夜が消えた日

藤 夏燦

第1話

 僕が数学の過去問を解いていたとき、星が死んだ。


 いわゆる超新星爆発というやつで、眩《まばゆ》いくらい光の帯が、僕の部屋の、数学の参考書まで流れ込んだ。


 それは一瞬の出来事で、当たり前の崩壊が始まる合図でもあった。


 日が沈めば、夜がくる。そんな当たり前を。


 雨野あめのコハクはもう二度と目を覚まさない。そんな当たり前を。


 遠く古い星の光が壊してくれる合図だった。




☆☆☆




 窮屈な制服に袖を通した日、僕は晴れて中学生になった。


 入学式には知っている顔も、知らない顔もいる。別の小学校からやってくる子たちは、ほとんどが初対面だ。


 まわりの女子がスマホで自撮りをしあうなか、僕は冷めた心地で桜の木を眺めていた。


 まるで人生という小説が次の章へ進んだような。エスカレーターが次の階へ登ったような。そんな程度の感情だった。


 どうして制服を着たくらいで、ここまで舞い上がれるのだろう。


 やっていることは今までと大して変わらないというのに。


 毎日、学校へいって、授業を受け、部活にいって帰る。その繰り返し。小学校から変わらないし、きっと高校へ行っても、大学に行っても変わらない。会社に入ったって同じかもしれない。




 父は入学式にはこないというので、僕は桜を見上げながら、ただぼんやりとクラスへの移動が始まるのを待っていた。


 スマホのシャッター音と、親や生徒が話し合う声が響く。


 この桜は何年、ここに植えられているのだろうか。毎年こんな光景が繰り返されて、きっと辟易としているに違いない。


 散った花びらを春風が巻き上げる。


 その先に僕と同じ窮屈な制服を着た、ひとりの女子生徒が立っていた。同じ制服だけど、知らない顔だ。


 彼女はスマホを持つことも、誰かとなれ合うこともなく、ただ桜の木を見上げて、髪をかき上げていた。


 僕と同じことをしているというのに、彼女は何故か生き生きとしている。




「ねえ!」




 ずっと見つめていた僕に気づいて、その子は言った。




「同じクラスの子でしょ?」




 ショートカットの髪に、朱鷺色の頬を緩ませてほほ笑む。




「うん。3組だよ」


「やっぱり! 私、雨野あめのコハク。岐阜県の小学校からきたの」


「岐阜県?! 僕は平川ひらかわ平川ひらかわヒカリ。市内の小学校出身だよ」


「そうなんだ! 私まだこの街のこと知らないから、いろいろ教えてね」


「うん。もちろん、いいよ」




 知らない人と話すのは何故かあまり緊張しない。コハクは雪化粧のような瞳のなかに、僕を映して言った。




「ねえ、ヒカリくん。私たち、友達にならない?」


「えっ、いいけど……」




 僕は戸惑った。入学式初日に、知らない女の子と友達になれるなんて思いもしなかったからだ。




「じゃあ決まりだね! 私のことはコハクって、呼び捨てにして構わないから」




 春風が吹き抜ける間に、僕らは他人から友達になる。




「あ、あの。どうしてコハクは、こんな僕なんかと友達になろうと思ったの?」




 自分を卑下するつもりはなかったが、転校生とはいえ明らかにクラスの中心にいそうな美少女が、校庭の隅で僕なんかに話しかけてくれることが意外だった。




「こんなって、ヒカリくんは十分素敵だよ。それにね、『この瞬間』を見ているのがヒカリくんだけだったから。


 みんなスマホやおしゃべりに夢中で、こんなにも綺麗に桜が咲いているのに目を向けようともしない。それにせっかく知らない誰かと出会える日なのに、知っている友達と喋ってばっかりだし」




 僕とコハクが桜の下にいた理由は明確に違っていた。


 でも僕ははじめて、コハクような考え方があることに気づいた。この桜の花びらも今の桜と去年の桜では、同じようで全く違う。




「あ、クラス移動がはじまるみたいだね。一緒にいこ!」




 首を傾げるように僕の顔をのぞき込んで、コハクは言った。新しくはじまった人生の新章の1ページ目に、今までにない春色の描写とコハクの文字が刻まれる。


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