4 黒い爪、金の記号
時は町長事件、直前の夜——3月7日火曜日、夜11時。
レストラン『ボティッチェリ』にて、コスタンティーノ兄弟との宴会は、いよいよたけなわとなっていた。
クレイト商人たちが用意した鶏の手羽先やカエルの煮付けは、舌が弾けるようにスパイシーで、甘口の酒が進む進む。いつもフニャフニャで淡白なピエトロの料理とは大違いだ。オーガスタスは肉を骨ごとしゃぶり尽くし、チェリーワインをいつもの3倍消費していた。
『いやあ、すんばらしい香辛料理ですなあ! ぜひサウザスで定期購入させて頂きたいッ‼︎』
『……お気に召したようで何よりです』
クレイト商人のリーダーが、黒いローブから長い爪を出し、テーブルをカリカリと引っ掻いていた。爪の表面は真っ黒に塗られており、何か小さく金色の記号が描かれている。
『ほら、そこの兄弟ッ! この方達にワインのお代わりを持ってこんか!』
酔っ払ったオーガスタスは、横にいたコスタンティーノ兄弟のひとり……五男のステファノを顎で指示した。兄弟たちは、長男マルコと四男ファビオがちょうど席を立っており、彼一人しかいなかった。
ステファノは内心ヤレヤレと空のワイン瓶をかかえ外に出て、個室にはクレイト商人3名、オーガスタス町長、町長の両端に立つ警護官の2名が残された。
『その方達もぜひどうぞ』
リーダー商人が黒い爪をゆっくり振った。部下商人ふたりが席をたち、香辛料理の皿とわずかに残っていたワインの杯を、警護官ふたりに差し出した。
『——私たちは結構です』
『なあに、せっかくだ、飲みなさい!』
オーガスタスは鳥の肉を引きちぎり、ごぶごぶとワインを飲み干した。すっかり酩酊した町長は、スーツを椅子にかけネクタイを緩め、己の尻尾をだらしなくテーブルの上に投げ出している。
警護官のレイノルドは顔をしかめ、バンディックは苦笑しつつ、両者ともワインを飲むと……みるみるうちに顔が赤くなり、その場に膝から崩れ落ちた。
『なんだあ、お前たち、そんなに酒が弱かったか?』
オーガスタスは呆れて後ろを振りかえった。
『いえ、違いま——』
盛られた、と気づいた時には時遅く——金のワニの尻尾の先端部に、銀色のナイフが突き立てられていた。
『グオオおおオオオオオッ!!』
オーガスタスの悲鳴が2階個室に響いた。
警護官たちは体が動かず、部下商人らに背中を取り押さえられている。
1階にいる客も、店員も、コスタンティーノ兄弟たちも、誰ひとり凶行には気づかなかった。
唯一、屋根裏にいるエミリオだけが、この上なく笑顔をほころばせ、楽しそうに情景を見下ろしていた。
『聞け——ブライアンが持ち逃げした秘宝を取り戻しにきた。2時間以内に秘宝を用意しろ。午前1時に公営庭園の前で待つ』
リーダー商人が暗くしわがれた声で耳打ちした。
平たい大皿の上に、ジワジワと赤い血が流れる。
オーガスタスは必死にもがいたが、ナイフはピクリとも——ルドモンド大陸で最も重たい鉱物よりも、頑なに動かなかった。
『——ま、待ってくれ、なんの話だね⁉︎』
『もう300年以上も待った』
商人は黒い爪をギラリと見せた。
そこに小さく刻まれた金色の記号は【
昔オーガスタスが成人した日に、父親から見せられたボロボロの古い小冊子。その表紙に描かれた、忘れえぬ紋章がしかと目に飛びこんだ。
『お前たちは……っグオオ!』
銀のナイフが奥までグサリと刺さり、皮を断つ寸前のところでザシュッと引き抜かれた。
オーガスタスは床に倒れてもがいた。
クレイト商人たちは、幸か不幸かそれ以上は手を出さず、黙って見下ろしていた。
ようやく戻ってきたコスタンティーノ兄弟たちは、ぽかんと口を開けて戸惑っていた。
警護官は重度の酒に酔いつつも、尻尾を手当し……町長一行は店を後にした。
『これからどうされます? 町長』
オーガスタスは涙を流し、夜のサウザス町を歩いていた。
顔からは血の気が引いていたが、酔ったせいで傍目にはそうは見えなかった。
強力な抗菌作用を持つワニの尻尾は、すでに出血が止まっており、通りすがりに怪我をしたと気づかれる事はなく……事実、ちぎれそうな尻尾の先端部より、オーガスタスの脳内はおそろしい組織と秘宝の件で満杯だった。
『フンヌ……ッ——ひとまず役場へ向かう』
『警察を呼びますかい? それとも約束通り公営庭園へ?』
警護官のバンディックが赤ら顔で首をひねった。
『まだこの件は誰にも言うな……どうするかは……いったん中で考えよう』
3人は千鳥足で役場に到着した。
裏玄関に立つ警備員のアントンが、暇そうな顔をして町長たちを通した。彼は偉大なるブライアンの子孫だが……いまここで頼った所でどうにもならない。
『ふぅ……』
警護官2人を町長室の外に立たせ、部屋に籠もったオーガスタスは、これからどうすべきか頭を巡らせた。
クレイト商人は【Fsの組織】の一員だった。
この計画にはコスタンティーノ六兄弟、ひいてはユビキタスが関わっている。
断じて彼らに秘宝の在りかを教えてはならない。
交渉すべきか否か。警察を呼ぶべきか否か。
それともフランシス様にご連絡を取るか、
コクラン家には、スティーブン様には……
さまざまな事象を総合的に考え——
『よしっ、逃げよう‼︎』
——この場から逃げることにした。
ここまで喋り続けたオーガスタスは、点滴台に手をかけ、フィーッとため息をついた。ショーンは猿の尻尾を揺らしつつ、寝台に腰かけて静かに傾聴している。
「あの日、町長室の窓に呪文をかけたのは、町長本人だったんですね……なぜわざわざ?」
「私の方からは警察に頼れませんでした。ユビキタスの不正に関わってる者もいましたし、秘宝の件を伝える事になりますからね。ですが…… “警察は呼びたかった” のです。役場にね」
彼は己の手のひらを見つめた。彼にはコクラン家の血……アルバの血が混じっている。
「何者かが連れ去ったと見せかけるためですか?」
「はい、密室となれば騒ぎになるでしょう。役場に警察が集まれば、向こうもかなり動きにくくなる筈です。もし私が途中で死んだとしても、ユビキタスや商人の野望は阻止できる」
「……アルバの僕が疑われませんか?」
「おおッ、そうでしたかな。考えもしませんでした!」
ホッホッホと太鼓腹を揺らした。
「では警護官には何も伝えず、その場を出て行ったと……」
「左様です、誰にも内緒でした。我が妻ダイアナにも……私は列車でクレイトへ逃げるべく、コリン駅長の家へ向かったのです」
当時のオーガスタスにとって、それは最善の決断だった。
それが最悪の選択になるとも知らず……
絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16817139557092839555
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