学校での小説の書き方

 無事寝過ごして遅刻する一時限目は数学A。

 これは小説を書くチャンスと思い、震える手でスマホを机に広げる。空振りするハグのように両腕を組むことで外からの閲覧をブロックすれば、視覚的には完全個室の出来上がりだ。因みに右隣には成績最上位層で非の打ち所を見つけたい女と、左隣には授業内の駅名クイズで頂点を取ったばかりの鉄道ファンが座るが、私はいつもこうして自分の閉鎖世界を好むので構ってくることは無い。遅い回線に頭を垂れて投稿サイトを開くは良いが、はて何を書こう。周りに騒音未満であれ声がすると創作の頭脳に移行出来ず、かと言って馬鹿正直に授業を聞いたり課題の内職をしたりするのは反抗精神に反する。具体的には右前とその更に前の二人が絵しりとりを始めたようで、「お前の番だよ」「山口の難し過ぎるだろ」等とガハガハ煩いけれど、中止に追い込む度胸は無い為脳死で出来る内容に甘んじるなら、あぁそうだ、小説を書く小説を書くのはアリかもしれないと安っぽく思い付いた。まだ書いたことの無い話だしこの惨めな瞬間を切り取れるのは有意義だな、とかこんなことを書き連ねれば何と無しに字数が増えていくと思った。

 二時限目は現代文。

 プリント上の二葉亭四迷に敬意は捧げつつ私が向かうのはあくまで私の文章。声量が増してきたのでイヤホンを取り出し、ワイシャツにコードを通すことでマフラーやコートのある冬場と比べ不安ながら隠蔽を図る。指名されないかと三割程度の神経をイヤホン外へ配り、三割と言えど相当のストレスと感じてしまう私は段々と苛立ってきた。上げる訳にいかない肘と肘が疲れて可動域が狭い画面を相手にし、うっかり画面更新表示に触れないようにすれば尋常ではない程腹立つ。右の人間は早速期待を裏切り横を向いてぼおぅとしてきた。完成し切った間抜け顔を晒すな。自分以外を見つめるな。席の運命を恨む。

 三時限目は体育。

 そろそろ顔を上げようと日光を取り入れれば、半数以上着替えを済ましており、声を掛けられないようにという意味で慌ててイヤホンを外し、持込のジャージへ成り変わった。右側三人の内一人は黒板手前で跳ねており、睡眠中と思われていたならそれはそれで良かったと踏ん切りを付けた。この辺にして、校庭の地を目指そうか。

 …………四時限目は化学。

 体育終わりの気分と陽射しの高揚あってか教室は一段と騒がしくなり、教師は出欠を取るのに苦労する様子。汗を拭い水道の塩素を浴びた私はマイペースに顔を伏せて、画面を起動する。相変わらず通信はトロイが心身を休める時間だと思うことにしよう。右側に加え後ろからの視線も常に警戒する。見ると教科書を積んだ裏で何か作業しているようだ。最後尾列の連中は過ごしやすい環境でズルい。おっと教師が近くに徘徊してきた。もう全員わたしの周りから出て行けよ。狂い踊る程効率が悪い。一時間で六百字しか進まない。私が神経過敏だからというのもあるだろうけどさ。怒りで体温上昇、空腹感にも苛まれてぐぎゅうぅぅぅうねりを上げた。授業が終わったら皆が活発化する前に上書き保存して、ページを切り替えて財布を持って平然とした様相で脱出しよう。

 昼休憩。

 歩きスマホは二重の意味で危険だから移動中の同時執筆は出来なかった。購買のパンを買うと図書室に入り、奥の端が良いなと憧れの後列に居を構えた。ここは教室よりは安心して作業出来る場所で、腕組みせずとも前のめりになればあらゆる視線を遮られる。話題になるようなものはないかと見遣れば校史書物が主であまり聞き覚えのあるタイトルや作家は無い。一口目を頬張りながら別の棚に探しに行こうかと立った時、「室内は飲食禁止ですよー」奥から女性司書の注意が飛んできた。もしやスマホも禁止だったろうかと思えば尚更申し訳なくなり、「ごめんなさい!」嚥下した後直ぐに絶好の地を離れる。卓球台を居場所とする後輩共を前に、餡パン片手に安寧の場所が無い。はぁ、トイレにでも籠るか。

 五時限目は世界史。

 委員会やらサッカーやらから戻ってきた同級生は汗を噴き出したかと思えば、睡眠へと移行し始めた。前後共に疲労困憊のようで、三人連続で突っ伏するのは見栄えが悪いだろうけど私の知る由ではなかった。普段は興味の無い投稿サイトのランキングなどを見てみると、やっぱりロクな作品が無い。何が名作だよ。適当な法螺吹くなよ。こういう機械反射的な内容を自動的に評価する風潮何とかならないのか。タイトルからして面白そう?逆だよタイトルからしてつまらないの。タイトルなんてどうでもいいけどセンスの鈍さは却って際立つ。それらしい表現に甘んじてそれらしい評価を与える下らない発想。皆が熱い想いを込めて褒める内容の大半は当たり前でつまらないことだ。「AをしたらBが出来た」そんな単純な因果関係に基づく現象を世間は見たがるようだ。逆に奇跡や群を抜いた対象には驚き呆れて一歩後退する。もっと口動かして後者を褒め称えろ。同じレベル、ジャンルで括って終わりと思ったら大間違いだ。売れた数は関係無い、というか売れないのが可笑しいのだけど。一時期話題になっただけの作品は誰の生き方にも影響しないで自然消滅し、そいつの作家人生は終わる。そんな奴の名前は歴史に残らない残すべきではない。よく多才という評価があるが、多少の意欲があればどの媒体だって誰だって作品は創れる。年齢、時間なんて直接無関係な概念に付随する注目度の差は何色の偏見だろう。そこらの小説を読んでも何一つ感動しないのだけど、それはわたしの感受性が弱いからではなく周りが感情にさえ値しない条件反射であるだけだ。「良い」と評価するのは別に良いけどそれ止まりなのだよな。以上全て当たり前、前提、基礎中の基礎だろう。これはわたし個人の考えに過ぎないと言って済ませて良いことではないと思う。要すれば皆もう少し考えた上で発言しなさいということ。だから教室の笑い話などは大抵笑えない。考えないから。

 六時限目は英語二。

 雑音の中に混じるのは口先ばかりの正しさを攻撃的に呈示して、他人に向けた仮初の優位をアピールするクラスの鳴き声。私は人を嘲ることに何の魅力も感じないから理解出来ない。学習能力があろうと生活単位のそうした思考力を持たない人は多いのね。私は特別害を与える訳ではないから変わっているとしても同じ空間を共有して浮足立つことは無い。だけどこの空間はもう辞めたい。顔面左半分が「辞めちゃえよ」の文字に擽られる。我ながら優しく脆い性格だと思う。しかし優しくないということはつまらないことだと考える。騒ぐのは百歩譲ってつまらないことを自覚した方が良いと思う。周囲が私に与えてきた苦しみを周囲も味わうべきだ。学校生活を犠牲にしてまで創作活動をしている事実を裏返せば創作時間を削ってまで登校している。私の興味やアイデアは毎日毎秒降りてきて絶えることを知らない。しかし新鮮なまま形式に発送しないと今の想いは腐る一方だ。だから私は誰より早く帰宅し、時には遅刻して授業をサボタージュ。他人は怠けているだけと思うだろうけど私にとっては大事な夢見なのだ。夢が叶わなくたって小説執筆は一生続けるけど。

「何書いているの?」つらつら打ち込んでいると、横切ろうとした山口やまぐち音恩ねおんが覗いてきた。

「えあ、いや、小説読んでいたんだ」久々の会話の上にこの姿勢、答えをはぐらかすと彼女はふうんと言って身近を去った。あの態度は凡そ確実に私の執筆作業を知っていた。教室の誰にも明かしていない、そもそも明かす相手が居ない状況で悟られてしまった。表か裏で言いふらされるだろうか。出来れば在学したまま人生を安全建築したいので何も起こらないことを祈った。

 教室から人影が消えていく中、私は終わりに向けて書き続けた。周りの微かな雑音を耳の穴に入れたりはしない。私は自分の為だけに時間を使うと決めたから。

 下を向き続けた後、気付けば誰も居なくなっていた。

 そういう人生を歩んでいた。

 それでも私は下を向く。

 …………よし、続きは電車の中で書きます。


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あの子の中の短編集 沈黙静寂 @cookingmama

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