第8話
翌日、午後五時。
牟田は昨日の八反田の忠告に耳を傾けることなく、依頼人、末安朋美との待ち合わせのため、入ったこともなかったスターバックスの奥の席に座っていた。
スモールサイズのホットコーヒーをちびりちびりと飲みながら、入口付近へと目配せする。
「………」
しかし、時間になっても朋美は現れなかった。
何かあったのかとスーツの内ポケットからスマホを取り出して視線を落とした時、ふと人の気配を察して顔をあげた。
「……?」
そこに立っていたのは、見覚えのない細身の中年女性。40代半ばと思われる。
この女性がおそらく朋美の言っていた「友達のお母さん」だと悟り、牟田は立ち上がりながら内ポケットから名刺入れを取り出した。
「失礼ですが、井上さん、ですか?」
名刺入れを開きながら、とびきりの営業スマイルで問う牟田だったが、井上と思われる女性は、あからさまに敵意を込めた目で牟田をじっと見ているだけ。
見定められていると分かり、牟田は名刺を一枚、井上の前に差し出した。
「申し遅れました。私、何でも相談所『止まり木』の所長を務めております、牟田暁雅と申します。この度は、」
「朋美ちゃんから聞きました。私も人目があるから長居するつもりはありませんので、この際はっきり申し上げますが、これ以上、朋美ちゃんに変なことを吹き込むのは止めていただけますか。」
井上は硬質な態度のままぴしゃりと言い放つ。
牟田はただただ困惑した。
「…はい?」
「末安さんは、…朋美ちゃんのお母さんは、何も変わったところなどありませんよ。」
「…あ、はい。そうですね、ですが、」
「昨日も私たち、電話で話をしましたから。でもやっぱり何も変わったことなどありませんでした。」
「…そうですね、そうかもしれませんが、」
「なのに、様子がおかしいからって調査を依頼するとかどうかしてます。それもあなたみたいな得体の知れない方に、」
「…あの、」
「あなたに何がわかるんですか。何もわかりませんよねっ」
一切牟田の言葉に耳を貸さない井上だったが、
「私たちは子供が小さい頃から色々相談し合ってきた仲なんです。ママ友なんて言葉では、私たちの仲は語りきれないほどの、…大切な友達なんです。」
この一瞬、井上の顔が陰ったのを、牟田は確かに見逃さなかった。
(…これは、厄介なことになったな。)
おそらく井上は何かしらの事情を知っている。
知った上で、隠蔽しようとしているのではないか。
その疑念は一層強くなったが、同時に、依頼人の身元保証人がこれほど拒絶していては、手出しができないのも事実。
これ以上の深入りは危険と判断した牟田は、
「わかりました。ではこの件は一旦保留とさせていただきます。では私の方から末安さんに、」
「いえ、結構です。朋美ちゃんには私から説明しておきます。金輪際、あなたとは関わらせませんので、ご安心ください。ご足労おかけして、申し訳ありませんでした。」
そう言って頭を下げる井上からは、謝罪の気持ちが欠片も感じられない。それでも、
「とんでもない。こちらこそ出すぎた真似をしてしまい申し訳ありませんでした。末安さんにもくれぐれもよろしくお伝えください。」
牟田は井上よりも深く頭を下げた。
※ ※ ※
胸にしこりを残したまま、牟田は一旦事務所に戻ろうと思った。
しかし、どうにも足が重く、気が滅入る。
気晴らしに、少し大きめの公園へと愛車を走らせた。
公園駐車場に着いた頃には既に西の空がオレンジ色に染まる。
のろのろ辺りをあてもなく徘徊しながら、牟田は徐にスマホを取り出した。
近くのベンチに腰掛けて、連絡先から、とある番号を呼び出し、じっと見据える。
こういうときに頼る相手ではないと思いはしたが、牟田はその番号から目を離すことができなかった。
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