バレンタインはいつ終わる?

計家七海

相談編1

 新木家のバレンタインは一月に来る。おかげで世間様の言うバレンタインデーが二月であることに気がついたのは小学校に上がってしばらく経ってからだった。サンタクロースどころの騒ぎじゃない。おふくろには騙されたぜ。ま、チョコくれるからおふくろは多少許してもいいが、親父は教えろよ。絶対面白がってただろ。


 小学生の哀れなオレはさておき高校生のオレの話。新木家のバレンタインが終わって世間様のバレンタインは始まっていない一月末の日曜日、オレはやたらと高いコーヒーを飲みながら人を待っていた。

 とある高級ホテルの喫茶スペース。ここに呼び出されるのももう数回目。初回はあまりの馴染みの無さに途方に暮れて、服装から何からおふくろに頼る羽目になったものだった。おふくろいわく、高校生なんだから素直に制服を着て行け、あとは堂々としていろ、金は最悪相手に頼れ、とのこと。騙した前科が山ほどあるおふくろに頼ったわけだから、初回のオレがどのくらいテンパっていたか察して欲しい。疑いながらも最後のアドバイス以外は聞き入れて初回はどうにかなった。

 どうにかなればこちらのもの、数回こなせば慣れたものだ。今のオレにとっては場違い感よりも、近付いた中間試験の方が差し迫っている。幸い、テーブルを独り占めすればノートや教科書を広げてスマホを置いても余裕がある。オレはスマホをいじりながらノート作りに勤しんでいた。待つこと十数分。


「お待たせしました、連人さん」

 声に顔を上げると待ち人が立っていた。あちらは別に制服ではなくて、洒落たブラウスに洒落たカーディガンを羽織って、小さなバッグと小さな紙袋を持っている。バッグが大きけりゃ荷物は一つで済みそうなもんだが、そういう実用性が目的じゃないんだろうな、ああいう小さいバッグ。


 彼女は母方の従姉の王生琴子。名字の読みが初見殺し過ぎるから、もし政治家になろうとしたら選挙ポスターの名字はひらがなになると思う。いくるみ琴子。いいんじゃないか、知らんけど。


 ひとまず勉強は終わりだ。スマホ以外を鞄に放り込んで、挨拶挨拶。

「あけましておめでとう、琴子」

 オレの挨拶に、琴子は意外そうな顔をする。

「確かに今年は初めてお会いしますね。松の内を過ぎても明けましておめでとうございますでいいのでしょうか……」

 松の内ってなんだっけ? 七草がゆ?

「何でもいいんじゃないか? 座ったら?」

「ええ、今年もよろしくお願いします、連人さん」


 座る前に手本のような角度で綺麗に頭を下げ、上げ、しかし座りながら口を尖らせる。

「連人さんがお正月にいらっしゃれば、挨拶に迷うこともありませんでしたのに」

 正月というのは母方の親戚の集まりのことだが。

「文句はおふくろに言えよ。大人げない」


 おふくろは自分の父親、オレから見れば母方の爺さんととにかく仲が悪い。どのくらい悪いのかというと、親父と結婚する直前からずっと会っていないらしい。もしかしたら時代錯誤かつ劇的な駆け落ち婚だったのかもしれないし、全然関係ないことで大喧嘩しただけなのかもしれないが、生まれる前のことなんてオレにはわかるわけがない。

 一応理由を聞いてはみたが、どっちも「気に食わないから」と来た。そこまで気の合った仲の悪さを見せつけられれば踏み込む気にもならない。勝手にやってくれ。

 おふくろはともかく件の爺さんにどうやって聞いたのかと言えば、普通に会って話しただけだ。絶縁状態に近いのはおふくろと爺さんとの間だけで、おふくろは他の親戚には会っているらしいし、オレが母方の親戚に会うのも別に止めない。だから琴子とは気軽にやり取りしているし、爺さんにも一応会った。ろくに話したわけじゃないが、まぁ、あのおふくろの父親だよ。

 琴子や爺さんを知っているなら正月の集まりにも行けばいい? いやいや、単体で会うのと会合に参加するのはちょっとレベルが違う。孤立無援で気が引けるなー、なんてもんじゃない。もう確実に何かしら面倒な話をふっかけられる予感がする。面白い面倒事なら首を突っ込んでもいいが、世の中の面倒事の大半は単に面倒なだけなのだ。近寄るもんじゃない。そんなわけでオレは今年も正月は家に引きこもっていた。


 琴子も正月の話をオレに言っても仕方がないことは理解しているようで、それ以上文句は重ねない。完璧なタイミングでメニューを差し出したウェイターに慣れた様子でブレンドを頼み、一息ついた琴子の視線はオレの鞄の方に向いた。

「連人さんが勉強しているところ、初めて見ました」

「心外だなー、オレだってテスト前の前くらいは勉強するっての」

 そこそこ真面目な高校生なのだ。そこそこね。

「テスト前の……前、ですか?」


 彼女が軽く首を傾げると、切りそろえられた髪先が肩をこする。前より短いな。

「髪切ったのか?」

「半年ぶりじゃないですか。もちろん何回か切りましたよ。面接のある大学もありますから、試験前にもう一度行きたいと思っていますが」

 目標がただの中間試験であるオレとは違って、彼女は大学入試を目前に控えた受験生なのだ。一般論で言えばこんなところでオレに会うより家で勉強をしているべきだろうが、呼び出したのは向こうだし、おそらく心配の必要な成績じゃない。息抜きだろうと他の何かだろうと付き合いましょう。まずは軽いトークでも。


「テスト前にはみんな勉強するだろ? だからその前にノートが必要なんだよ」

「ご自分用ではないということですか? どなたかご友人の?」

「まあ、不特定に何十人か」

「そんなに?」

 目を丸くする琴子は、友達百人みたいな想像をしているような気がする。違う違う。端的に言っておく。


「最初は数人だったけど、最近はそのくらい売れてる」

「売れ……お金を取るんですか?」

 今度は眉をひそめる。ま、そういう反応だろうな。

「金でも恩でも縁でも。一応進学校だからさ。勉強が鉄板の共通話題で通貨ってわけ」

「話題は、わからないでもないですけど、同級生の方からお金を取るのはちょっと」

 オレは肩をすくめる。

「安心しろよ。ほとんどの奴からは金は取らねえよ。毎回貸せってうるさいような奴か、向こうから金払わせろって言ってきた奴くらいだ」

「買わせてくれとおっしゃるんですか? それは、連人さんのノートを評価しているという意味で?」

 わざわざ買う以上、評価はしてくれてるんだろうが。

「どっちかって言うと、借りを作りたくないって感じかな。参考書買うくらいの気楽さで済ませたいんじゃないか?」

「はぁ、確かに参考書や予備校には、お金を支払いますね」


 理解はしたが共感はしかねるという表情の琴子の前に、彼女の注文したコーヒーが到着した。琴子は表情を改めてありがとうございますとウェイターに礼を言い、卓上に視線をさ迷わせるからこちらに近かった砂糖壺を押し出した。

「ありがとうございます、今日は少し甘さが欲しい気分で」

 砂糖が壺からコーヒーカップに投入され、スプーンが黒い水面に渦を作るのを眺めながらぼんやり記憶を探る。

 そう言うってことはいつもはブラックだったっけ? さすがにそこまで覚えてなかったが、前回はケーキが一緒だったような気はする。


「今日はケーキはいいのか?」

「はい、先日甘いものをたくさん食べたので、私はしばらく大丈夫です。連人さん、頼みますか?」

「オレはいいよ」

 コーヒーが高い店はケーキも高いのだ。別に値段に文句があるわけじゃなくて、本質的にはやっぱりオレが場違いなだけなのだが。

 不意にスプーンが止まる。

「もしかして連人さんも、甘いものは苦手でしたか?」

「いや? どっちかって言うと好きだけど」

 オレは特に好き嫌いはないし、甘いものも辛いものも相応に好きだ。誰か琴子の知り合いで甘いもの苦手なのか?


「では――」

 スプーンがコーヒーから引き上げられて、琴子の手が彼女の持ってきた小さな紙袋に伸びた。その紙袋は、そのままこちらに差し出される。

「――どうぞ」

「……オレに? 甘いもの?」

「ええ、お菓子です。この時期の限定品なんですよ」

 限定品。なんかここのケーキより高そうだな。

「その、今日のお礼と、そうだ、お年賀も兼ねて」

「今日のお礼って……なんか相談があるんだっけ?」

 貸しと借りの話ではないけれど、相談の内容もわからないのに先払いはちょっと怖い。

「聞いていただけるだけで大丈夫ですよ。花麟さまにもよろしくお伝えください」

 おふくろの名前を出されると、オレ宛というよりうち宛なのかと思えてくるし、だとすればオレが突き返すのも勝手な話だ。とりあえずは受け取っておくことにする。

「サンキュー」

 もしやばい展開になったら帰るときに返そう。丁重に横の椅子に置いておく。


「で、相談って?」

「お爺さまのことなんですけど」

 オレは嘆息した。お爺さまというのはもちろん我らが共通の、オレにとっては母方の、琴子にとっては父方の祖父のことだ。なんとなく目を逸らして置きっぱなしのスマホを見る。特に何の通知も来ていない画面は真っ黒だ。

「それ、オレの手に負える話?」

「お爺さまのお仕事は関係ない個人的な件なのでご安心を。それに、聞いていただくだけでいいんですよ、本当に」

 オレだって琴子を見捨てたいわけじゃない。仕方がない、聞くか。

「まぁ、うん、じゃあ、どうぞ?」

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