日めくり喫茶

 一年後に受験を控えたわたしはロッテリアを訪れた。一月の寒気をジャンパーで駆け抜けた自動ドアは暖色系の飾りでわたしを迎え入れた。交通手形として一番安い百円の野菜ジュースを買って着くのはカウンター席の最南端。日の出を背面にした壁際の席でカップを寄せ、鞄に入れたテキストを横長に広げる。ストローの空気を減らしながら問題を解く。近寄り難いのか元々客が少ないのか、わたしの周りには人が居つかないので貸し切ったように勉強できてしまう。ブービートラップで誘爆することの多い家よりも格段に良い時間を過ごしやすい。これがわたしの近頃の生態。今日もその規則に準じてここにいる。

 朝日が西日に色移りする頃合。耳栓した世界で伏し目がちになっていると、コードで切られた上画面に消しゴムが落ちてきた。不吉この上ないが補欠合格を比喩するように、あぁでもそんなものないかと思いながら拾い、落とし主、(手の)滑り主、転がし主、えぇと持ち主は誰かと上体起こしする。

 見上げるとわたしのすぐ側、一つ間を空けた隣の席に君が座っていた。紺色の制服を脱いだセーター姿に腕を捲る女子学生。今も昔も知らない新顔に照準を逸らせず視線がかち合う。小さく会釈して互いの存在を認める。君は両手を受け皿にして消しゴムを盛り付け、ありがとうございますの謝辞を伝えて一歩帰還した。正面を向いていた君の頭が横顔に固定されるのを見送るわたしもカウンター備え付けのペーパーに標的を変えた。

 無感動にあるいは機械的に頭を駆使していく。呼吸を描写する程の現実味は省いて身体を傾けていると、時々君の断片が映る。君はわたしの方を見ない。制服事情に詳しくないわたしは何処の学校だろうと何年生だろうと思案の一片が占拠された。いやいや集中力を奪われないようにしないと急転直下に膝を支点に首の皿回ししてる。わたしは自分以外から学び取るためにわたしの絶対的な理性と極過の感情は一旦封殺して犠牲にして記憶力と集中力に捧げているんだ。他人という掴み所のない人間相手してる恐ろしい場合じゃないんだ。プレッシャーはない常に生きるか死ぬかだからだが、ただ危機感と一緒にこの街並みを歩いてる現状を供物に捧げるように進まなければならない。君は整った首の上下であるけれどわたしは色恋沙汰に現を抜かしてるようではない鬱と勝機を庶幾われて他の何をも投げ出すつもりで生存するものだ。その後終始積もる話はすることなく二人の時間は途切れることが指すのは君のお帰り。

 帰る様をガラスを透視して傘も差さない煤だらけの君が横切っていく。空気を裁断されて意識しない君は美術学を学ばせてくれる。絵画を写し鏡して通るのがわたしにはひどく印象深く思えた。君が仮に最後の年、三年生だとしたら親近感も持ち上がるだろうし敵意も感じるだろう。君という人間にふらつきながらの試験は大層出来が悪そうだから否応なく止めるしかなさそうだ、と意地を張ってその場に残留することを決め続けた。そして塩梅の良いタイミングになってわたしは粘ったカフェ店員に対して非礼を軸にして回転するようにロッテリアを出た。単語帳を見開きながら交差点沿いを往った。

 それからという事実、ロッテリアに来ようとする度に君のことが脳裏に張り付く。君がわたしより先に催した例はないためある種の安心感を抱いて参入するのだが、やはり遅れて君が加入してくるのは日課だった。言葉だけで捉えられる世界だったら破綻していただろうけどこの世界には空気という物が存在しているので君とは酸素を通した仲となる。君はわたしという遮蔽物が残っていてそれでいいのかはたまた置物と思って並べているか前を凝らして離さない。凛々鈴の鳴る学習態度に見習って自分を戒めるところだけど間違っている理由が分からないとこの立心身が危なくなっていた。受験が孤独の戦いであるのを突きつけられて独身の喜に馳せるばかりであるが分かった振りを存続させるのも批判的に掌握されそうだから何でも知ってそうにあるいは答えてくれそうに射影する君に質問コーナーに追いやろうかと迷う。無言の調律を奏でるガールズバンドなんて解散しようかと。そりゃ解散するよ衆議院も解散するんだから。絶好の脳内議事堂を譲れないわたしは断固としてわたしの右サイドを守衛する君のことが放っておけない。

 断続的な陽気に愛されたあるカレンダーの一コマ、勇気と声を漏らしてみた。制服の裾に届いてしまうくらいの近さで機を奪った。ねえねえ、君は何処から通ってるの。脅える素振りも見せないで回答してくれた。君の学年は案の定ナンバースリー。連動購入特典で志望大学を同じくすることも天日干しされた君に予告通りアンテナが静電気を帯びるわたしは自分で言うのも何だけどわたしと似たような雰囲気を持つ人だと君を評す。常連であり常連であることが奇襲に異を唱えるよう銃を撃ったと考え、物怖じしない外面ニアリーイコール性格が弾痕からご査収なすった。何と君の淡白さの中にもわたしは可愛さを抽き出したのだった。わたしの方極は積もらないと言うのに。そうして一度は戻って心境が割れるが、君が家庭の味を求めてくる頃になってわたしもその中途まで、ガラス板を隔てることなく同伴することができた。かくしてわたし達はこのカフェチェーンに出会す度話すようになった。

 隣並んで歩いて分かったこととして君と身長が横這いであるのを確かめる。差し迫った問題も似通っていて校外の人間の繋がりは不思議な上にシンパシーが上塗りする。何塾通ってるの、等の答弁が実を結んで君は駅近郊に身を置く学生であり塾生であることが発覚した。地元を共有するわたし達は、新オープンのお菓子屋さんあるらしいね、や、この予備校評判悪いんだって、と情報を伝え合ったり、単語帳を開いて用語をプレゼンさせ合ったりしながら君と同帰する。会した一堂で一言二言話して中盤からは互いに頭を下げ、歩道橋で分岐される時それぞれの家へと別れる日々が続く。また明日いる君を思い。

 二月に入り、わたしは塾を出る。信頼はしてないが洗脳されてみている教室において自分等以外の人間‎を往々にしてご存知ないから煽り文句を呼吸穴から充溢に製造する高校生の寄せ集めなアウェイは卒業して、君の居るホームへと足を伸ばそう。会いに行くとしたら君以外条件を満たさないなぁと、冷めながらしみじみと、昼時になって君と何十回目かの再会を果たした。例の席で変わらない君が背を丸める。こうして君に出会うことが努力ではなく自然になっている。

 だがわたしが君に投げる言葉。やっとの思いで遭遇する君に捧げた文句は尖を帯び、無軌道にばら撒かれた。具体的には君とは何の関わりもない話題をカウンターに提供して、君は何を返したらいいのか困った表情でそれを受け止める。取り零していただろう形で漏らす君の愛想による笑いや共感がわたしに示唆するのにわたしの見る目はない。思慮がない、なくなりゆく。肌寒い外の風が白壁をほろ苦く溶かしてこの場所でのみ繋がれた他人の赤は強調された。知って間もなく付き合いの悪さが露出した、ということだった。

 三月中旬、春風駘蕩とした街並みに靡かれて来た、眺める店装。制服を着崩したまま進入する。じっと座って手と頭を操縦。しかし幾ら空が変色したところで君の姿が現れない。わたしの眼に投影されない。仕方なくそのまま帰り、散視する定型路。

 それ以降も、君がこの店に来ることはなかった。

 君がいなくなった。


 店の中、一人で飲み物を取った。道順に従いながら無人の的に矢尻を当て、目尻では目的の地ではないが同じく隣の無人を見る。すると足の操作を誤り、わたしの手にするカップは宙を滑りかけ、しかし零さないよう両手を抱え何とか手中に収めた。奇妙な行動を訝しめられてないかという不安と視界を広げると、いつもと変わらない客層が上映されていた。

 ただ君がいない。

 共有財産な出会った机を持て余す。

 思えばわたしが知ってる君のプロフィールには虫食いだらけ。住所や電話番号さえ聞いていない。あとはわたしに対する態度程度。交流関係など以ての外。今頃知らない場所で、わたしの知らない友達と親密に勉強してるのかもしれない。わたしなんて端から暇潰し程の存在だったのかもしれない。

 だけど君と過ごした時間が甦る。

 頭に吸着して離れない。

 一向に離れてくれない。

 取り出した筆箱から消しゴムが転げ落ちた。

 もう、どうしたらいいのやら。

 諦めて項垂れる。


 君のいない日が捲れていく。

 君がいない事に慣れるような時。

 君のことばかり浮かぶ。

 君なんか忘れたい。

 君が忘れられない。

 君に会いたくない。

 君に会いたくなる。

 一年後。

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