4 みんな大事な武器がない

「フェアニース、いるのー、いるんでしょー⁉︎ フェアニスリーリーリーッチ!」

「うっるすぁーい、その名前で叫ばないでっ、まだリリー・フェンディで住所登録してるんだからさあっ」

「カラーカ・ヴァゴンの物売りで、背蝙蝠族の男の素性を教えてーっ、フェアニスリーリーリーッチッ!!」


 紅葉は、あれから花火を追うか、風巻の物売りを追うか迷った結果……

 7区の縁 (ブリンク)に住んでいるフェアニスリーリーリッチの自宅まで向かい、助力を請うことにした。

 彼女は偽名でピザ屋に教えた住所に、まだ堂々と住んでいた。ターキーコーラの染みと、タバコの灰、尿の匂い。唾と落書きだらけのアパートは、偽名の人間にしか住むことが許されなさそうな外観だ。ドアを思いきり叩くのが礼儀とばかりにガンガン叩き、寝起きあけのフェアニスは、自身の蒼色の翼くらい眉間の筋を青くさせつつ、紅葉を中へ引き入れた。

「何よ、コウモリ族? んなの知らない。物売り同士で交流なんかないわよ、週末にセラピーサークルがあるとでも? 『やあ、フェアニス、僕はこの2ヶ月で500グラム体重が増えてしまったんだけど、この仕事を続けていいと思う?』」

「口答えしないで、店くらい知ってるでしょ! 多分あんたの直前に物売りにきた人なの、ザクロ入りのヴラッディジュース……陽気で、黒ずくめで、前髪が少し隠れてて……」

 紅葉は記憶を振りしぼり、4日前の夜を思い出していた。ノア都市の夜は毎日のように何かが起こり、そのたびに過去の重大な出来事さえも、忘却の霧に包まれ線路の果てへと去っていく。

「あー『コウモリジュース』ね。やっすいジューススタンド、南の区にはあんまないけど工場地区じゃ多いわ、職人たちのオヤツと喉になってる。7区だけで15店舗くらいあんじゃない? たしか背蝙蝠族しか店員になれないってはーなし」

「そんなに? じゃあ、同じ店員じゃない可能性もあるのか……」

 コウモリ族はずっと頭を下に生活しているため、職業選択の自由があまりないと聞く。飛翔するために、骨が浮きでるほど体がほっそりした人物が多い。

「……それか、店員に身を扮してる可能性も……」

「フン、コウモリ族なんてみんないいいかげんだし、二枚舌だし、飛び方キモイし、大嫌い」

 急にフェアニスから偏見と悪口を吐き捨てられ、紅葉は路上の唾吐きを目撃したときのようにゲンナリした。


「事情は分かったよ……ありがと、じゃあね」

 もう少し協力を要請しても良かったが、彼女と一緒にいたくない気持ちの方が勝ってしまった。

「はー、叩き起こしといてもう帰るわけぇ? あそうそう、フィリップおぢい、昨日ノアからトンズラしたそうよ。さようなら、金と欲望のうず巻く都市よ!」

 フェアンスはパサバサと翼を広げ、札束をバラまくようなポーズで餞別のことばを送った。

「そう……」

 ジョバンニ爺さん、もといフィリップ・フェルジナンドが去ってしまったか。まぁ、想定はしていた。同じく【Fsの組織】を追う者同士、いつか出会うだろう……

「待って——私の大槌はどこ? ジョバンニさんが持ってるんだよね!?」

 紅葉の武器【鋼鉄の大槌】、故郷サウザスから託された大事な宝だ。ないなら無いで身軽だ、なんて思ってはいけない。

「ふん、フェアニスがちゃぁーんと管理してるわよ。それより銀のクロスボウはなくしてないでしょうね、あのこはフェアニスの命の次に愛しているの、無くしたら目玉をつついてやるんだからねッ!」

「当たり前じゃん。ちゃんと金庫にしまってあるし大丈夫だよ。ショーンの【真鍮眼鏡】を賭けたっていいんだからっ」

 女たちは毛を逆立てて威嚇しあう。


 ヘックシェイ——‼︎

 噂のショーンは、サロンのモザイクタイルの床にむかってクシャミした。


「あらやだ、お風邪かしら」

 ショーンよりはるかに布面積の少ないタバサが、ショールをまとう腕をあげ、労りの声をかけた。

「いえ、大丈夫です。それより意外でした。ソフラバー兄弟って……大陸一の金持ちじゃないですか。どうして離婚しちゃったんです、お金が好きそうなのに」

「さ。人の心など分かりませんわ。結婚も17年ちかく前の話——当時は今ほど事業安泰でもありませんでしたしね」

 ギャリバーがシュタット州で初めて販売されたのは37年前、ルドモンド全土で販売がはじまったのが32年前のことだ。

 ショーンが子供だったときはまだ珍しく、流行に敏感な若者のための乗り物だった。魔術学校に閉じこもって約4年の間に、近所の母さんや市場の婆さんまで乗りこなすようになっていて驚いたものだ。

「とにかく——大富豪キアーヌシュと大女優の花火、彼らがソフラバー兄弟と一直線で繋がっていたことは分かりました」

「そして、ここノア都市は、ギャリバー内部エンジンを支える歯車の産出都市……ソフラバー兄弟がギャリバー完成のために、わざわざ遠く離れた地から、歯車の輸送を頼みこんだ地でもあります」

 そして、謎の地底都市が存在する地……なんだろうか。

 コポコポと奥の水音が大きくなった。パイプをつたい、タイルに反響している。

「水道、そうだ、このビルって地下水道には繋がってますか?」

 サロンでは水を多く使う。先ほど花火といた部屋にも小さな池があり、シャワーも完備されていた。

「え、ええ……地下室に点検口がありますわよ。点検口は鍵がかけられないので、いつも外から鍵をかけていますの」

 紅葉から聞いた『時計塔』の水道も、たしかそういう構造だった。

「僕——その点検口から、地下水道に降りてみてもいいですか?」

 事件は空の上でなく、地面の下で起きている。



 3月29日地曜日、時刻は夕方6時をすぎ、太陽が暮れてきた。

 ノア岩盤の上に存在するノア都市は、暮れどきも妙に明るく、朱色と黄身の上に、溶いた白身をかけたような色合いで工場を包みこむ。

 クタクタの昼行性の人々が、ジューススタンドで背蝙蝠族から軽いミールを買って、食べ歩きながら帰路についていた。小走りに去っていく夜行性民族は、おそらく遅刻寸前なのだろう。いや、すでに遅刻済みなのかもしれないが……

「うおっと……!」

 ロビー・マームは、修理したばかりのA-27型【ニーナ】を、また路肩にぶつけそうになって、エンジンを止めた。

「歩きますかねえ」

 先ほどは運よくダンデ技師からタダで直してもらったが、今度ぶつけたら自腹で払わねばならなくなるだろう。サイドカー付きギャリバーを坂道で転がすのは面倒だったが、学生時代のマルタリーグの大会練習よりは何倍も楽だった。運転に脳を割かなくなったことで、先ほどのダンデとの会話が鮮明に思い起こされる。

「時計技師ダンデ・ライトボルト……あの人は……」

 学生時代、講堂に生徒があつめられ、ギャリバーの免許をいっせいに取った。多くの生徒は、湖牛族の講師の豊満なるヒップにしか目を追っておらず、創始者ソフラバー兄弟の肖像写真は靄のかなただった。ロビーも例に漏れず、顔に薄靄がかかったままだが、時計技師ダンデの知識、経験、的確な修理、大富豪キアーヌシュの傍にいたこと、民族がおそらく同じであること、さらに年齢……

「間違いなくソフラバー三兄弟のひとり——しかしなぜ……」

 ロビーの左から静かに『時計塔』が時を告げ、高い時計盤のそばを鳥民族の誰かが飛んでいった。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16818622175508168928

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