6 塔の姫君

「やあやあ、お楽しみかな? 諸君」

 桃白豚族のアルバ、クラウディオ・ドンパルダスが優雅に指を鳴らし、扉の前に立っていた。

「おや、先輩もいらしてたのですか、お久しぶりですな」

 ヤママユガの幼虫ムニエルを食べ終わったペイルマンは、ナプキンで口髭を拭きながらマイペースに挨拶した。

 ショーンは未だに胸の動悸が収まらず、もごもごと喉の奥を鳴らしている。

「ああ、今まで塔のお姫様の相手をしていたのでね。たった今、ベンジャミンに変わったところだ」

 クラウディオはテーブル上のワインを注ぎ、勝手に座って飲み始めた。


 どうやら事件に関わったアルバたちは、ここへ全員集合しているようだ。

「フーンム、ワインはルオーヌ産に限るというが、クレイトの物も悪くない。満月湖を思わせる、透きとおった良い香りだ」


「いいですね、ワタシも一杯もらいましょう」

 ショーンの前では傲岸不遜なこの2人が、同じ対等なアルバとして和やかに歓談している……春キャベツの蒸し煮を齧りながら、ショーンは己の若輩ぶりに、怒りと焦り、そして惨めさが胸中でない混ぜになってしまった。

 酒盛りする彼らからいったん目線を外し、窓の向こうの満月湖を眺めて、心を落ち着かせ——改めてクラウディオに話しかけた。



「クラウディオさん、先日はお疲れ様です。なぜ……その呪文を使ったんですか」

 消臭呪文 《パフューム・フレイル》──昨晩、町長事件の調査で浮かびあがった呪文だ。ショーンは『オーガスタスの匂いを隠すために、ユビキタスがこれを使用した』と推理したが……彼は真相を知っているのか?

「なぜって——お困りのようだったからね、フフン、他に理由など?」

 クラウディオはワインを片手にウインクを飛ばした。

「理由って……そりゃ」

 理由を歓談室でペラペラ喋っていいものかようやく気づき、ショーンは途中で口をつぐんだ。春キャベツの青臭みが喉に広がる。

 1週間ほど前、この消臭呪文で鍛冶屋トールを丸ごと消臭してしまったが……クラウディオは正確に、ショーンの服だけを消臭してみせた。ワインの匂いはちゃんと分かるし、適切な残り香までちゃんとある。


「昔からお気に入りの呪文の一つなのだよ。うっかりコロンをこぼした時に最適でね。マダム・ミッキーの家事呪文はどれも素晴らしい!」

「ワタシも彼女の作った《ソーセージ入りのパイ》はよく使います、みるみるうちに活気がみなぎる」

「フハハハ、愛しのマダムと塔のお姫さまに乾杯ダッ‼︎」


 クラウディオとペイルマンは酒杯を交わして飲んで、交わして飲んで……あっという間にクレイト産のワインと同じ顔色になってしまった。

 大人はなぜこんなにも酒が好きなのか……ショーンには理解しがたい。きっと永遠に分からない問題だろう。


 そうこうしている内に、先に謁見を済ませたベンジャミンが戻ってきた。宴会の様子を見るなり舌打ちし、顔を引き攣らせつつショーンを呼んだ。

「いいか、君がこの事件のもっとも重要な参考人だ——マナ一粒余さず彼女に情報を伝えるように」

「……はい」

 結局、消臭呪文の真相は聞き出せぬまま、最上階の7階にあるアルバ統括長の元へ足を運んだ。




 アルバは、帝国によって合格資格を得たのち、州によって管理されるようになる。

 活動報告や恩給の振り込み、資格喪失の手続き、真鍮眼鏡のメンテナンス等々……身の回りの多くを州が管轄している。アルバに関する法律も、帝国で制定されたものの他に、州ごとの独自の決まりもある。基本的に現在の居住地を登録し、転居する場合は移動届を提出する。州によって管理名称は様々で、ラヴァ州では「アルバ統括室」と呼ばれている。


 現在のラヴァ州アルバ統括長は、巻鹿族のフランシス・エクセルシア。高名な呪術大家であるエクセルシア一族、その分家筋のスーアルバである。彼女はショーンの母親と同期で、昔から個人的な交流もあり、ショーンがアルバになる際もなにかと便宜を図ってもらえた。彼女は塔最上階の7階で、働くのみならず居住しており、訪問者は彼女の私室に通される。


 彼女の私室は、南の満月湖側に茶会用のミニテーブルとミニキッチン、北に書きもの机と書棚と水洗室、奥の西側の壁には天蓋付きのベッドと、必要最低限のものしか置かれておらず、ベッド脇にある古びたドアには、巨大な魔術倉庫があるとも研究室があるとも噂されている。真に選ばれた者しか入室できないので、実態は謎だ。 


 ショーンが初めて彼女の部屋を訪れたのは、14歳の時だった。

 魔術学校にて『自分が住む州のアルバ管理室を訪問せよ』という授業があり、その一環で訪れた。窓際にある茶会テーブルに通され、夏告なつつげ茶をともに啜った。



『……フランシス様は、なぜ小さなお部屋で暮らしてるのですか?』

『最低限ベッドと書き物ができるテーブルがあればいいのさ。君のご両親もそうだろう? 未だに下宿に住んでいるとか』

『ええ。周りからよく言われます、銀行の人にも……もっと良い家に住んだらどうだって』

『いらんいらん。アルバという生き物は、俗世の所有欲を削いでいかねば』

 彼女はパチンと指を鳴らし、塔の窓が開いた。

 湖の風が大きく吹き込み、部屋に一陣の風が吹く。

 ショーンがうろたえている間にフランシスは呪文を唱え、テーブルと茶器と椅子ごと、クレイトの満月湖の上へ飛び立った。


『──うわぁあッ!』

『いいかね、アルバとは不健全な欲を絶ち、帝国へ身を捧げ、この湖のように透明で純然無垢な存在でなくてはならん』

 透き通るような青ザクロ色の湖の上空で、フランシスは優雅に茶を啜った。

『さすれば、純粋な精神は磨き抜かれた結晶へと昇華し、待ちのぞんだ花蕊かずいはやがて結実する』

 強い風に煽られ、グラつく椅子に齧りつきながら、ショーンはやっとの思いで返事をした。

『……ボクはぁ!……そんな大層な望みはないのですが!……アルバを目指しても大丈夫ですかあッ……?』

 フランシスはティーカップに口づけ、優しく微笑みながら、ギラリと瞳の奥を光らせた。

『問題ないね。そのうち君も強い願望を持ち、夢を持つことになる——アルバになれば、いずれ——』



 ショーンは塔の7階に到着し、記憶の窓をそっと閉じた。

 階段を上がりきった踊り場にある姿見で、もういちど服装を確認する。

 あちこちの皺を伸ばし、尻尾をローブの中へしまい、ターバンの赤い留め具の位置をいじった。最後に真鍮眼鏡のレンズを磨いて掛けなおし、身支度を完了した。

 おもむろに鏡の反対側を振り向き、彼女の私室のドアノッカーをそっと叩く。真鍮製のドアノッカーは、【星の魔術大綱】の裏表紙に描かれたトネリコの大樹と同一のものだ。

 分厚いドアがゆっくりと開き、神々しくスラリとしたドレスを纏ったフランシスが、以前と同じミニテーブルでお茶を注いでいた。

「ご機嫌よう、ショーン・ターナー」

「お久しぶりでございます」

「おや、すみれのコロンじゃないか、良い趣味をしているな」

 6年前に出会った時と比べ、少し顔に皺を刻んだ彼女がゆったりと微笑んだ。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16816927862809139747

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