19-2 「瑠々ちゃん」

 象の滑り台の中は、ひんやりとしていた。二人で向かい合って座る。もう何人か入れるくらいの広さはあったけど、低い天井のせいでなんだか距離が近く感じられる。

 かどくんがボディバッグの中から中身を出すのを見て、わたしもサコッシュの中を見た。取り出したものは二人とも同じだった。

 まだ中身が空っぽの夏休みのカレンダー。それと表紙に「ひみつ日記」と書かれた手帳。


「さっきも少し話したけど、このカレンダーを予定で埋めるゲームなんだ」


 かどくんのいつもより高い声に、わたしは瞬きをした。滑り台のトンネルの低い天井に跳ね返って聞こえる声。トンネルの外の眩しさも蝉の声も遠くて、なんだかここだけ切り取られたみたいな気分だ。


「それで?」

「基本はそれだけ。だけど、予定を入れるのには条件があって、当たり前だけど他の予定が先に入っている日には別の予定は入れられない。キャンセルもできない。それから、これ」


 かどくんは「ひみつ日記」という手帳を開いてみせる。一ページ目の一番上には、「宿題」という文字と、その隣にたくさんの四角が並んでいた。


「これは、宿題の残りページ数。遊んでばっかりだと宿題が終わらないから、宿題をする日も考えて予定を入れないといけない。それと」


 かどくんの指が、宿題の下に動く。そこには「ハート」と書かれていた。そのさらに下に、誰かの名前が並んでいる。

 ケンくん、ナオくん、マイちゃん、ユッコちゃん、そして最後はルルちゃん。

 この「ルルちゃん」というのは、もしかしたら大須だいす瑠々るる──わたしの名前だろうか。


大須だいすさんも確認してみて、ひみつ日記」


 かどくんに言われるまま、手帳を開く。「宿題」とたくさんの四角はかどくんの手帳と同じ。その下に「ハート」と書かれているのも同じ。そのさらに下に名前が並んでいるのも同じだけど、その名前は、マイちゃん、ユッコちゃん、ケンくん、ナオくん、そして最後はヤツフルくん。

 そっと、向かいに座る男の子を見る。かどくん──フルネームだとかど八降やつふるくん。

 顔立ちのせいなのか表情なのかわからないけどちょっと神経質そうな印象があって、いつもの穏やかな雰囲気とは少し違って見える。でも、ちょっとした仕草とか、時々やっぱりかどくんだなって感じる。


「この名前のリストは、一緒に夏休みに遊ぶ人たち。まあ、ゲーム的にはプレイヤーだね。この『ハート』っていうのは、言ってみればプレイヤー同士の好感度なんだ。一緒に遊びに行くと好感度を上げることができる。それで、最後に全員の中で一番好感度が高い人が一番の仲良しで、得点になる」

「好感度。急にゲーム的だね」

「まあ、ゲームだからね。この手帳の内容は、ゲームが始まったら他の人には見せないで隠しておく。宿題がどのくらい進んでるかも、ハートの数も」


 そういえば、さっきもそんな話をしていた気がする。どのイベントに参加するかの判断材料って言っていたけど、それがどういうことなのか、わたしにはまだわからない。

 かどくんは遊んでみたらわかるって言っていたけど。


「あとは、称号って要素もあって」

「称号?」

「そう。称号は、集めた数の掛け算だから、集めれば集めるほど手に入る」

「掛け算」

「称号一つだと一点、二つで四点、三つで九点て感じ」

「五つだと二十五点?」

「集まればね」


 かどくんが、人差し指をぴんと立てる。いつもより小さい手のひらで。


「まとめると、一番大きな点数の要素は『遊びの約束』でイベントに参加すること。これは、イベントの内容で点数が変わる」


 人差し指に加えて、中指も。立てた指を二本にして、かどくんが言葉を続ける。


「二つ目は宿題。宿題は全部で三十ページあって、二十五ページ終わってなかったら一ページにつきマイナス十点。二十六ページ以上終えていたら、超えた分だけ一ページ二点。あと、宿題三十ページ達成したら称号ももらえるよ」

「マイナス十点て、ひょっとしてかなり大きい?」

「大きいね。一日の遊びの約束で手に入る点数って五点とか六点とかが多くて、十点て相当なんだよ」

「そっか、じゃあ宿題もちゃんとやらないとだ」


 わたしの言葉にかどくんは頷いて、すぐに三本目の薬指を立てた。


「次が、さっきも言った称号ボーナス。掛け算のやつだね。これは条件を達成すればもらえる」


 わたしが頷くと、かどくんが小指も立てる。指は四本。


「最後がハートボーナス、好感度だね。例えば」


 かどくんは、自分のひみつ日記の一ページ目を開いて「ケンくん」の文字を指差した。


「一人ずつ、ケンくんについてだったら、ケンくん以外のプレイヤーがケンくんに対して持っているハート──好感度を比べるんだ。それで、ハートの数が一番多い、つまりケンくんへの好感度が一番高い人が十点をもらえる。それを全員分で確かめる」

「好感度って、一緒に遊びに行ったら増えるんだよね?」

「そうなんだけど、必ず増えるわけじゃないよ。イベントによって手に入るハートの数が決まっていて、それで手に入ったハートを一緒に遊びに行った誰かのところに割り振る。だから、一緒に遊びに行ったけど、好感度が増えないってこともある」

「誰にハートを割り振るかは、自分で決めて良いの?」

「そう。ハートの数は秘密だから、他の人の参加状況を見ながら誰に割り振るか考える感じ」

「やっぱりそこもゲームっぽいんだね」


 わたしの言葉に、かどくんは急に口を閉じた。じっとわたしの顔を見る。どうしたのかと首を傾けて見返したら、ふいと顔を逸らしてしまった。

 視線が合わないまま、かどくんが口を開く。


「そうだね、ゲームだから。全部ゲームの話だからね、好感度も仲良しも」


 何か応えようと口を開いたけど、ふいに外から声が聞こえた。


「あ、ルルちゃんとヤツフルくん、もういる!」


 振り向くと、同い年くらい──小学の高学年くらいの女の子がこちらを覗き込んでいた。黒い髪をショートカットにして、明るいオレンジのTシャツと膝丈のジーンズ。知らない子のはずなのに、一目見てこれがユッコちゃんだとわかってしまった。

 それでさっき何を言おうと思っていたのか、みんな吹き飛んでしまったので、わたしにももうわからない。




 二人だと広く感じた象の滑り台のトンネルだけど、六人集まるとさすがに狭い。

 象の滑り台の中にみんなが集まってきて、かどくんはわたしの右隣に場所を移した。隣じゃないとゲームの説明ができないからだと思うけど、狭い中で時々肩がぶつかって、肩の高さがほとんど同じことを妙に意識してしまう。

 ナオくん、ユッコちゃん、マイちゃん、ケンくん、それからかどくんとわたし。みんな自分のカレンダーを広げて目の前に置いて、夏休みの予定を話し合う。

 予定を入れなかった日は、宿題を進められる。宿題がどのくらい進むかは運──サイコロを転がして決めるらしい。出目によって全然進まないかもしれないし、三ページ進むかもしれないけど、一番可能性が高いのは二ページ。

 ただし、水曜日には予定のないみんなが集まって勉強会をする。水曜日はサイコロを振らずに、確実に二ページ進む。ほかに参加者がいれば、ハートも増える。

 宿題は、四週間で二十五ページ進めないといけない。一週間六ページだと足りない計算だ。水曜日ともう一日を宿題の日にしても四ページ、だったらもう一日宿題の日にしたら良いんだろうか。それとも、七日のうち三日も宿題に使うのは多いんだろうか。


「ルルちゃんからだよ、『遊びの約束』」


 日に灼けた顔のケンくんに声をかけられて、わたしは慌ててカードを一枚引いた。

 わたしが引いたカードは『家族旅行(国内)』というものだった。『8点+宿題2ページ+【仲良し家族】』と書いてある。


「この【仲良し家族】っていうのが称号。家族旅行はみんなで行くわけじゃないから、ハートは増えない。ただ、参加すれば八点で、宿題も進むし称号ももらえる」


 わたしが公開したカードを見て、かどくんが解説してくれる。


大須だいすさんは、このイベントの予定を何曜日に入れるか決めて、宣言する。このカードは二日間だから繋がった曜日二つ必要。それで『参加する人ー?』って聞くんだ。せーのでイベントに参加する人は手を挙げる。大須だいすさんも参加したいなら手を挙げないといけない」

「言い出したのに手を挙げないのもありなの?」

「それは構わない。だから誰も参加しないってこともある。あ、でも、最初から自分が参加できない曜日に宣言するのは駄目だよ」


 かどくんに頷いて、わたしは自分のカレンダーを見る。当然、まだ空っぽだ。つまり今は、どの曜日でも宣言できるってことだと思う。


「で、これが『遊びの約束』。プレイヤー順番にこれを繰り返して、みんなのカレンダーが予定で埋まるか、六回目の『遊びの約束』が終わったら、一週間終わりで宿題。そしたら次の一週間が始まる。それを四週間遊んでゲーム終了」

「わかった、と思う」


 わたしは『家族旅行(国内)』のカードを見て考える。この二日間の予定をどうしたら良いだろうか、と考える。

 水曜日は開けたい。そうなると、月曜と火曜日はどうだろうか。それでも週の後半は空いてるわけだから、そこに他の予定も入れられそうだ。

 それに、点数をもらいながら宿題が二ページ進められるのは嬉しい気がする。


大須だいすさん、決まった?」


 顔を覗き込んでくるかどくんに頷くと、向かいに座っていたマイちゃんが急に声を出した。


「ヤツフルくん、ルルちゃんって呼ばないの?」

「え」


 思いがけない声に、わたしとかどくんはふわふわとした髪を三つ編みにした色白のマイちゃんを見て、それから二人で顔を見合わせてしまった。

 かどくんが目を伏せる。その頬が少し赤らんでいるのは、暑いせいだろうか。


「あの、これはゲームで、そうやって名前で呼び合うのも、ゲームだから」

「えっと……わかった」


 なんだか言い訳をするようなかどくんの声に、わたしは頷いた。かどくんは目を伏せたまま、言葉を続ける。


「ともかく、宣言しないと、その……瑠々るるちゃんの番だよ」


 いつもよりも高いかどくんの声。いつもと違う呼ばれ方。いつもより近い肩。

 なんだかわたしもかどくんを見ていられなくなってしまって、落ち着きなく手元のカードに目をやった。





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