4 真鍮眼鏡を貸したまえ

 数分後──

 ショーンとアントンは、町長室内のソファーにちょこんと座っていた。

 対面には大柄の男が優雅に座っている。

 ポマードをタップリ撫で付けた黒の髪。帝都で仕立てた赤紫のスーツにマント。首には真紅のシルクスカーフをたなびかせ、右胸に、帝国調査隊と刻印された白銀メダルが煌めいている。尻尾はマントで見えないが、桃色の短くカールした尻尾をお持ちだ。

 そしてアルバの証、真鍮眼鏡のレンズはツヤツヤ艶めき、左右の眼鏡のツルには、キラキラした宝石の眼鏡チェーンがぶら下がってる。


 彼の名は、クラウディオ・ドンパルダス。桃白豚とうはくとん族。

 オックス州出身のアルバである。

「やあショーン君。お久しぶりだね、何かやらかしたのかい?」

「……僕は何もやってないですよ。疑われてるんですかね」

 ショーンは、彼の隣に立っているラヴァ州警官を横目で見た。顎髭を蓄えた恰幅の良い、いかにも警部といった風貌の男だ。若いアルバに睨まれて、少しムッとして見返している。

 そんなバチバチした様子はどこ吹く風で、クラウディオは白手袋に包まれた右手を、優雅にショーンへ差しだした。

「君の【真鍮眼鏡アイビー・ヴァイン】を貸したまえ」



 ショーンは、己の【真鍮眼鏡】を耳から外して、クラウディオに手渡した。

 彼は自分の四角い眼鏡を外し、代わりにショーンの眼鏡をカチャリとかけた。ショーンの丸い形の眼鏡は、面長の彼にあまり似合ってなかったが、そんな些細な事は意に介さず、ソファーにゆったりとリクライニングし、ショーンの記録を見返していた。

「ふむ。呪文を使用したのは────

 直近の真鍮眼鏡の調整に、香りの消臭呪文 《パフューム・フレイル》!

 それに荷物軽減呪文 《ファルマグド》ですか! 

 ははあ……この先は治療呪文が続いている。火傷の治療だね?

 うむ。一昨日分まで遡りましたが、これだけですね!

 供述とも一致しますし、問題ないでしょう!」


 15分ほどで記録ログの映写が終わり、クラウディオは優雅に眼鏡を返却した。

「そのログとやらはアテになるのかね? その……書き換えとか改竄とかは」

 横にいる恰幅のいい警察官が、念を込めて彼に聞いた。

「ハハハ、笑止。真鍮眼鏡の記録を書き換えるなど! 一流のスーアルバをしても困難ですな、彼の実力では不可能でしょう!」

 大声で笑う様子に、ショーンはムスッとして彼を見つめた。

 クラウディオ・ドンパルダスは、ショーンの母親と同期のアルバだ。

 現在はラヴァ州とオックス州を中心に【帝国調査隊】として活動している。性格は見たとおりで……子供の頃に挨拶した時、父親が『あいつはショーンと同量のマナしかない』と隠れて呟いていたのを思い出す。


「ブーリン警部、貴重なアルバをここに留めておいても仕方ないでしょう! 彼を解放してよろしいのでは?」

「……うーむ」

 なぜか、警部は顔をしかめて渋っていた。何故だろう。クラウディオはうさんくさい風態だが、これでも帝国調査隊の言うことなのに。

「だが、クラウディオ。この部屋は……呪文を使った形跡があるのだろう?」

「えっ?」

「ひええっ⁉︎」

 ショーンではなく、何故かアントンも叫び声をあげた。

(——呪文を使った跡があるだと⁉︎)

「その通りですな! 呪文を使い、窓を開閉した跡がしっかりと!」

 クラウディオは臙脂色のマントを翻し、白手袋で町長室の窓を示した。



 町長室の窓は、部屋の中にひとつだけ。

 窓枠の左側に蝶番が付いていて、右側の取っ手で開閉するタイプの窓だ。

 窓の鍵は、枠のなかに2箇所ある。

 1つ目は右の中央。取っ手の先が鉤針状に曲がっていて、取っ手を90度下に倒すと、鉤針が持ちあがり外れる仕組みだ。

 もう2つ目は右下にあるスライド式。丸い突起がついた10cmほどの鉄棒を90度手前に回すと、窓の桟の溝に落ちて動かなくなる仕組みである。

 一般家庭ならまずまずの防犯効果が見こめるが、豪華な町長室の窓としては、いささか簡素な作りだった。


「この鍵の部分です! 上下ともマナの痕跡が!」

「……2箇所どちらにもマナが残ってるという事ですか」

「左様!」

「これは……ショーン・ターナー君が放った呪文ではないのかね?」

(──そんな訳あるか!)

「少なくとも、真鍮眼鏡の着用中に使った呪文ではないでしょうね。記録には残ってませんから!」

 ショーンは頭を抱えた。

 こんな窓の開閉くらい、アルバの資格を取る以前……つまり【真鍮眼鏡】を掛けてない状態でも、自力でできる程度の呪文だ。

 クラウディオの見立てでは、役場はここの他にマナの痕跡は見当たらなかったそうだ。ただし、ショーンと目があった時に双方使用した時と、調査に使用した分は除く。



「では……『誰が』……町長室の窓に呪文をかけたんだ?」

 ブーリンは額に青筋を浮かべつつ、クラウディオに質問した。

 警察が一番知りたい情報だ。

「それは分かりかねますな! 私が知れるのはマナの痕跡だけですのでね、犯人探しは警察の仕事でしょう!」


 呪文を使用した後、その場で魔力マナを消費する。

 消費した後、マナは数日その場に残る。

 残留したマナは、誰が使用したものかは、分からない。


「では、ショーン・ターナー君が……魔法の眼鏡を…… “掛けず” に、呪文を使用した可能性も、あるのかね?」

「それはモチロン大いにあるでしょう! アルバにとって、赤子にキスするより簡単な呪文ですからねっ!」

 ショーンは髪をさらにグシャグシャにした。猿の尻尾で、ソファーの生地をバンバン叩く。ブーリン警部は青と赤が入り混じった顔色になり、優雅に紅茶を飲むクラウディオを睨みつけていた。アントンは相変わらず毛布をぎゅっと握ってる。

 現在3月8日地曜日、夜8時。

 ショーン・ターナーは、まだ役場から出られそうにない。

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