第15話 地底に眠る黄金を求めてⅢ

 背中の痛みと、全身の痺れがわずかに残る感覚。何か夢を見ていた気がするが思い出すことはできない。そんな微睡を自覚した瞬間にアリッサは勢いよく体を起こした。ぼやける視界で周囲を見渡せば、ランタンに似た魔導暖房器具が目の前にあり、見上げれば岩の間に渡された金属の棒に自分の上着が干されている。横を見れば、自分たちが落ちてきた横穴が暗黒のように広がっている。


 何時間ほど寝ていたのだろうか、と疑問に思いつつ、頭を掻いて気付く衣服の破損。グローブは血だらけのまま焼け焦げたように穴が開いている。干されているコートもところどころで修復された形跡がある。自分の着ているシャツもやはり、ところどころ裂けていて血だらけになっていた。一番ひどいのは左足の靴であった。ゴムの部分は既になく、中敷きの鉄板部分が擦れたような痕を残して露出していた。その中は確認するまでもなく赤黒く染まっているため、布と皮膚が同化していないかと恐怖しながら恐る恐る脱ぐ。

 だが、意外にも左足には傷一つ残ってはいなかった。思えば、全身の至る所にも傷は残っていない。

 そうやって、全身の無事を触りながら確かめていると、コーヒーを片手に誰かが歩いてくる。それは、ゲノミルピードに追われているときに、一旦分かれたキサラの姿であった。


 「ん? アリッサ……起きたのですね……」

 「やぁ……いつの間に————」

 「偶然、運が良かったです。あなたが言った通り、別の入り口があって、そこから中へと入って歩いていたら光が見えて、寄ってみればあなたたちだったので—————」


 アリッサがキサラと別れる前に指示した内容。それは『自分たちが入ってきた入り口でスライムが通った後を追ってくれ』、ということであった。そこから先はキサラのレンジャー技能とモンスターに関する知識を頼っての判断。中層へと続く道は、ゴブリンしか通れないような小さな入り口の他にもある、という二人の勘による行動であったが、無事に見つけられたようである。人間や動物を攫ってきて搬入するには、それだけの大きさの道が必要であるのに対し、上層部にそれが全く見つからない事実が前提としてあり、探す範囲を少しだけ広めただけのことであった。ゴブリンにとっても、あの怪物がいる上層部はできるだけ避けるはずである。加えてスライムの習性であるが、湿気を好む彼らは、より湿度が高い洞窟内へと戻ることが常であるのに対し、入り口の痕跡にはそれがなかった。

 これに至ったアリッサは、キサラにこの情報を断片だけ伝えた、ということである。



 「傷を治してくれたのは、キサラさん?」

 「いえ、わたしではありませんよ。そこで、あなたと同じように寝ている、フローラです」

 「二人とも同時に倒れるなんて……キサラさんが最初に見つけて本当に良かった……」

 「全くもってその通りです。解毒剤を持ってきてよかったですよ……」

 「解毒剤————ッ!? 確かに水には落ちたけど……」

 「違いますよ……。治療が終わって、フローラから色々聞きましたが……あなたたち、ゲノミルピードの体液を吸ったらしいじゃないですか……」

 「あ——————」

 「ようやく気付いたんですか? 気化して少量だったので、軽い症状で済んでいるのでしょうね。浴びていたら呼吸不全で間違いなく死んでいましたよ」


 アリッサは自分の軽率な判断を心の奥底で深く反省する。あの時、空間が密閉されていたため、毒気が充満してしまったのだろう。わずかながらにそれを吸った二人は、症状が出てきてそのまま気絶というらしい。即座に天然の落とし穴に吸い込まれたフローラの方が軽症でよかったと胸を撫でおろす他ない状況であった。


 「まぁ、過ぎたことは仕方ありません。アリッサ、消耗品の度合いは?」

 「照明の魔石が一つ喪失。あとはナイフが折れた。服は予備を持ってきてるから何とかなるけど、ナイフは非戦闘用の十徳ナイフしかない」

 「それなら被害は軽微ですね。続行は可能でしょう」

 「キサラさんの予備を貸してくれるの?」

 「学院の支給品なので、壊したらあなたが取りに行ってくださいね」

 「そんなに簡単に壊さないって——————」


 睨むようなキサラの目線にアリッサは思わずたじろいでしまう。ちなみに、アリッサはこの二カ月で、ついさっきのナイフの破損も合わせて3回も壊している。そろそろ、殿堂入りを果たしてもいい頃かもしれないと購買の店員に笑われることは必須であろう。


 「そ、それよりも、フローラの回復魔術は凄いね。キサラさんの時とは大違い」

 「まぁ、専門ではありませんからね。わたしは基礎の基礎が扱える程度ですから……」

 「このレベルでそれだけ凄かったら、引く手数多な人材なのに……」

 「それ以上がないからですよ。聞いた話によると、フローラは回復魔術の総本山と呼ばれているブロスタ教会から目をつけられているらしいですし……」

 「なにかをやらかしたとか?」

 「あなたじゃあるまいしそれはないかとも思います。まぁ、種族の問題ですかね」

 「あぁ……なるほど……」


 世界には少なからず種族差別が存在する。学院があるリリアルガルド学術国は、そう言った差別が非常に少ないが、隣国はそうではない。加えて、フローラはハーフエルフという混血児でもあるため、周囲からの風当たりはアリッサたちの比ではないのだろう。


 「アリッサ……動けるようになったならば、準備をお願いします。長らくここにとどまっていても仕方ありません」

 「まぁ、それもそうか……」


 そう言いながら、アリッサはゆっくりと立ち上がり、狭い坑道内で、破損した服を入れ替えていく。そして、フローラが目覚めたことを皮切りに、食事を含む休憩と、散策順路を確認し、再突入となった。



 ここまでの経過時間はおおよそ6時間ほど、おそらく、外の景色はすでに月明りだけであろうが、この坑道内では、フローラが生み出している『トーチ』の魔術のみがまともな灯りである。つまり、外の明かりは全くと言っていいほど差し込まない。加えて、ゴブリンは概ね夜行性であるため、キサラが、目隠し用に作り出した土壁を解除すると同時に飛び出したアリッサとそこに偶然居合わせたであろうゴブリンと接敵することなった。


 わずかに差し込む暗闇の中で始めに目が合ったのは、アリッサであったため、アリッサは即座に腰のナイフを抜き去り、そのまま一匹目の顔面に投げつける。残りは3匹であるが、うち一匹は遠くにいて弓を構えているため、そちらはいったん無視する。

 アリッサは何も持たないまま、自分の元に飛び込んでくるゴブリンの剣での大振りな攻撃に対し、身を軽くひねるだけで回避し、そのまま頭を掴んで、洞窟の壁へと叩きつける。

 瞬間、弓矢がこちらに飛んでくるが、それはアリッサの次に飛び出したフローラが起動させた光の壁……『プロテクション』に阻まれて地面に落ちる。それを確認しながら、アリッサは壁へと叩きつけたゴブリンに対し、とどめを刺すべく、洞窟の壁をめがけて横蹴りを放ち、ゴブリンの頭を完全に押しつぶす。

 それを見て、動いていない一匹が仲間を呼ぶために走り出すが、それよりも早く、フローラが放った『ファイヤアロー』が胴体に命中し、全身を燃やしてもだえ苦しみだす。アリッサは大声を出されては困ると、そちらの方へ走り、燃えているのを厭わずに、一度だけ、頭を大きく踏みつけて潰す。

 残りの一体は再び弓を構えてようとしていたが、キサラが放った風属性の魔術により、音もなく首を斬られていたことに気づいたのは、弓を引き絞ろうとした直前であったため、そのまま音もなく地面に沈んでいった。




 その後は偶発的な戦闘を繰り返していったが、上層よりも広くなく、瓦礫で塞がれている場所も多くあり、泥についたゴブリンたちの足跡がある場所とない場所を探ると、行き止まりはすぐにわかる。

 そうやって、ゴブリンが仕掛けていったであろうトラップなどを解除しながら奥に進み、一匹残らず殲滅していく。ゴブリンの平均レベルは10~20であるため、群れていなければ、基本的には問題なく倒せる。つまりは、静かに殺し続けることさえできれば、こちらにレベルというアドバンテージがあり続けるということである。

 そうやって、少しずつクリアリングを済ませながら、徐々に制圧して地図に印をつけていく。そして、中層最後の分かれ道に差し掛かった時、アリッサが急に立ち止まった。

 アリッサは床を見つつ、通路を使った頻度などを確認した。


 「左から手前へ、左から右へ、右から左へ……逆に右から手前へは少ない……。中層への道は左かな……」

 「右はいいのですか? 今までマップを埋めるために行き止まりへも進んでいましたが……」

 「いや、右にはいかない方がいいかもしれない—————」

 「かもしれないとは、曖昧な表現ですね。何があるのですか……」


 押し黙るアリッサを見て、キサラは何かに気づき、アリッサの肩を一度だけ叩く。その瞬間に、アリッサの体がわずかに震えた。それを見て、キサラは立ち上がり、フローラの方に振り向く。


 「フローラ……。確認します—————。この先は見ない方がいいものしかありません。もしかしたら、あなたの心に傷を負わせてしまうかもしれません」

 「一体、何があるんですか……」

 「行けばわかります。あなたが冒険者であるというのであれば、進みますがどうしますか?」


 キサラの問いかけに、フローラはもっていた樫の木の魔術杖を強く握り、小さく頷いた。それを見て、キサラはもう一度アリッサの肩を叩く。すると、アリッサは無言のまま立ち上がり、腰のナイフに手をかけたまま、無言で歩き出してしまう。

 二人がそれを追うようにして右に曲がり、歩いていくと、やがて鼻が曲がりそうなほどの悪臭が漂いだす。それを位にかえさずに進み続け、崩れて小さくなった瓦礫の隙間を通るとそこに地獄はあった。



 汚物が辺りの地面にまき散らされ、いくつもの虫が這いずり、飛び回っている。だが、その中に、骨が入り混じり、そして、つい最近亡くなったであろう若い男性の首だけが横たわっている。眼球が蟲に食われたのか、柔らかい部分は朽ち果て、見る影もない。

 死体はこれだけでなく、同じような『食べ残し』がそこら中に散乱していた。腕、指先、内臓……そのほとんどが食べにくい箇所であり、ここが汚物やごみを集積する場所だということを如実に示していた。


 明かりを奥へと照らすと、添え木に未だに肉体のある女性が括りつけられていた。腕の自由を奪われ、衣服を身に着けていない体にはいくつもの生傷や青あざがあり、顔は水分や栄養が失われているのか、骨ばっているように見える。そんな女性の体は痙攣するように一度だけ小さく動くと、下半身の陰部からウジ虫と黄色い液体が入り混じったものが滴り落ちる。


 それを見た瞬間に、フローラはこらえきれず、休憩後に食べていたものを全て地面へと戻す。胃酸が逆流し、喉の奥を焼き焦がし、周囲の腐乱臭と胃酸の匂いが入り混じり鼻を突くことで、もう一度吐いた。

 アリッサは無言のままナイフを構え、ゆっくりと女性に近づいていく。


 そして、真横の汚物の中の岩陰に隠れていたゴブリンに向けてナイフを放り投げる。狙いの甘いナイフは、岩壁に突き刺さるが、隠れていた一匹のゴブリンは、逃げ出すように出口に向けて走り出す。


 「キサラさん……」


 アリッサが名前だけ呼ぶと、キサラが腰に差していたショートソードを抜き放ち、迎撃する体勢を取り始める。だが、それよりも早く、先ほどまで吐瀉して蹲っていたフローラが目に涙を浮かべ、口元についた吐瀉物を拭わないまま自身の魔術杖を振り回し、ゴブリンの頭を叩き割った。ゴブリンが血しぶきと共に倒れ伏すのを位にかえさずに、2発、3発と執拗に叩きつけているのを見かねて、キサラが、フローラの腕を掴んで強引に制した。

 そこで我に返ったのか、血まみれになった樫の杖先の魔石を見ながら力が抜けていくフローラをキサラは抱き留める。アリッサは、壁に突き刺したナイフを回収し、縛り付けられていた女性の縄を斬り落とし、腕の中へと収める。

 その時、女性が「助けてください」「もうしません」「許してください」という言葉を譫言でつぶやき続けているのを耳にした。おそらくこちらの存在すらも認識していないほど、女性は衰弱しており、回復するかもわからない。

 それでも、一同は左の道に行く前に、少しだけ来た道を戻り、僅かな休憩を取り直すしか、アリッサたちに選択肢はなかった。

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