第13話 緊急治療
状況を理解したアリッサとキサラは姿勢を変える。アリッサは体を動かせないため、相変わらず黒みを帯びた樹木に横たわっているが、キサラは地面に伏せて、茂みから様子をうかがっていた。
相変わらずニードルベアーはこちらの匂いを頼りに、近づくのだが、すぐに通り過ぎてしまう。そうして何度も往復しているうちに疲れてしまったのか丸まるようにして、体を休め始めた。しかし、キサラが様子をうかがうために立ち上がり、茂みから体の一部を出した瞬間に、立ち上がり、こちらに襲い掛かろうとしてくるが、キサラが飛び出した右手をひっこめると、また即座に見失って周囲を徘徊し始めた。
「これは……いったい、どういうことでしょうか……」
「わからない……。ここにいる限りあいつが襲ってこないのは確かだね……」
「もしかして、この茂みを境界線にして、ローザリー講師が言ってた『結界』というものがあるのでしょうか。だとしたら、どうしてわたしたちは抜けられたのでしょうか……」
「どっちにしても、ここにいる限りあいつは襲ってこないみたいだね。九死に一生をえたのかなぁ……」
キサラはアリッサの言葉に少しだけ驚いたような素振りを見せたが、すぐに他のことを考えるように、顎に手を当ててアリッサの言葉に「ですが」と続けた。
「—————ですが、その窮地はまだ続きそうです。どのみち、わたしたちはこの森の奥に進んで、回り道をすることは出来ません。この境界線に沿って移動するのも同じことです」
「進めば、あいつより強い敵に出くわす確率があるっていうことでしょ。そして、その瞬間に境界を飛び越えたとしても、今回みたいに運よく見失ってくれるとは限らない」
「そうですね。あの怪物を倒して進むか。それとも運を信じて森を進むか。この二択しかありません—————」
「うーむ……。幸運であるか否かと言われれば、間違いなく『否』と答えるぐらいにはトラブルにあってるしなぁ……。無事に抜けられる気がしない」
「—————でしょうね。となると、残された道は一つだけですか……」
アリッサが自嘲気味に言ったとはいえ、さも当然の如く、アリッサの不運さを肯定したことで、アリッサは少しだけ憤りを感じる。それは『どうしてこいつに言われなきゃいけなんだ』という単純なことであったため、特に口に出すことはない。
それよりも、現状が最悪過ぎた—————
「じゃあ、助けが来るのを待つっていうのは?」
「期待できませんね。痕跡を辿れば、ここにたどり着くかもしれませんが、今いるここは、ローザリー講師が言った通りの『助けられない場所』です。むやみやたらに戦闘をしたり、こちらに踏み込んだりもしないでしょう」
「どうして? こう、近くに来たら『こっちですー!』てきな感じで叫べばいいんじゃないの?」
「不可能ですね。ニードルベアーがあそこに陣取っている限り、講師たちは、境界線を少し手前に認識するはずです。そこで、飛び出したところで、さらなる増援を警戒して、一度目の突入は絶対にしません。そうなれば、あとはわたしたちが食い殺されるのが先ですね。ここが安全地帯であるということはないでしょうし、持久戦は得策じゃないです」
「それに————」とキサラは付け加える。
「助ける求めるこちらの視界が悪すぎます」
そう言って、キサラは、二人が転がり落ちてきた急な坂道の先を凝視する。上にある茂みを境界線として開けているが、下のこちらからのぞき込もうとすると、発見できる確率は格段に下がっていることがアリッサにもすぐに理解できた。
「前面の虎後門の狼かぁ……。前にいるのは熊だけど……」
この言葉を聞いてキサラは思わず顔を顰めた。アリッサは何気なく言っていたので、キサラの急な変化に驚き、顔色をうかがい始める。
「どうして、『前は崖で、後ろは狼』と言わないんですか? こちらではそちらの方が一般的なはずです。あなたが言ったことは、わたしの祖国の地域で使われていた言葉のほうです。先ほどもそうでしたが、あなたは—————」
この言葉にアリッサは自分の記憶に前世のことがある事実を思い出す。人格や記憶が馴染みすぎて、自分が転生したことなど忘れていたのである。アリッサは笑いながら動かせる右手を前に振って誤魔化し始めた。
「ごめんごめん。キサラさんだから、こっちの方が通じるかなぁって……。だって、キサラさんはそっちの地域の出身でしょ?」
「———————。たしかにそうですが、よくわかりましたね。こちらの方は、この頭髪と瞳の色を見て、『魔族』だと認識するのですが——————」
「まぁ、何となくだけど、肌の色とか若干違うし、それと、仕草とかが文献に一致してたなぁって思って……」
「そうですか。意外と博識なのですね—————」
再びのアリッサの憤り。口には出さないが、アリッサは、このキサラという人物は言うこと成すことに一言多いと改めて認識した。
「よければ、でいいんだけど、キサラさんのこと話してくれないかな。私はまだ全然話してもらってないからさ」
「わかりました。この際ですし、お話します。ですが、その前にやることをやってしまいましょう。それに耐えて、目が覚めたのなら、お話することを約束します」
「————耐える? 何に?」
「あなたの治療にです。どのみち、その体ではできるものもできませんから……。言っておきますが、わたしは、回復魔術に関して初歩しか使えません。自己治癒系ではないですが、元に戻すためにはそれなりの条件を整える必要があると思ってください」
「なるほど—————。ちなみに何をするの?」
「聞かない方がいいですよ。下宿先で教わった荒業ですので—————」
キサラが申し訳なさそうに目線を逸らしたため、アリッサはこれ以上の追及はしなかった。だが、拳ぐらいの木の棒を持ってきてナイフで皮をはぎ、炎の魔術で表面を軽く炙った時点で、アリッサは何となく察してしまった。これからキサラが行う治療というのは、麻酔なしの手術と同様である、ということに—————
作られた木の棒を口にくわえさせられたアリッサは、キサラの誘導に従い、寄りかかっている木の根のうち右手で掴めそうな位置に置かれる。恐らく、握っていろ、ということなのだろう。キサラも真剣になりながらこちらの体に馬乗りになり、背中をアリッサの顔の方に向けた。
こちらからは何をしているのかはわからないが、右の太ももに当てられたひんやりとした感覚と圧迫感で、押さえつけていることがわかる。視界の端に見えるのは、キサラのハンカチであろうか。誰かからもらったような手作りの刺繍が施されていた。
キサラは一呼吸おいて、「いきますよ」という。アリッサも覚悟を決め、右手の木の根を強く握りしめる。左手は動かないため、問題はないが、できるだけ動かさないように、加えた木の棒を強く噛みしめる。
刹那——————
肉が引き裂ける音と共に、刺すような激痛が一瞬のうちに走り抜け、体が跳ね上がる。脚から引き抜かれた木の枝にかかる遠心力により、僅かに血が周囲の植物に付着した。
直後には、連続した突き刺す激痛を増大させる嫌がらせであるかのように、外傷があった脚を強く押さえつけられる。
アリッサは、その痛みに瞳孔が一緒開き、思わず目を閉じてしまう。汗が吹き出し、体全体が絶命のアラームを発し始める。だが、それは1分弱程度のことであり、徐々に痛みが和らいでいき、気づくとわずかな鈍痛が残る程度にまで抑えられていた。それと共に、徐々にキサラが展開していた治癒の魔方陣の淡い白色光が収まっていった。
アリッサが、収まったことに安堵し、キサラの体重で押さえつけられながらも跳ね上がった足腰を、ゆっくりと地面におろしていく。相変わらず冷汗は止まらないが、我慢できないほどではない。
だが、そんなアリッサとは対照的にキサラは一度アリッサから体をどけると、そのまま左肩を下にして自分の体でアリッサの腹部を、左肩でアリッサの左腕を抑えるようにして覆いかぶさる。そのときの表情に安堵など一切なく、むしろ、ここからが本番であると物語っているように思えた。
キサラはまず初めに左腕肘のすぐ下と手首をつかみ、雑巾を絞るようにひねり回す。当然のことながら、肉が引き裂ける音と共に、破裂するような激痛がアリッサを襲う。体は跳ね上がり、再びアリッサの体が浮く。木の棒を噛みしめているため、うめき声しか出せないが、もしそうでないのだとしても声も出せなかったことだろう。
続くのは焼けるような痛み—————
キサラはどこから調達してきたのかわからないような黒い動植物の蔦を、まくり上げた服の袖の上から、左ひじに強く巻きつけ絞めた。
直後に、刺すような痛みが断続的にアリッサの体を襲う。キサラの背中でよく見えないが、時折、落ちていた石の上に白いものが転がってくることから骨を取り除いているのだとアリッサは理解できた。だが、理解はできたが、それ以上に頭の中が激痛に支配されていたため、思考がまとまらない。先ほどよりも多量の冷や汗が噴き出し、体が冷えていく感覚がする。
そう思ったときには、視界が霞みはじめ、まぶたが重く感じられる。アリッサが気づいたときには、泥の中に沈むように、体の力が全て抜けていき、意識も深く深く闇の中に沈んでいった。
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