第8話

浴槽にお湯が溜まった。白い湯気が出て来たので換気扇を回しておく。 浴室に足を踏み入れる、冷えた白いタイルが裸足に染みる。やはり、靴下は履いておくべきだったか? いや、靴下を着用して風呂場に入るのも違和感があるし、ここまで来たら我慢しよう。どうせ、すぐ終わる。


その場でしゃがみ込み、腕捲くりをした。僕の細っ白い貧相な腕が出てきた。

そして瞳を閉じた。リストカットのイメージトレーニングだ。こういうのは思い切りやらないと何度も痛い思いをしないとだからな、一発で決めるぞ。


よし、やるか! 右手に包丁の重さがズシッと伝わる。その包丁の切っ先を左手の手首に力強く当てた…………つもりだった。

実際は5mmぐらいの赤黒い玉がプックリと浮かぶ程度の出血量だ。傷口の部分がピリピリッと痒くなってきた。


やはり、ビビッてしまったか。見ながら実行したのがいけなかったのかな? 次は目を閉じてするか。あと包丁は当てるのではなくて、擦るようにしてみるか。


目を閉じた。換気扇の音と蛇口から落ちる水滴の音が聞こえる、その中で自分の呼吸が荒くなっているのがわかる。


先程より少し上にズラした位置に包丁を左手に当てた。そして右手を素早くスライドさせた。 勢い余って浴室の壁に右手を打ってしまい、痣が出来た。だが、おかげで左手から黒いドロッとした血が出てきた。


痛い、痛っ、てゆうよりもうこれは熱い! 火傷したような感覚だ、空気に晒してるだけで顔がお爺さんの様にシワくちゃに歪む。


ああ、傷口をお湯に入れないとだったな。でも絶対に痛いよな、これ以上に痛いとか考えられないよ。 でも入れないとなんだよな。


ゆっくりとお湯に入れようとしたが湯気が傷口に染みて 「うっ…」と小さく声を漏らした。そのまま我慢して浴槽に腕を浸していく。肘の辺りまで入れ終わったら少し痛みも落ち着いてきた。


湯船にうっすらと赤い液体が見え始めてきた。お湯を足そうかと思い蛇口をひねった、そしたら出てきたお湯の水流で傷口の痛みが増したので慌ててお湯を止めた。

手首を切ってから三分は経っただろうか、この頃には物を考える余裕が出てきた。


何だかこの態勢、意外と辛いな。 暇潰しに何か持っとくべきだったか。 ジーンズが湿ってきて少し寒いな。 この人生は何も無かったな。 僕が死んで誰か泣いてくれる人いるかな? ああ、そうだ最後はちゃんと目を瞑って死なないとだったな。 痛いな。 まあ、これで辛いことはもう無いんだよな。 早く死なないかな。 振り返る思い出も無いなあ。 ヤバい、意識が虚ろだな。 死の瞬間を確かめておきたかったんだがな。 誰が最初に見つけるんだろう? ああ僕はあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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