5 コリン駅長はモフモフ尻尾
「あの金鰐の下衆野郎は! 品位に欠ける!」
ヴィクトルがこんなに激昂している姿は、久々に見た。ショーンは吃驚して息を呑み、ユビキタスは静かに下を向いて笑ってる。
「彼に殴られた役場の人間が、毎週のようにここへやってくるんだぞ、君! 昔から、ずっとだ!」
サウザスは、ユビキタスが町長を務めていた4年の間に、深刻な経済危機に陥った——先代から破綻が見えていた状況下で、ユビキタスは懸命に改革を試みようとしていたが、解決策の見えないまま、短期的にも将来的にも、回復する見込みが全く見えないほど落ちこんだ。
「なんでアイツは警察に捕まらないんだ、何とかならないのかッ!」
ドバン! と激昂したヴィクトルが、書斎の机を両手で叩いた。
なんだかんだで、いつも息子を甘やかす父の背中を、アントンは冷や汗をかきつつ後ろで見ている。
「残念ながら……今の役場に、私の味方になってくれる人間はひとりもいないんだ。ヴィクトル」
ユビキタスは、悲しげにシワを刻んだ首とローブを振った。
元教師は学校に戻り、代わりに新しく町長に就任した元銀行役員、オーガスタス・リッチモンドによって、抜本的な建て直しがはかられた。現町長の介入によってサウザスの金融は大幅に持ち直し、今は右肩上がりに推移している。
「それに彼のおかげで、学校で毎日、お昼にサンドウィッチが出せるようになったんだ。ナッツやフルーツもおまけで付いてる。無料だぞ。東区の子たちも、毎日来てくれるようになった。こんなこと今までなかった。画期的な事なんだ」
ショーンが学校にいた頃は、弁当は、家から持参するものだった。東区の貧民街の子は、毎日持てない子も多く、分けてもらったり食べなかったり、学校へ行かずに働いている子も多かった。
「毎日100人の子供の弁当と引き換えに、毎週ひとりの大人が打撲で痣を作るか。ハッ上等だな、いいだろう!」
苦々しくヴィクトルが深く椅子に腰掛けた。幼少期は毎週のように、誰かの顔に痣を作らせてたアントンは、滝のような汗をハンケチーフで拭いていた。
「アントン、君も役場の人間だろう。大丈夫かい?」
「いえ! ボクは夜勤ですのでぇ! 町長とはあまりお会いしないのでぇっ!」
ユビキタスが心配そうに尋ねたが、アントンは直立不動でキリッと答えた。夜行性の彼は、深夜に役場の警備をしている。ちなみに『酒場ラタ・タッタ』の下宿人マドカも、同職についている。
「……もういいだろう。アントンは帰りなさい。ユビキタス、治療室へ……私は診療を始めるから、ショーンは好きに本を選びたまえ」
「は、ハイ……」
「じゃーねー、校長。父ちゃん」
「ふたりとも気をつけるんだよ」
めいめいに出て行き、ショーンは独りポツンと本棚の前に取り残された。
大量の医学書の背表紙を前に、深い深いため息をついた。
病院を出ると、空が真っ赤になっていた。
本屋に注文書を届け、ラタ・タッタへいよいよ帰る。
「あー、疲れたー……」
酒場の営業はすでに始まっていた。昼間、郵便局へ向かう道はあれだけ遠かったのに、病院からの帰り道は、たった8分で着いてしまった。今日はいかに遠距離を歩いたか実感しつつ、酒場のドアを開けた。
「……マスター! ファンロンの……あれ?」
「ショーン、おかえりー!」
お茶と夕食を注文しようと、バーカウンターに歩いていくと、そこには珍しく紅葉が座っており、ショーンの方を向いて笑った……その傍には、
「ああ、ショーン君か、大きくなったなあ」
紅葉の隣に座る、駅帽を被った老人が、ゆっくりと振り向いた。
牧草色の古びた制服に、栗色のキュートなリスの尻尾。ドワーフのように小柄な体で、顔には立派な茶色の口ひげを蓄えている。
元ラヴァ州鉄道の運転手であり、今のサウザス駅長──
「コリン駅長! どうしたんですか珍しい。ここへは何年ぶりですか?」
「いや、半年ぶりかねえ。すまないね、お酒が飲めたらもっと頻繁に来れるんだが……」
確か、コリン駅長は酒は匂いすら苦手だと聞いている。昔、鉄道運転手だった頃は、わざわざ営業時間外の昼間に、酒場を訪ねてきていた。
「あはは気にしなくていいのに、ショーンなんて毎日ここでお茶飲んでるよ!」
「……余計なこと言うなっ」
ショーンは、荷物軽減呪文 《ファルマグド》が切れた重いズタ袋を引きずりながら、コリンと紅葉が座るカウンターの奥に、よっこらせと座った。
「いや、実はね。あと半月で定年退職なんだよ。その前に君たちに会っておこうと思ってね」
「えっ、そうなんですか。僕ら今日、サウザス駅の近くにいたんですよ」
「そうそう。言ってくれたら、ふたりで挨拶できたのにね」
紅葉の第2の父親といってもいいコリンには、ショーンも昔ずいぶん世話になった。最近はあまり顔を合わせてなかったが、駅に用事があるときは、毎回コリンのいる駅長室へ挨拶しに行っていた。
「——実は定年を迎えたら、クレイト市に夫婦で移るんだ」
「えぇっ、そうなの⁉︎」
「私たち夫婦はもともとクレイト出身でね、故郷に戻ろうという事になった」
ラヴァ州鉄道の駅員は、よその出身者が従事していることも多い。コリンも以前はクレイト市に家を持っていたが、とある事件をきっかけに、サウザスに縁ができて引っ越してきた。
「あんな立派な庭があるのにもったいない……」
ガーデニングが趣味のコリンは、西区の屋敷の中でも、見事な花庭園を造りあげていた。
「ハハ、もうこの歳になると土いじりもキツくてね、今の家は次の駅長へ譲るとするよ」
「……そうですか」
ショーンはもの寂しげな顔を浮かべ、マスターに
「これから会えなくなってしまうけど、最後に、君の太鼓の演奏を見ておきたくてね」
「そんなことないよ。私クレイトまで会いに行くよ! 太鼓も持ってく!」
コリン運転手は、事件以降もたびたび紅葉のところへ通い、7年前に駅長へ昇進が叶った時も、ぜひこのサウザスに、と転勤を願い出てくれた。
ショーンは、コリンの肩にすがる紅葉に、少々疎外感を抱きつつ、甘く熱い杏桃茶を舌の奥にグイッと流した。
「じゃあ、これから太鼓隊だから、見て行ってね!」
紅葉は笑顔で、太鼓の演奏しに、舞台へと駆けていった。
元気に振り回す右腕からは、事件の面影は感じ取れない。
彼女は、10年前、サウザス駅で、吊るされて発見された。
彼女は、10年前、サウザス駅で、
線路上の梁に、吊るされた状態で列車に轢かれた。
その時の列車の運転手が、コリン・ウォーターハウスである。
列車に轢かれ、四肢が割かれ、内臓が潰れ、
かろうじて皮膚が繋がった状態の彼女を、
ショーンの両親が1年近くかけ、
アルバの力で元に戻した。
彼女が、どこから来たのか、
どうして吊るされていたのか、
誰が吊るしたのか、誰も知らない。
コリンが助けた際、わずかに意識があった彼女は、
自分の名前 「
それ以外の苗字も、年齢も、出身も、両親も、民族も、
何ひとつ不明なまま、
再び目覚めた時にすべての記憶を失っていた。
絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16816700427048198577
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます