等身大人形劇

文月瑞姫

第1話

 栗名月の客席に、私を招く手が在りました。透き通る触りの風が肌に冷たく、私はカーデガンを一枚羽織ながら席に着きます。

 長らくバスを乗り継いで来ましたから、都の何処か分からぬ野外で、何が始まるとも知らぬまま欠伸を我慢しております。と云うのも先日、和人形の名匠であり私の師でもある小松様が、観劇をしようと仰ったのです。何やら人形に関する劇であるとのことですが、私には劇の学もなく、人形の勉強をする他に優先すべきことも無いとは思ったもので、最初は断ろうと思っておりました。然し地方の人形師が集まる場でもあると聞いたものですから、劇は余所目に、せめて数多の人形師に会話を試み、拙作に助言の一つでも頂ければと思った次第であります。本当に本当に、劇と云うものに興味は御座いませんでした。


「佐々木君、君を此処に招いたのは他でもなく、君にこそ観せたいと思ったからだよ」


 其のような言葉を頂いた時はまだ、喉の渇きを誤魔化すばかりに何度も何度も茶を飲み込んでおりました。其れが幾何かの驚愕に変貌いたしましたのは、めくりの返る音を聞き、其方に向き直ったときで御座います。其処には「等身大人形劇」なる演目の名が書かれておりまして、否、人形劇でありましたら、数々の人形が立ち並ぶことだと思いまして、欠伸が直ちに止まりました。

 何より、師が数ある弟子の中より私にこそ見せたいと言う劇が、その人形が、如何様なものであるかと考えれば、心の涎とも呼ぶべき動悸を覚えるばかりでした。


「人形劇でありますか、失礼、面白いでは御座いませんか」

「落ち着くのだ。此は只の人形劇ではない」

「では、如何なる劇で御座いますか」


 師のお見詰めになる舞台では間も無く演目の始まろうと云う息があり、その挨拶が告げられました。私は此れより、かの劇に心奪われることと為ります。


  ***


『等身大人形劇』


 鬱蒼たる寺院の跡に、三体の人形が居りました。其らは人間の体を以て作られたと云う、人間と一切の違いを認めることのできない人形であります。

 長であるリクに呼び集められた一同はリクのお告げを待っておりますが、胡座のまま一向に動かない彼を見兼ねて、気張りのサユが歩を進めます。


ヲチ「私共を集めた理由は存じております。お告げでありましょう! 一体全体如何なるお告げが在りましたか」

リク「……非常に、陰惨たるお告げだ」


 リクの言葉に誰もが青褪めました。矢張、と呟いたのはヲチ、此の場に唯一居ないマニを偲んでおります。マニは夕餉の後より床に就き、悪辣な夢に寝汗の堪えぬもので、ヲチは必至の看病をしておりました。終に長であるリクの呼び声が在るまで、マニの顔を案じて居たのです。


ヲチ「マニは如何に。病に臥しておりますか。或いは死に憑かれておりますか」

リク「否、呪いだ」


サユ「呪い」

ヲチ「呪いですか」


 ざわめきが始まりますと、此まで黙しておりましたサユも立ち上がり、リクを問い詰めるように囲います。リクは毒を服したような顔で俯き、皆は其れを見守っておりました。


リク「お告げは、私を以て信じることができない。この中に人間が居り、其れが呪いを振り撒いている。此の儘ではマニが死んで終うだろう」

ヲチ「人間が、此の中に居ると仰るのですか」

リク「如何にも。だが……在り得ない。我々は一同共に生まれた筈。共に生き、共に育った筈だ。此の中に人間が居ると云うのは、些か神をも疑う話ではないか」


 サユは苛立ちに依り、地面を叩きます。


サユ「神を疑うことは無い。人間が居るならば処して然るのみ。サユは人間を好まぬ。気紛れに我々を作り、気紛れに壊す。時には我々を臭気の滾る箱に閉じ込め、身動きの一つも取らせぬ。そのような悪逆を許してはならぬのだ。此れは我ら人形に与えられた天命、我らを欺く人間を暴こうではないか」


 此のような言葉から始まった人間探しは、言の葉をくべて火の手を上げ、愛憎劇と為るのです。


リク「然しサユよ、憎しみを以て人間を処すと語るが、人間と同じ非道に手を染めては我々の語る人形の誇りは泥に沈んでは終わないか」

サユ「貴様、人間を庇うなど義心の表れ! 或いは同族に情けが差したか」

リク「其は違う。平素より人形の誇りを謳うのはサユ、其方であろう。気変りなど人間の拙なる心、其方こそ人間なのではないか」

ヲチ「愛する同胞を死に就かせぬよう、人間を処すべきだと考えます。マニを失うか、人間である誰かを失うか、私達には其の二つ以外は与えられて居ないのです」

サユ「其れが善い。長は血の気が足りぬ。本物の人形の真似のようではないか。仮にも人間の体で生まれた我ら、一切は血で血を洗おうぞ」

リク「私は其方等が恐ろしい。人間とは何だ、人形とは何だ。其のような疑問が些末に思える程、其方等の愛憎を恐ろしく思う。私は誰も処する事は無い。無いが、其方等の中に人間が居ると云うならば、納得をしてしまうだろう。人間は其のように、愛憎を以て人形を壊してきた。歴史、歴史だ。歴史が人間を語るのだ。人間が居ると云うならば、必ずや人形を壊す定め」

サユ「道理。人間と人間の最たる相違こそ、歴史だ。人形が人間に壊される歴史は終わらせねばならぬ。今こそ人間を処する人形の歴史が始まるのだ」

ヲチ「其れは同意し兼ねます。此の件に於いてはマニを守るべく処するに限り、強いて人間を処する人形と為る事は、人間の仕業を辿る事に他為りません。道理無き破壊が人間の歴史で在れば、道理在る処刑が人形の歴史で在るべきです」

リク「サユは何故人間を処したいのだ。其れでは人間と変わらぬでは無いか」

サユ「道理を訊ねるか。嗚呼、他に在るまい。我が人間で在るからだ。人間の罪を背負いし人形が、人間の真似事をして何が悪いと云うのか。さあ、一思いに我を貫くが善い。人間の罪を背負いし我を貫くが善い。其れを以てしても貴様等の愛憎は絶えぬ。人形は歴史を紡がねば為らぬのだ! 人間を処した記憶を語り告げ。其の果てに人形は真に人間と為り得るのだ」


 サユの言葉を受けて尚、二人は矛を抜く事も出来ません。


リク「サユ、御前が人間だと云うならば、自らを処するよう仕向ける道理が分からぬ」

サユ「人間は憎い。人形を破壊した後に涙の一つも流さぬ。其のような人間が我は憎い。自らが其の人間で在ると云うならば、我は自らを処することも辞さぬよ。其れが分からぬか。分からぬか。矢張、貴様も人形なのだ。我々人間の心が分からぬ、矢張、人形なのだ」


 サユは自ら命を絶ち、マニは呪いより解放される次第と為りました。然し、彼ら人形の心の中には、サユを想う心ばかりが残って居ります。


  ***


 月をも割るような拍手を以て、劇は御開きと為りました。さて、私は此の終劇に際して、真に人形師として貴重な経験を得たと考えました。人形とは確かに人間の形を模してはおりますが、人間とは確かに別の存在なのだと云うことです。其の差異を理解することが、今後の人形師としての生涯に以下程の影響を与えるかと考えれば、心に涎が垂れるばかりです。


「ところでこの席にも、一体ばかり人間が紛れて居ると云うでは御座いませんか」


 其のような小口が聞こえたかと思えば、他の人形師と歓談に勤しもうとした私の足は、終ぞ動かなく為りました。会場を占めるありとあらゆる目が、何れも私を見詰めて居たからです。

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等身大人形劇 文月瑞姫 @HumidukiMiduki

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