山中の存在しない旅館
アカサ・ターナー
山中の存在しない旅館
私が子供の頃、お盆や年末になると両親に連れられて山の爺さんの家に帰省していた。山の爺さんの住む場所は当時からして限界集落といった様子で、予算も後回しにされているのか道路が荒れていても満足に補修されておらず、草が伸び放題だった。
正直に言えば爺さんの所に帰省するのはあまり楽しくなかった。なにせ同じ年頃の
子供もいないし店も2軒あるだけ。その店も地元の住民向けの個人商店と料理屋のためか看板も出ておらず案内されなければ店とは気付けないやる気のなさだ。
自然の中昆虫採集や冒険ごっごをするが、やはり一人だと飽きがくるのが早く退屈
であった。山に続く道もあるが特に何かがあるわけでない。父に聞けば地元住民が
山仕事をするためにある道で、せいぜい道端に小さな社があるだけだという。
帰省中はとにかく退屈だった。だからちょっとした変化に飢えていたのだ。
ある夏の日。その人物を見つけたのは蝉を追うのに飽きて木陰で休んでいた時だ。
その人物はスーツ姿で当時の私から見て中年に思える男だった。手には鞄を下げておりどこかに営業でもしていたのだろう。
街中で見れば特に気にも掛けなかった格好だが、なにせこんな田舎の山道にいるから目立って仕方がなかった。
じっとその男の様子を窺っているとやがて山道を登り始めた。父は山道の先には
何もないと言っていた。登山をするには不釣り合いな格好。どうにも怪しく思えて、
何より退屈凌ぎになると思って後をつけた。
子供の足ではあるが、日頃退屈凌ぎで歩き回っていたから丈夫さと体力には自信があった。
けれどそんな子供の自尊心など嘲笑うように男の姿は煙のように消えてしまった。しばらく山道を探し回ったが、結局その男を見つけ出すことはできなかった。
次の日。そんな事があったことを忘れて私は外で遊んでいた。すると山道から昨日の男が降りてきたのだ。
そういえば昨日は後を追えなかったと思い出し、懲りずに後をつけた。けれど私の
好奇心など知ったことかとばかりに、その男は古ぼけた駅舎の中に入って電車に
乗って去っていった。
あまりに現実的で詰まらないオチに私は茫然とした。現実なんてこんなものかと
子供心ながら思って帰宅した。
だが奇妙なことは続いた。姿格好や年齢はバラバラだが山道を登っていく人間を
目撃したのだ。中には登山する格好の者もいたが、大半は山道を登るのに適して
いない格好をした者であった。
後をつけても結局姿を見失うのも同じだ。これでこの人達が姿を消した、町に
異変が起きたというなら怪奇現象ともいえるが、何も起こらなかった。普通に電車か自動車で帰っていく。
ある日夕食を終えて暇つぶしにテレビを観ていた時に、番組の内容が詰まらなかったので退屈しのぎに爺さんに山道での出来事を話した。テレビは居間にあり父と母も
いたので全員に話す形となった。
母は特に興味を持たず、父はテレビに夢中だった。爺さんは孫の私の話を聞いて
そういえばと何かを思い出したようだった。
なんでも爺さんや町の人達もその奇妙な人達を目撃していたらしい。
山仕事をする人がたまに立ち入り、あとはせいぜい山菜採りをする人がいるだけ。
どうせろくに手入れしてないので山菜採りするだけなら別に構わないし、山火事や騒動を起こさないならと静観していたそうだ。
けれど爺さんは気になって仕方がなかった。だからある時思い切って聞いた。
こんな何もない山道に何か用事でもあるのか、山菜採りにしても他にもっと良い
場所があるだろうにと。
するとその人物はこう答えた。
旅館があってそこに泊まる予定だ。前にも来たことがあるがサービスが行き届いていて従業員も良い人ばかりで何度も足を運びたくなるのだ、と。
爺さんは不思議がった。こんな田舎の、しかも山奥に旅館があるなんて長年この町で暮らしている自分でも初耳だ。
昔は確かに旅館は存在した。だがその旅館は町中にあったし、結局こんな田舎では経営が振るわず営んでいた家族は建物を引き払いどこかへ移住したはずだ。かつて旅館であった建物は壊されて普通の住宅が建てられている。
他の者達にも聞いたが、同じような返答があるだけ。後を追うにもいつの間にか姿を見失う。翌日にケロッとした顔で降りてきて帰っていく。不気味で仕方ないが、何か事件が起きているわけでもない。だから警察に連絡しても意味がない。
結局事件が起きているわけではないから、放置することとなったそうだ。
年に数回、奇妙な人々が山道を登っていく姿を見かける。ある種の風物詩となった。
私はどうにも喉に魚の骨が刺さって抜けないような、異物感を覚えてなんだか深く関わってはいけない気がした。
とはいえ子供の頃の記憶力、あるいは好奇心は移ろいやすいものでそんな事も忘れて遊び惚けるようになった。
やがて山の爺さんが亡くなって帰省することもなくなり、大人になり日々に忙殺される内に奇妙な人達のことなど忘却の彼方に消え去った。
気分転換に自家用車で遠出していた。久々の長期休暇、旅行気分で山道を
走らせて山中の道の駅で休憩していた私はかつての事を思い出していた。
そういえば子供の頃、何もないはずの山道を登っていく奇妙な人達がいた。
町の人も知らない旅館に泊まりに来たという不思議な人達。
今になって思い出したが、やはり謎は深まるばかりだ。
けれど私は何となく爺さんや町の人達はからかわれただけではないだろうかと
思えていた。
あの山道は子供の私でも普通に歩けるほどで、特に険しいわけでも恐ろしい獣が
出るわけでもないのだ。ちょっとした散策には丁度いいだろう。一晩姿を見ないのは
どこかテントかハンモックでもあって、そこで寝泊まりしていたのではないか。
追跡できなかったのは私も爺さんも人を追跡する行為に慣れていなかったためだろう。
そこまで考えて馬鹿馬鹿しい仮定だと思った。しかしそれでいいとも思う。真相など大概くだらないものだ。なら奇妙な物語のまま終わらせるのが浪漫があって良い。
他人にはなかなか理解できない趣味、行動というものはある。実際私も遠出するが
旅館にも泊まらず観光地にも行かないでドライブだけに興じるが、理解されないことが多い。
大概説明してもなかなか理解してもらえないので、面倒になって観光地巡りが趣味だと適当に語れば納得してもらえる。あるいは秘湯を求めているのだと嘯けば驚かれるのでうんと法螺を吹くこともある。
奇妙な出来事も、紐解いてみればそれほど大した理由もなかったりするわけだ。
もし今度目的を聞かれたら山中にある旅館に泊まりに行くと、意味ありげに答えてみよう。
普段着で特に荷物も持たずに山奥へ入っていく人物を眺めながら、私はそう思ったのだった。
山中の存在しない旅館 アカサ・ターナー @huusui_novel
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