第4話 強くなる誓い

 浅い呼吸を繰り返し、全身から冷や汗をかきながらアリッサは重いまぶたを開ける。ぼやける視界で目を開けると、いつの間にか空が茜色に染まっていた。時間は1時間ほど経ってしまったのだろうか……。

 未だに胸を穿たれたときの恐怖や痛みが拭えず、ゆっくりと上半身を起こしてなお、体を確認してしまう。破けた衣服や、右胸に残る治りかけの皮膚などから、それらが夢ではないことを実感させてくれる。


 未だに揺れ動いて痛みを発している頭を、無理矢理に動かしつつ、アリッサは周囲の状況を確認する。窓の外は先ほども見た通り、茜色の夕空が広がっているが、寝ている場所は、倒れたときと少し違っていた。

 見たこともないような天蓋付きの大きなベッド……肌触りやクッション性は、アリッサが普段使っているものとは比べものにならない。ベッドの下の床には絨毯が敷かれており、部屋の端にしか家具が置かれていないと認識してしまうほど、有り余るスペース。

 隅っこには、自分の装備やマジックバック、コート、ブーツなどが綺麗に並べられて置いてある。アリッサはそれらを確認し、下半身に力を入れ、ベッドから起き上がり、素足でゆっくりと歩き出す。


 死にかけたせいなのか、それとも貧血のせいなのか、体に上手く力が入らず、息もすぐに乱れてしまうが、壁伝いで手を突きながら歩いていけば、なんとか動けはする。

 だが、重い装備を体に身に着けて動く気力はなかったため、そのままの姿で廊下に出る。廊下は貴族の別宅と呼ぶにふさわしいほど大きくはない。だが、今のアリッサにとってみれば、どんな場所よりも長い廊下に感じる。


 それでも、アリッサは事の顛末を確かめなければならない。もしかしたらサリーは既に消されてしまったのかもしれない。もしかしたら、詰め所に引き渡された可能性もある。そんな様々な不安がアリッサを突き動かし、息も絶え絶えになりながら、脚を動かし続けることをやめさせない。


 だが、そんなアリッサは廊下から出てきた人物とぶつかり、そのまま体勢を崩して座り込んでしまう。それでもめげずに、壁を使って立ち上がり、進もうとすると、ぶつかってしまった人物が自身の腕でアリッサを制した。


 「どこに行くつもりだ、阿呆—————」

 「どこって……決まってるじゃないですか……」


 アリッサを止めた人物は、あの緊急事態の最中で敵の前に立ちふさがり、アリッサを救って見せた人物……パラドイン・オータムであった。

 パラドは、顔色一つ変えないまま、進もうとするアリッサを、ふくよかな体型に似つかわしくないほどがっしりとした腕で掴み、そのまま、肩に担ぎ上げて歩き出す。

 パラドの肩の上でアリッサが暴れるが、まるで地蔵のようにビクともしない。それどころか、アリッサが苦労して進んだ距離を即座に戻り、スタート地点と同じベッドに連れ戻してしまう。


 「何するんですか! 変態!」

 「バカかテメェは……まだ体も満足に動かせねぇくせに動こうとするんじゃねぇ……」

 「でも、今行かなきゃサリーは……」


 アリッサの泣き叫ぶような声に対し、パラドは冷ややかな瞳で睨みつける。その威圧的な態度に、アリッサの体が少しだけ震えてしまう。


 「安心しろ。事情は既に聞いてる……。あの天使はまだ生きているし、お前の思い通り、あのアストラルとかいう男は護衛を引き受けた。だから、テメェが心配することなんざ何一つねぇ……わかったら、とっとと横になれ!」

 「そっか……よかった……」


 それを聞いて安心したのか、アリッサは暴れるのを止めて、ベッドの淵に腰かけて肩の力を抜いた。だが、そんなアリッサとは正反対に、荒い鼻息を鳴らして、腕を組んでいるパラドは、冷ややかな鸚緑を崩さないまま、アリッサに語り掛ける。


 「それと、そのアストラルとやらからの伝言だ」

 「あいつから? あとで訪ねてきてほしいとか?」

 「いいや、その逆だ。『この一件にもう関わるな』だとさ……。まぁ、あいつなりの配慮だろうな。こいつは、お前が思っている以上に面倒なことになりかねないらしい」


 アリッサは、一瞬、パラドが言った言葉が頭に入ってこなかった。ありとあらゆる音が消え、頭の奥底で落ち着いて考えて、ようやく、自分が突き放されたことを理解する。


 「え—————っ……。どういう……ことですか?」

 「どうもこうも、お前はもう、サリーっていう天使のことに首を突っ込むなってことだろ。まぁ、当然だな。勝手に死にかけるわ、おまけにここら辺一帯を騒ぎ立てるわ、色々したみたいだしな。早い話が邪魔だってことだろ?」

 「なんですかそれ……。あれだけ頑張って……悩みながらもあの子を助けるって決めて……。それなのに、遅れてきたやつに『大丈夫だからお前はもう用済みだ』って……ふざけるのも大概に——————ッ!」


 いつの間にか自分が怒り狂っていたことに気づき、アリッサは言葉を止めて、騒ぎ立ててしまったことを静かに謝罪する。


 「ごめんなさい……。先輩は関係ないのに……」

 「全くもってその通りだ。どうして、お前なんぞのおもりをしなきゃならないんだ。できなかったことに騒ぎ立てて、ガキかテメェは……」

 「はぁ!? なんですかそれ! 私だってこれでも努力して!」

 「だからどうした? その結果がこれか? 笑える努力だな、全く……。誰も守れず、誰も救えず、『私には力がありませんでした、ごめんなさい』って、言うつもりか? それとも『努力をしているけど才能がないんです』っていうつもりか?」

 「それは—————ッ!! でも、私には先輩みたいに万能なチート能力もないですし、仕方ないじゃないですか! そういうついている人には絶対に勝てない。それが現実じゃないですか!」

 「あぁ、そうだな。才能のあるやつはテメェみたいなクソ雑魚なんざ足元にも及ばないぐらいピカピカに輝いて、涼しい顔で全部かっさらっていきやがる。テメェみたいなクソ雑魚は足元で必死に足掻くだけでなにも出来やしねぇ」

 「じゃあ、どうすればいいんですか! どうすれば並べるんですか! どうすれば—————ッ!!」


 パラドは自分の服を掴もうとするアリッサを腕で振り払い、冷ややかな視線を崩さないまま、見下ろし続ける。


 「知るか! そんなもの自分で考えろ!」

 「できたら苦労しません! 答えがわからないんです! 走っても走っても、追いつけないんです……。悔しい……悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい!!」


 気が付けばアリッサはまるで子供の用に泣きじゃくっていた。こんな感情に苛まれたのも生まれて初めてで、どうすることも出来なかった。前世でも、努力すれば何とかなると思っていた。アリッサとして生きてきた15年間も、悪くなく、いつかは一流の魔術師に慣れると、一流の冒険者になれると、そう思っていた。

 だが、現実はそんなに甘くはなかった—————


 ハンディキャップは何一つ背負っていない。それなのに、いくら足掻こうと、目の前にはそれを軽々と乗り越えて何でもこなすやつらがいる。フローラの時も、ニードルベアーの時も、アリッサは結局のところ脇役で、彼女がいなくてもなんとかなっていたのかもしれない。

 そんな目の前に立ちふさがる目標の高さが、いつの間にか足にからみつき、『私はまだ弱いから』などという言い訳を自分の中で作っていた。誰かに縋りつけば、助けてもらえるなどという甘い考えもそこから生まれた。


 無力で、ちっぽけで、何一つロクなことがなく、強くなれる術も知らない。息をしていれば万能になれるわけでも、生まれたときからなんでもできるわけでもない。かといって卑下する程才能がないわけでもない。そんな凡人の素質が、今のアリッサを苦しめ続けていた。

 年相応に泣き叫ぶ声は、目の前のパラドには全く響かない。自分にはそこまで達することができる才能もない。サリーを助けることから戦力外通告を受けた理由も理解してしまう。だからこそ、ただひたすらに泣き叫ぶしかなかった。


 「悔しいからどうした? だからテメェはいつまでたってもガキなんだよ」

 「ガキの何がいけないんですか! 私だって……私だって……」


 いつまでも泣き止まないアリッサに業を煮やしたのか、パラドは眉を細めながら、深いため息を吐き、露骨に嫌そうな態度を取り始める。


 「なぁ、アリッサ……テメェの才能は何だと思う……」

 「知りませんよ、そんなこと……」

 「お前ってやつは……そんなんだから非効率的なんだよ……。いいか! テメェにできることなんざ限られてんだよ。そんな中でなにができるのか。何が得意なのかをもう一度よく考えろ」

 「じゃあ、先輩が思う私の長所って何なんですか……」

 「はぁ? そんなこと自分で……あぁ、クソ! めんどくせぇ! いいか、テメェの長所はここ一番でヤバいというときに、頭の中がクソほど冷えてることだ。感情剥き出しで吠え散らかそうと、体に脳がきちんと冷静な判断を下す。それはどんなに相手が強くて脚が竦んじまいそうなときもそうだ」

 「なんですかそれ、まるで見たことあるみたいな……って、もしかして先輩……アストラルとの喧嘩とか覗いてたでしょ……。どうして助けてくれなかったんですか……」

 「助ける義理がお前にはない、以上!」


 パラドのあまりの横暴な態度に、アリッサは一瞬だけ、怒り狂ったが、拳を握り締めて歯を食いしばると、自然とその怒りが沈み込んでいく。沈み込んだ怒りは心の奥底で、再び悔しさに変わり果て、アリッサの頭を俯かせた。

 だが、今度は、泣きじゃくるだけでなく、唇をかみしめたまま顔を上げ、見下ろすようなパラドの視線に、自分の薄桃色の真っ直ぐな瞳をぶつけ返す。


 「先輩……教えてください……どうすれば強くなれるんですか……」

 「知るか!」

 「じゃあ、どうすれば先輩みたいに、自分のレベルを上げられるんですか!」

 「はぁ? そんなこと知ってどうする?」

 「決まってます。先輩に頼らず強くなります」

 「この時点で頼ってるじゃねーか……」

 「これは別です。これが最後です」

 「本当に最後だな! ウソついたらお前を死ぬまで甚振いたぶるからな!」

 「えぇ構いませんよ! やればいいじゃないですか!」

 「じゃあ、教えてやるよ! まず、お前らのレベル上げ方法。それが非効率的だ。いいか! レベルを上げるためのマナの吸収量ってのは、レベルごとに違う。しかも、自分よりレベルが低いモンスターを倒しても、全く吸収できやしねぇ。だったら、どうするかって? 決まっている。自分よりレベルの高いモンスターを狩りまくるしかねぇ。パーティを組むとその分で分散されて吸収量が下がるからな。少人数……できればソロが望ましい。その環境下で、ポーションとため込んだ魔石を片手に、魔物を呼び寄せる道具もしくは魔術を使う。あぁ、できるだけ強いモンスターがいる環境でな。手ごろなところだと嘆きの森なんかだな。あそこはいいぞぉ、なんて言ったって、モンスターの死骸を放置できる。放置しても勝手に動植物が喰らってくれるからな。つまり、死体の山を積み重ねても問題ない。何はともあれ、レベルを上げるためにも、強いモンスターで実践を積むことが一番ってことだな。できれば安全マージンとかいうクソみたいなのを捨ててプラス20ぐらいで挑んでいくと最高に効率があがる。大丈夫、プラス20ぐらいなら相手の表皮をぶち抜けるし、こっちもそれなりに闘える。これができればガンガンとレベルは上がるし、気づけば高レベルになってるぞ。だか、お前の今のレベルで嘆きの森に言っても死ぬだけだ。だからまずは80レベぐらいまではダベルズ山脈で稼ぎつつ、ある程度慣れてきたら、嘆きの森に切り替えて、狩り続けろ。わかったか?」


 「いえ、これっぽっちも入ってきませんでした。えーっと要約するならば、マナ吸収の効率が悪いから、自分よりも高レベルのモンスターを意図的に呼び寄せて倒し続けろってことですかね……。あのー……それって普通に考えて自殺行為じゃないですかね……死にますよね?」

 「あぁそうだな。それの何が問題だ? 大体、死ぬことを恐れている臆病な奴が強くなれると思ってんのか? あぁ、はじめに言っておくと、死ぬことを恐れていない勇敢なやつも強くなれないからな。死んで全部パーだ」

 「じゃあ、どうすりゃいんですか……」

 「死ぬな。けど、死ぬほどヤバい実践に身を置き続けろ。それが凡人であろうと、天才であろうと、関係なく強くなるコツだ」

 「そんな無茶苦茶な……」

 「じゃあ止めるか?」


 アリッサはできそうもない答えが返ってきたことで少しだけ落胆する。だが同時に、この男が言っていることも理解できた。楽をして強くなれる才能を、神様はアリッサに与えはしなかった。ならば、神様のサイコロさえも無視してしまうようなギリギリのことを繰り返して生き続ければいい。とても簡単なことだが、とても難しいこと。

 それを理解してアリッサは呻くようにつぶやく……


 「先輩……でも、やっぱり私は強くなりたいです」

 「俺に頼るのはさっきので最後だったはずだよな?」

 「じゃあ先輩! 私、強くなります! 強くなって、私に戦力外通告を突きつけてきたあのうざったらしい顔を殴りつけてやります!」

 

 パラドは自信満々に見つめてくるアリッサの表情に押され、「フン! 勝手にしやがれ!」という捨て台詞を吐いて顔を逸らしてしまう。そして、そのまま、話は以上だとでも言わんばかりに、無言のまま振り向き、一人早足で歩いて消えて行ってしまった。

 アリッサは一人残されたベッドの上で、一度力を抜いて背中から勢いよく仰向けに倒れた。疲労がたまり、未だに気怠さが抜けきらない体ではあるが、それとは逆に、胸の中では静かな闘志が鼓動を刻み続けていた。




 なお、後日、このことを『華の同盟』に相談したところ、全力で止められたアリッサであった—————

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