第20話
僕の期待に反して、コハクの身体は暖かく固まったままだった。コハクのお母さんが、眠り続ける娘の手を握りながら言う。
「何万光年先で大爆発が起こっただけなのに、地球がここまで明るくなるなんて。宇宙でほんと不思議よね」
そうして悲しそうな顔で続けた。
「そんな不思議なことが起こったのに、娘は目を覚まさない。こんな壮大な天体ショー、見逃したらもったいないわよって怒ってやりたいわ」
「そうですよね。僕もコハクが目覚めたら、コハクに自慢してやります」
白い星明りにコハクの肌は透き通るように照らされていた。
僕はいつものようにコハクと二人きりの時間を過ごし、夕飯の時間になると家へ帰った。
夕焼けがなくなり、時計でしか時間感覚を把握できないのは変な感じだ。
「自慢か……」
僕は一人つぶやいて、猪島公園から「死んだ星」を眺めていた。
写真を撮るのは好きじゃなかったが、コハクに見せるためにモニュメントの時計も構図に入れて、明るい公園の様子をスマホで撮る。
コハクが見たら、
「ずるーい!」
なんて拗ねそうだ。
カラスやハト、コウモリたちが混乱し、空の上で覇権を争うように飛び交っている。昼の主役と夜の主役、今はどちらの時間なのか。時計がない鳥やコウモリには、分からないままだ。
夜行性の動物たちもきっと混乱しているだろう。夜がないだけで世界はこんなにも変わる。
『喫茶 まどろみ』の前を通ると、ミソラさんが閉店準備をはじめていた。
「あ、平川くん」
ミソラさんは僕をみつけて手を振った。あれ以来、僕はよく『まどろみ』にお邪魔し、コーヒーを飲みながら勉強や読書にふける。たまにミソラさんの機嫌がよければ、奢ってくれることもある。
「もう閉めちゃうんですか?」
明るい時間に店を閉めているイメージが湧かなくて、僕はついそう言った。
「もうって……。こんなに明るいけど、7時前よ。一応、閉店時間だし」
「あっ、そっか。すみません」
僕はさっき撮った時計の時間を思い出した。昨日までは薄暗かったのに、今日はまるで昼過ぎのようだ。
「なんか明るいと調子が狂っちゃうわね」
「そうですね。学校でもこの話題で持ち切りでした」
「でしょうね。うちのミナミも朝からテンションが高くて……」
ミソラさんがそう言っていると、お店のドアが開いてミナミが飛び出してきた。僕に気づかずにスマホを手にし、
「お母さん! 見てみて!」
とはしゃぐ。学校では見たことがない鯨川ミナミの姿だ。
「あら、超新星が綺麗にとれたわね。平川くんにもみせてあげたら?」
「え」
「こんばんは、鯨川さん」
僕に気づいたミナミは顔を真っ赤にすると、
「あ、あっ」
と脱兎のような勢いでお店に戻っていった。
「ちょっとミナミ!」
ミソラさんが扉をあけて呼ぶが、ミナミは2階まで駆けあがったようで返事がない。
「ごめんね。あの子どうしても家族以外と話すのが苦手みたいで」
「いいんです。それに鯨川さん、部活に友達がいるみたいですよ。普通に話している姿を見たって、友達から聞きました」
「そうなの? あの子、部活がある日は何となく落ち込んでいるように見えるから、心配はしてたんだけど……」
ミソラさんが頬に手を当ててそう言っていると、お店の中から一人の男性が出てきた。僕が初めてここに来た時から、いつも窓際の席にいる、髭を生やした紳士服の中年男性だ。
「ミソラさん。ごちそうさまでした」
「斑鳩いかるが先生。いつもありがとうございます」
先生と呼ばれたその人は、丸眼鏡にシルクハットを被り、僕の横を通り過ぎていった。僕が軽く会釈をすると、彼も帽子のつばを上げ、
「どうも」
と小さく頭を下げて歩き去っていった。
「あの人、よくいますよね」
僕は気になってミソラさんに尋ねた。
「君と同じうちの常連さんの一人。近くの国立大学の先生よ。専攻は量子力学?とか宇宙素粒子?だったかな。内容が難しくて、授業に学生が来ないってよく嘆いているわ」
なるほど、言われてみれば大学の先生っぽい人だ。
『雨に唄えば』のジーン・ケリーのように、夜が消えた街を楽しげに歩いていく彼の背中をみて、僕はそう思った。
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