第9話



 牟田はスマホをしばらく眺めていたが、意を決して通話ボタンをタップした。


 長めのコール音。

 少しばかり緊張し始めた頃に相手に通じた。


『はい。』

「あ、もしもし、俺俺」

『は?詐欺ですか?』

「いやいや、たぶん着信時に俺の名前出たよね。出たよねっ!…あなたの元旦那の暁雅です。」

『ああ、確かに「甲斐性なしロクでなしクソ野郎」って書いてあったわ。』

「俺、そんな名前なの?…まあそれでもいいけど。それでさ、ちょっと君に聞きたいことがあるんだけど、…今、いいか?」

『10分ね。』

「あ、そう。頑張るわ。じゃあ単刀直入に聞くが、代梨子さんさ、ママ友いる?」

『あ?喧嘩売ってんの?』

「…いえ。とんでもない。」


 電話の相手である牟田の元妻、代梨子の機嫌はすこぶる悪かった。とはいえ、元々そんなに機嫌のいい女でもない。どちらかと言えば、機嫌が悪いときの方が通常運転だとも言える。


『ママ友なんていなかったわね。面倒なのよ。子供が絡むと自分だけの関係でいられないから、気も使うし。話す話も、子供の話と旦那の愚痴が主になるし。…元旦那の愚痴なら一週間は喋り続けられる自信はあるけどね。』

「…そうでしょうとも。」

『で、何が聞きたいわけ?』


 察しの良い代梨子に促され、牟田は少し思案を巡らせ、


「ママ友ってのは、君ら女性からしたらどんな関係なのかと思ってさ。どうも男同士の友達とは、毛色が違うっていうか、」

『さっきも言ったけど、面倒な関係よ。子供が絡むし、そもそもコミュニティーが小さいから、仲良い人とは仲がいいけど、そうでなければ挨拶しないなんてザラだしね。しかも狭いからこそ、ママ友がいないと孤立するし。子供のこともあるからって、無理してでも頑張らないといけない人間関係だったわね。』

「…へぇ。」

『まあ、人によっては依存する人もいるんじゃない?いつでも一緒に行動して、情報も共有してたりもするし。少なくとも、学生時代の友人関係みたいに気軽じゃないわね。』


 代梨子の言葉尻からは、拭えない嫌悪感が滲み出ていた。牟田は、自分が知らないだけで、代梨子も娘が小さい頃は色々人間関係に頭を悩ませていたのかもしれないと、今初めて思い至り、


「気づいてやれなくて、悪かったな。」


 心根のままに謝罪した。


『あんたはホント、事件とか捜査とかには勘が働くくせに、家のこととなると無頓着だったからねぇ。思い出しても腸が煮えくり返るけど、まあいいわ。』


 代梨子は電話越しに快活に笑う。

 牟田も釣られて声をたてて笑った。


『あんたが笑うな。当事者だろ。』


 そしていつものように怒られた。


 途端に牟田は郷愁にかられ、聞こうと思っていなかった言葉をうっかり紡ぐ。


「そういえば、石巻さんは元気?」

『はは、元気よ。』


 すると代梨子はほんの少し申し訳なさそうに笑った。


「そうか。…ならよかったよ。」

『………』


 過去、代梨子は不倫の末、娘を連れて出ていった。そして不倫相手だった編集者の石巻と再婚したのだ。


 そのことを、牟田は責められなかった。

 仕事ばかりにかまけて、家の事を疎かにしていた自覚があったからこそ、出ていく代梨子を止められなかった。


 しかし後に、代梨子に「そこがあんたの真のダメなところだ」と詰られたが、それも全て過ぎ去った昔の話。


「じゃあ、…その、…美夜は、元気、かな?」

『当たり前じゃない。誰が育ててると思ってるの。』

「石巻さんだろ。代梨子さんは生活能力皆無なんだから。」

『あんたもでしょ。…アタシたちは、似すぎてたから駄目だったんだしね。』

「…そうだな。」

『まあ、何か面白いことになりそうならまた連絡して。あんたはネタの宝庫だから。』


 執筆を生業としている代梨子の言葉に、牟田は嬉しそうに微笑みながら「わかった」とだけ答えた。

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