4 時計塔がノアの心臓だ

「はぁ……大変だった」

 ショーンは、背中を丸めて銀行脇のベンチに腰を下ろした。

「お疲れ様です。広報部長とお近づきになれるとは良かったですね。ま、本音をいえばもっと重役が良かったんですが」

 尻尾に包むことを知らないロビー・マームは、『峯月楼』の手土産、苺冰餅いちごビンもちを片手にはっはっはと笑っていた。銀行員エドウィン・リバレッジが持たせてくれた高級菓子だ。

「……エドウィンさんとも話がしたかったですね……」

「おや、お目が高い。あいつは出世頭ですよ、今のうちにツバつけといてくださいね」

 氷のように硬い長方形の冰餅は、口に含んでるうちに、本来の餅のように柔らかく丸くなっていく。

「もうちょっとで夕方だねー。次、どこいく?」

 紅葉は、梨冰餅をモニモニと口の中で揉みしだきながら質問した。

「……一番大事なとこに行かなきゃ」

 ショーンは、残りの柿冰餅、葡萄冰餅、小豆冰餅をムシャムシャたいらげ、目的の方角をキリッと見つめた。



 ノアの心臓部は人によって答えが異なる。

 もちろん、都市の行政をになう『都市役場』だろう。と四角四面に答える者。

 いやいや、大事なのは財政なのだから『証券場』さ。と斜に構えて答える者。

 だが昔からノアに住む人ほど、こう答えるに違いない。


『時計塔だ——時計塔がノアの心臓だ』


 ノアの都市産業を支える工場群は、この『時計塔』をシンボルとして発展してきた。

 古くは時刻を鳴鐘する巨大な塔として存在し、機械時計が発明されて以降は、塔の四方側面に時刻盤が設置され、音だけでなく視覚でも都市民に時を伝えている。

 場所はプロア街道の内側中央——ノア南部の中心に位置する。

 ノアは、この時計塔を中心として放射線状に7つの道が作られ、7つの区が形成されてきた。

 ペティフォーケ1区、コントラフォーケ2区、フォフォーケ3区、メサナ4区、バウプレス5区、マイヨール6区、トリンケェーテ7区…

 ショーン御一行は、銀行があるフォフォーケ3区と、都市役所があるペティフォーケ1区の間の道を通り、時計塔へ向かっていた。



「ロビーさん、時計塔と時計台の違いってご存知ですか? 僕はまだ違いが分かってなくて……」

 大富豪キアーヌシュが住んでいるという『時計塔』。

 2代目の建築家マーチウス・ゴブレッティが設計に関わったという『時計台』。

 マチルダには別物だと笑われてしまったが、いったい何が違うのか。

「ああ、『時計台』とは、役所の南にあるモニュメント・クロックのことですね。都市部によくある、美観をあげるための謎オブジェですよ。駅前広場にありますよ。『時計塔』とは逆方向ですし人は住めません。別物です。ま、観光客はよく勘違いするそうですが」

 高いビルとビル間の暗い道からは、時計塔の姿はまだ見えない。大工事のため土台の鉄骨が組まれているから、余計に暗くて視界が悪かった。

「ねえ、『時計塔』って大富豪キアーヌシュが住んでるんだよね……? そんな大事な塔で生活できるんだ……地区で管理してるとかじゃないのかな」

 紅葉は腰をかがませながら、洞窟内を通るときのような声で疑問を呈した。

「ふふん。現在のノアは高層ビルが建てられ、時計塔より高い建造物も多くなってきましたが、シンボルとしての高尚性は失われてません。『時計塔』はノアの文化財であり、都市の宝にあたります。そして塔には『守り人』が必要——昔から多くの政治家や文化人が住み、守り人としての任務に当たってきたのですよ」

「『守り人』……そんな制度が」

 ショーンと紅葉は、慣れぬ都会の薄暗がりになんとなく体を縮こめていたが、ロビー・マームは光ある方へ進むように、堂々と歩いていた。

「さ、あれが時計塔です!」

 ノア特有の白く眩しい光が、また目に突き刺さり、思わず2人は瞳を狭めた。



 ノアの時計塔。

 全体的に茶銅色なこの都市で、ひときわ明るい色をしていた。白いニワトリの卵のような、黄身がかった色合いだ。

 丸みを帯びたそのフォルムは、隙間なく細かいレンガが組まれ、精密さと円美さを放っている。

 全長は12階くらいだろうか。9階から10階くらいまでの高さに、時計盤が4面設置されている。白い丸盤に、コントラストが効いた黒の時計針は、地上からでもよく視認できた。

 周囲に建物はなく、塔をぐるりと取り囲む円形の街道には、花壇と低木が植えられ、ベンチがあり憩いの場所となっている。(労働者の顔は、相変わらず暗かったものの。)

 大富豪の住まいのわりに、ずいぶんと和やかでオープンな空間だったが、ものものしい守衛が2人、塔のドアの前に直立しており、他にも3人の守衛が円形街道を巡回していた。

「これってさぁ……さすがのアルバ様でも入れないよね」

「聞いてみたら? 守衛さんに」

 紅葉にチョチョイと促されたが、ショーンは思わず顔を背けた。

 嫌だ、お尋ね者になりたくない。


「くそっ、やっぱり誰かお偉いさんに紹介を頼むしかないか……どうしようかな……」

「たしか、レイクウッド社の人たちも、ノアに工事で来てるんだよね。アルバート社長に頼めば、どうにかなるんじゃない?」

 その時、午後4時の鐘が時計塔から鳴った。

 重厚な、古典的な音調で、昼の高揚が過ぎたことを伝えるような、物哀しい音色だった。

「フフフーん♪ ホホホーイ♪」

 腰をフリフリさせて、愉快な男が東のほうからやってきた。哀しい音階に軽快なビートの鼻唄を被せて、うまいこと調和させている。

 ノアの労働者なのに、やたら楽しそうだ。黒い手のヒレと、ピンクの足ビレ。独特な腰の動きは、ペンギン族特有の……?

「——あ! えーと、あの! 助けてくれたお方!」

「おっや?」

「ほら、僕らがギャリバーを盗まれそうになった時に、モップでシュッと牽制してくれた……」

「あー、ひょっとして昨日の! ここで会えるたー偶然だねえ」

 銀片吟族の掃除夫が、ニッカリ笑って笑顔を見せてくれた。


「よかった〜、ちゃんと御礼がしたかったんですよ!」

「アッハッハ、いいって礼なんて! 大したことしてないっしょ」

 ショーンと紅葉は、大恩人に再会して瞳を輝かせた。なんせノアに来てから唯一嬉しかった出来事だ。

 ロビー・マームは少し離れたところで佇んでいる。

「それに、偶然ってほどもねーかな。オレはこういう公園ンとこを掃除してっからさ、同じ観光客に何度も会うのは珍しくねーのよ」

「いえ、またお会いできて嬉しいですよ。そういえばお名前をお聞きしてませんでしたね」

「ひゃっはっは、名前なんて聞いてもすぐ忘れちまうよ! オレもお前さんたちの名前なんか覚えられんし!」

「あはは……そ、そーかもですね」

 ショーンと紅葉は、なんとも微妙な顔をした。2人とも酒場育ちという、他人が多い環境で育ったせいか、ひとの顔と名前を覚えるのは得意なほうだ。

 でも、まったく覚えられない人もよくいると聞く。


「まぁ、オレの名前は覚えやすいか——ここじゃあな。オレの名は『ノア』っていうんだ。どうだ、忘れないだろう」

 彼はふと寂しそうに笑った。

「ノア——さん」

「そ。誰にも名前が忘れ去られない土地に来たんだ。まぁ、忘れるヤツもいるけどさ。そいじゃ、仕事に戻らせてもらうぜ!」

 そういって『ノア』は、足ビレをペチペチさせて、己の本分へ戻っていった。

 ノア自身が覚えられないせいか、こちらの名を聞くこともなく立ち去られてしまい、ショーンと紅葉は毒気を抜かれて、時計塔の目の前で突っ立っていた。

「あの方、銀行員にはなれませんね。はっはっは」

 寒いビル風が吹くなか、ロビー・マームだけはいつもの調子で笑っていた。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16818093074707092377

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