。これが、『魔王』の力だ———————」
濡れた大地だけが残る地面を踏みしめて、アリッサは未だに空中にいるアスティを睨みつける。それとほぼ同時、アスティを取り巻く空気が一変する。それはまるで、闇が顕現したかのような……。
気が付けば、会場に降り注ぐ光全てが消えていた———————
わずかに差し込む自動点灯されたトーチの魔術で映し出されたのは、漆黒の闇を纏うエニュマエル・アーストライアという『魔王』であった。血のように赤い瞳に、武骨なまでの角。そして、悪魔のように黒い翼……。それは、彼が人間ではなく、魔族である証……。
肉体は人型こそ保っているが、先ほどよりも筋肉量が肥大化しているように見える。
その光景に、誰もが息を飲み、そして、誰もが膨大な魔力に当てられて脚を竦ませた。
たった一人、アリッサを除いて———————
いや、本当は、観客席でこの戦いの行く末を見ている元勇者である剣王も同じであったのかもしれない。
いずれにしても、アリッサは息を飲んだ程度であり、膨大な魔力の波に当てられようと、息苦しさすら感じることはなかった。
「一瞬で片が付く————————」
そう、『魔王』がつぶやいたその瞬間。アリッサの真横の空間が唐突に爆ぜた。
アリッサは衝撃を直撃こそしたが、空中で体を捻りながらそれらを逃がし、再び地面に着地する。口の中がわずかに地の味がしたが、動けないほどではない。
状況を確認してみると、自分の脇腹の装備が薄い場所を喰い破る形で、鈍器のようなもので殴られたかのような青あざができていた。体が爆発で焼かれていないのは、単純なアリッサのレベルによるものであることを考えるに、何らかの物理的衝撃が加わったことに間違いはない。
先ほどから、死の予告である冷や汗は感じるが、いくら考えても、先ほどの攻撃での前兆は見られなかった。加えて、ぶつかる衝撃で発動するように仕込んでいた『ベクトル操作』も機能していない。
ただ一つ、ハッキリとしていることは、空中にいたはずのアスティがいつの間にか地上に降りてきており、爆炎の中からゆっくりと優雅に歩いて出てきたことだけ……
「なるほど……また、時間停止か……」
「おみごと……だが、これを防ぐことは叶わない。なぜなら、お前の魔術はオレの肉体には使えない」
「あぁ、そうだね……だって、『無属性』しかないんだもん……」
「ならばどうして、諦めない」
「そこにまだ、勝機があるから」
「そうか、ならば、華々しく散らせてやろう」
アリッサは歯噛みをしながらも、相手の思考を予測して、次の動作をする直前に武器を振るう。だが、その予備動作を逆手にとられたのか、アリッサの胸元のチェストプレートを砕くように衝撃が背中に走り抜けた。
アリッサの華奢な体はいともたやすく吹き飛び、ドーム状の結界に激突して土煙を上げさせる。頭を強く打ったせいか、視界がぼやけ、焦点が定まらない。おまけに肺の中の空気が外にはじき出されたことによる呼吸困難も併発していた。
立ち上がろうとすると、砕かれたチェストプレートの欠片が崩れ落ち、残された部分すらも地面に落下する。アスティの抜き手が貫通しなかったのは、防具のおかげではあるが、二度目はない。
それでも、アリッサは金属バットを支えにして立ちあがり、倒すべき敵を見据えた。
「まだ立ち上がるか……無駄なことを……」
「黙れ……」
「負けることがそんなに怖いか……」
「黙れ————————」
「次は立ち上がれないと思っている目だな」
「うるさい————————」
「そうだ。上には上がいる……。教えてやろう、これが魔術……。いや、『魔王』だ————————」
アスティは静かに手を前に出し、魔術を発動させる。それは小さな球体……
否————————
全てを飲み込むようなありとあらゆる深淵そのもの……。光や重力すらも飲み込むその闇の名前を人々は『ブラックホール』と呼ぶ。それを発動させた魔王は、それだけでは飽き足らず、より巨大化させ、アリッサを簡単に飲み干してしまうほどの大きさにまで成長させた。
「せめてもの手向けだ。塵も残さず、一瞬で消してやろう————————」
「————————ほんと……かなわないなぁ……」
黒い球体に阻まれ、姿すら見えなくなった環境で、アリッサの諦めるような、そして笑いかけたような声がアスティの耳元に聞こえてきた。それを聞き、アスティは僅かに心が揺らいだ。
アリッサは迫りくる漆黒の球体に対し、ため息混じりに笑いかけた。目の前の魔術は確かに『ブラックホール』と呼ばれているものなのだろう。だが、吸引力などは存在せず、全てを飲み込むということしかわからない。
こちらへと放たれて突き進んできており、衝突すれば、魔王の言葉通り、何も残らずに消えることも分かった。避けれるスペースも、避けられる時間はもうない。それを理解して、アリッサは諦めるように、静かに瞼を閉じた。
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