第18話


「マッチングサイト?」

「そう。でも普通のマッチングサイトじゃないのよ。完全招待制だから、招待された人しか参加できない特別なサイトなの。だから安心だし、何より育成会の皆参加してるのよ。…息抜きにね。」


 初夏。

 高校の保護者会である育成会の会合で、井上は同じ役員の一人にそう声をかけられた。


「しかも招待はたった一人しかできない仕組みなの。井上さんはイイ人だから、私、ぜひ招待したくって」


 ほとんど話したことのない役員仲間はニコニコと楽しそうに笑う。その笑顔に応えて微笑む井上の顔は本当はひきつっていた。



 興味本位で始めたサイトの名は【クゥクーシカ】


 そこでは見知らぬ者同士が好きなジャンルを選んでは気軽に繋がりチャットを楽しんでいた。


「あ、『真昼の静けさ』の語らいやってる。…懐かしい。学生の頃、好きだったなぁ、この映画。」


 井上は好きな映画の語らいグループを発見し、軽い気持ちで参加した。


【初めまして、「マロン」と申します。『真昼の静けさ』、大学の頃に見ました。不倫を描いた映画だったけど、とても美しい描写で、心に強く残っています。読み専になるかもしれませんが、よろしくお願いします。】


 井上は旧姓が栗林という。その名にちなんだハンドルネームで書き込みをした。

 すると、


【初めまして。当会のリーダーを務めています「モンブラン」です。会にご参加くださりありがとうございました。「マロン」さんと「モンブラン」、なんだかご縁を感じますね。】


 グループチャットのリーダー「モンブラン」が話しかけてくれた。


「…ふふ、」


 最初は複数の人間のチャットの中で、自分に話しかけられることが少し気恥ずかしくもあった。だが複数人の中で自分を名指しされたことに特別感を抱き、井上は少々誇らしくもあった。



 やがて井上はこのチャットを見ることが生活の一部となっていった。隙あらばスマホを開いてサイトを確認し、可能な限りチャットに参加する。

 やがて、自分の知らない間に話が展開していくことに出し抜かれた思いを抱くようになると、夜中に何度も起きてはチャットを確認する日々が続いた。


 そんな日々が2年続いた。

 毎日頻度高く書き込みをする井上は、そのグループにおいて確固たる地位を築き上げ、気がつけばサブリーダーに任命されるほどになっていた。

 それでも複数いるサブリーダーの一人であり、グループの絶対の権力者は「モンブラン」


 その「モンブラン」と個人チャットをするようになって、はや1年半が過ぎようとしていた。


 「モンブラン」はロシア在住の40代男性。バツイチ。既に井上とは何度もボイスチャットで会話する仲となっていた。


 ある日、いつものように「モンブラン」に旦那の愚痴を聞いてもらっていた時、「モンブラン」が同情めいた穏やかな声で言った。


『本当にお辛いですね。僕は「マロン」さんを解放して差し上げたい。あなたはそんな窮屈な場所で我慢を強いられる存在ではないのに。あ、そうだ。僕、実は【クゥクーシカ】の裏サイトにもツテがありまして、よかったら、そちらでもチャット、しませんか?』

「【クゥクーシカ】の…裏?」

『裏、というか、より特別な人間だけが参加できるサイトなんです。選ばれた人間しか参加が許されない、プレミアムなサイトなんですよ。』


 こうして井上は【クゥクーシカ】の裏サイトへと招待を受けた。


     ※ ※ ※


「本当は私が『身代わり』を作ってこんな日常、捨ててしまいたかった。けど、そんな勇気もなかったし、…本当に安全なのかも正直、わからなかったから、」


 自分が手を出すには不透明すぎる案件だけに、安全性を確かめる必要があった。


 その一念のみで、井上は、口外厳禁の【クゥクーシカ】の裏サイトの話を末安雫枝にもたらしたのだ。


「え!なにそれ。なんて、…なんて素敵なのっ」


 末安は思いの外、【クゥクーシカ】裏サイトの話に食い付いてきた。そして是非自分もそのサイトに参加したいと熱を込めて言ったのだ。



「…けど、私の招待枠は、育成会の役員さんに言われるまま、彼女たちの仲間に使ったから、末安さんには私のアカウントを一時譲渡したんです。」



 【クゥクーシカ】裏サイトへのアクセスは、表サイトとは別に登録し直したアカウントでログインしなくてはならない。

 表サイトの登録情報を共有しつつも別アカウントでのアクセスとなるため、表サイトはスマホで、裏サイトはパソコンで展開することも可能だった。そのため井上は、表サイトほど思い入れのない、作ったばかりの裏サイト用のアカウントを、安易に末安に譲渡したのだ。


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