亡霊
五十嵐文人
1
あの日のことを話す時がきた。今となってようやく僕はあの少女のことを理解しはじめた気がする。出会ってまもない頃、彼女はよく「死にたい」なんて呟いていたが、その発言は死への憧憬ではなく、生への執着だったように感ぜられるのだ。
大学二回生の春、僕は線路沿いの小さな書店でアルバイトをしていた。家からバイト先までは、約十五分。いつも、イヤホンでお笑い芸人のラジオを聴きながら、クロスバイクにまたがっていた。
巡回中の警察官には、走行中のイヤホン着用が危険と判断され、注意を受けたことがある。イライラしていた僕は、「ラジオを聞くのと友達と会話しながら走るの。なにが違うんだよ」と去り際に、舌打ちをした。僕はそういう悲しい性格だった。
ジングルと同時にタイトルコールが流れる。数分経って、一曲目の音楽が紹介される頃、上り坂に立ち漕ぎで必死に立ち向かっていた。追い風だった所為か僕は前方をはっきりと見ていた記憶がある。
上り坂を頂点まで登り、右に曲がると線路には橋が跨っている。そこから、五分程度で書店には到着する。いつも通り、レンガで構成された角を曲がる。その瞬間に僕の目が捉えたのは、電車でも車でもなく、一人の少女だった。
サラサラとした髪は首筋辺りまで伸びており、制服を着用している。背丈と横顔から高校生だと判断できる。その少女は、童顔で美しかったが、今となってはどんな顔をしていたのか、あまり思い出せない。
少女は、橋の上で電車を見つめていた。少女は、下を俯いて泣いていた。視認した時から、僕はわかっていた。彼女は死のうとしているのだ。スカートは風で動き、ローファーのかかとは少し地面から浮いている。
夜9時に放映している青春ドラマでは、屋上から自殺しようとする生徒なんかをよく見るが、ドラマの中の主人公はいつも必死に説得をする。しかし、その説得はあまりにも自己中心的ではないかとも僕は思う。結局は、自分のせいで死んでしまう罪悪感を払拭する。もしくは、他人を救った正義感に浸って生きていたいだけなのではないだろうか? あまりにも捻くれた考えかもしれないが、前述したように僕はそういう悲しい性格の人間だった。
バイト先に着くには、あの橋を越えなければならない。様々な想像が頭の中によぎったが、正直に言うとそこにあったのは一種の恐怖であった。もし話しかけて死んでしまったら。何度説得しても死ぬと言われたら。
仮に彼女が今日は自殺を諦めたとしよう。しかし、彼女は後になって僕にこう言うのだ。
「あなたが私を生かしたんでしょ? 責任とってよ」
そう、そうだった。そもそもこの少女は電車を眺めているだけじゃないか?
考えろ。そう自分に言い聞かせ、少女の横を通る。思い切り深呼吸をした。ここが僕の人生の分岐点だったと思う。
僕は、少女を無視した。
書店の駐輪場の横には、桜が咲いていた。
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