第3話


「マジであり得ないっすね、タダ働きとか。今月の俺の給料出るんですか?」

「いやだな三條君、人聞きの悪い。もちろん出るよ。…俺がタダ働きするんだからさぁ、三條君には迷惑かけないよ。」

「組織の長がタダ働きすることが問題なんでしょうに。ホントここってブラックっすよね。近いうちに労働基準局に摘発されますよ。」

「そうね。…とりあえず口外はしないでね。じゃ、ちょっと出てくるよ。」


 あわよくば三條に調査をさせようと一瞬でも思った自分を恥ながら、牟田は半笑いのまま事務所を後にした。



 今回の依頼人の名は末安朋美、修華大学附属高校二年生。

 彼女から聞いた調査対象である朋美の母親、雫枝の大まかな行動履歴を元に、午後12時、牟田はスーパー『マルニチ』を訪れた。


 牟田の事務所からバスで五駅離れた場所にある『マルニチ』は、食料品と衣料品を扱う中規模スーパーだ。その中に入る青果のテナントで、雫枝は朝の8時から13時までパートで働く。

 

 牟田は買い物客を装いながら、遠巻きに野菜の品だしをする雫枝を垣間見た。聞いていた通りの風貌の、少し疲れた中年女性。長めの髪を後ろに一つでひっつめた姿は、娘の朋美に確かに似ている。


(外見は変わらないが中身だけ変わるってのは、どういう意味なんだろうか。)


 娘の朋美が抱く違和感の正体について思案を巡らせながら、母の雫枝が家に帰るまでの一連の行動を追尾した。


 仕事を13時に終え、そのまま『マルニチ』で夕飯の献立に沿った買い物をし、13時30分のバスに乗る。


 七つ目のバス停で下車し、そのまま自宅まで10分もかからない帰路へとついた。


 17時には娘の朋美が帰宅。

 そして20時に父親が帰宅したところで、牟田はこの日の調査を終了して事務所に戻る。


     ※ ※ ※


 調査を始めて一週間が経つ。

 牟田は事務所で黒革の手帳を広げて腕組みをしていた。

 

 母の雫枝を調査した結果、一日目から七日目までの間で休みは二日。その二日は共に、同居している祖母を連れて自家用車で買い物に出ている。


(だが、)


 アナログ人間の牟田は、その雫枝のタイムスケジュールを七日分、わざわざ昨日買ってきた方眼紙に記入し直し、机の上に広げた。


「何かわかったんすか?」


 牟田の眉間のシワに気がついた三條が、パソコンから目を離して牟田に問う。


 牟田は「うーん、」と唸るばかりで思案を言語化しようとしない。発見したのであろう違和感を、口にすることを躊躇っているようでもある。


(確かに、違和感と言えば違和感だが、これが「普通」のパート主婦の日常だと言えば、そうとも言えるんだよな。)


 牟田は無精髭だらけの顎を擦りながら、眉根を寄せる。


「…でも、なんだろ、この気持ち悪い感じは。」


 母の雫枝の行動パターンは、一週間を通して全く同じ動きで一貫していた。

 それも、寸分の狂いもなく。


(この一週間における「違い」は、夕飯の献立のメニューだけだったが、その金額さえも誤差の範囲内と言えるほど、差異がねぇ。)


 牟田は徐に七日分の方眼紙うち二枚を重ねて太陽光に透かす。それを取っ替え引っ替え何度か繰り返した。


 特に週後半の三日分は、ゴミ出しの時間、出勤のために家を出る時間、行きのバス停に向かう時間、仕事を終え買い物にかけた時間、帰りのバス停へ向かう時間、バス停から下りて自宅へ戻る時間まで詳細に記してある。


「…やっぱり。」


 その時系列を記したグラフはどれも、もはや一枚かと見紛うほどにピタリと一致した。


 当然残り二枚、休日の動きを記した紙を重ねても、やはり時系列に狂いがなかった。


(律儀に日々を暮らしていても、「生身の人間」では、こうも寸分狂いなく、とはいかないんじゃねぇのか?)


 牟田は七枚の方眼紙を眺めたまま、癖の強い黒髪をガシガシと掻きむしった。


 

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