8-4 カカドゥ国立公園

 ボノロン自然保護区を出て、休憩スペースのような場所でガイドさんに写真を渡された。

 さっきの『MOUNTマウント WELLINGTONウェリントン』の、あのガラス張りの休憩所のような建物。奥には川と、ホバートの街並み。手前の道路にわたしとかどくんが並んで歩いているのも写っていた。もっと手前には岩。


「これ、カードの絵と同じ構図だ」


 角くんがわたしの手元を覗き込んで、嬉しそうに笑う。


 写真をどうしようかと思ったのだけど、角くんがノートの存在を思い出した。白紙のノート。それから、カラフルなマスキングテープとペンの存在も。

 リュックからそれらを出して、一ページ目に写真と、欠けたチケットをマスキングテープで貼り付ける。ページの空いた場所に、カタカナで「マウント・ウェリントン」と書き込む。

 眺めて、満足する。地名と、数字と、アルファベットと、それから青と黄色のマーク。カラフルで賑やかで楽しそうになったと思う。


 そして、今度は次のチケットを渡された。




 次の六枚の中から選んだのは、『SOUTH AUSTRALIA南オーストラリア州』の『BAROSSAバロッサ VALLEYバレー』。選んだ理由は『コアラ』のマークがあったから。これで『コアラ』が二つ揃って、七点。

 アデレードから行った先、クルランド保護公園という場所で、コアラを抱っこすることができた。わたしの体にしがみついてくるコアラは、想像よりも重い。そして、あたたかい。

 かどくんと交代して、角くんの肩にしがみつくコアラに葉っぱを差し出せば、それをもぐもぐと食べる。角くんは背が高いから、木としても安定していて落ち着いて見てられる。

 もう一つのマークは『ハイキング』で、わたしと角くんはどこまでも広がる葡萄畑の中を散歩した。

 ゲームの中で時間がどうなっているのかわからないけど、夕方だった。ぶどうの木が立ち並ぶ向こうにオレンジ色の夕陽が落ちて、葡萄畑が黄金色こがねいろになる。


「ワインの産地なんだって」


 その黄金色こがねいろの光に照らされながら、角くんがそう教えてくれた。ワイナリーを見学して試飲したりとか、実際の観光だとそういうことができるらしい。わたしと角くんが大人なら、もしかしたらそういうこともあったのかもしれない。

 受け取った写真は、葡萄畑を歩くわたしたち。




 その次は『QUEENSLANDクイーンズランド州』の『THE GREATグレート BARRIERバリア REEFリーフ』。『観光』をして、『野花』の押し花がお土産だ。

 その海の色を見て、本当にエメラルドグリーンだと思った。そして、このゲームの箱の色は、この海の色だったんだと気付いた。泳ぎはしなかったけど、ウミガメを間近で見ることもできた。

 ウミガメの写真を受け取った。


 ゲーム的には、そこまでは割と順調だったと思う。

 けど、その次で、わたしはまた長考することになってしまった。




 かどくんが、地図を広げて見せてくれる。地図の周りの大きな余白には、他のプレイヤーの情報が描き出されていた。

 わたしは、できるだけ『観光』のチケットを集めることにしていたのだけれど、他にも『観光』を集めているプレイヤーがいるみたいだった。被ってしまうと、集めるのが難しくなってしまう。でも、今から他のものを集めても大丈夫かはわからない。

 手元にきた四枚のチケットの中に『観光』を持っているチケットが二つあった。他のチケットは『ブーメラン』と『水泳』だ。そのどちらも、他のプレイヤーはすでに選んでいて、きっと取り合いになってしまう。


「やっぱり、『観光』で頑張ってみる」


 わたしの言葉に角くんは頷いてくれたけれど、その後がまた決まらなかった。

 行き先は『KAKADUカカドゥ NATIONAL国立 PARK公園』か『SYDNEY HARBOURシドニー港』。前者なら『ウォンバット』が見れて、後者なら『エミュー』が見れる。


「ここまで出てきた枚数を考えると、どっちも誰かのスローカードになってるんだよね、多分。どっちも残りは後一枚ずつ。まあ、どっちにしろ揃えばラッキーくらいだね」


 角くんはあれこれと状況を解説してくれるけど、決断するには至らない。決めあぐねて二枚のチケットを交互に睨みつけても、わたしが決めないとゲームは進まない。

 ひょい、と麦わら帽子のツバの向こうに、角くんの顔が覗く。


「角くんは、どっちに行きたいとかある?」

「それは駄目。勘でも見たい動物でも理由はなんでも良いけど、ちゃんと大須だいすさんが選ばなくちゃ」


 わたしはうまく返事をできなくて、角くんの視線から逃げて顔をうつむける。角くんはわたしの前にしゃがみこんで、被っていたキャップのツバを大きく持ち上げて、見上げてきた。


「失敗しても大丈夫だよ。まだ一ラウンド目だし、この先いくらでも取り戻せる」


 わたしの視線は逃げ場を失って、そっと角くんを見た。目が合うと、角くんはにっこりと笑った。


「俺は、どこかに出かけるとか、旅行の計画って楽しいって思う方なんだよね。どんな場所か調べてると、あれも見たいあそこにも行きたいってなって、絶対無理なのに予定詰め込んだりとかしてさ。このゲームの楽しさって、そういうのもあると思うんだ。だから、大須だいすさんが楽しそうって思うところを選んじゃっても良いと思うよ」


 ね、と言って、角くんが首を傾ける。その視線に負けて、わたしは角くんに頷いてみせた。




 結局わたしは、『KAKADUカカドゥ NATIONAL国立 PARK公園』に『ウォンバット』を見にいくことにした。ちゃんとした理由はなくて、『ウォンバット』を見たいって思っただけ。

 それでもかどくんはいつもみたいに微笑んで、「良いと思うよ」と頷いてくれた。

 駐車場で車を降りて、森の小道のようなところを歩いていたらずんぐりとした体の生き物がひょいと現れた。人を警戒する様子もなく、角くんと二人でそっとその体を撫でる。しばらくそうしていたら、急に体を揺すって、それでまたどこかに行ってしまった。


「ずいぶん人に慣れてるみたいだったけど」


 わたしの言葉に、角くんは困ったように眉を寄せた。


「ウォンバットは、本来『NORTHERN TERITORYノーザンテリトリー準州』にはいないらしいよ」

「じゃあ、今の『ウォンバット』はゲームの都合?」

「多分……俺もちょっと調べただけで、詳しいわけじゃないけど。都合よく登場しすぎだし。こんなふうに触れるのも、ゲームだからだろうなって思ってた」

「そっか、こういうところがゲームなんだね」

「それでも、楽しいけどね」


 そんな話をしながらしばらく歩いて──高い崖から落ちる滝の姿が現れると、角くんが感激した声をあげた。


「ジムジム滝だ! これ、カードの絵のアングル!」


 角くんが帽子を脱いで、その大きな崖を見上げる。わたしも麦わら帽子を押さえて、その滝の落ちてくるところを見上げた。水しぶきの音が涼しげに響いている。

 わたしは隣に立つ角くんを見上げた。


「『コアラ』も『ウォンバット』も、この景色も、本物を見てみたいね」


 そう声をかければ、角くんはわたしを見下ろした。何度か瞬きをして、それから帽子を被りなおしてまた滝を見上げる。


「そうだね。いつか」


 滝を見上げたまま、角くんがそう言った。その角くんの表情は、わたしからは見えなかった。




 その次は『THE WHITSUNDAYSホウィットサンデイ諸島』のチケットを選んだ。『THE GREATグレート BARRIERバリア REEFリーフ』の近く、らしい。

 このゲームの移動は、相変わらず距離感も時間感覚もおかしいから、よくわからないけど。

 ハミルトン島というところにあるハミルトン・アイランド・ワイルドライフでカンガルーを間近に見た後に、隣のホウィットサンデイ島に移動する。

 そこから小さな飛行機に乗って、ホワイトヘブンビーチというところを上から眺めることになった。どこまでも青い空と、その色をそのまま映したみたいな海。真っ白い──びっくりするほど白い砂。それから、ヒル海峡と呼ぶらしい──白い砂と青い水が渦を巻いている不思議な景色。

 かどくんと二人で、声もなく窓に貼り付いて見てしまった。




 それから、次は『DAINTREEデインツリー RAINFOREST熱帯雨林』を『ハイキング』した。散歩道から見えるところに当たり前のようにワニがいるのでびっくりしたけど、これももしかしたらゲーム的なサービスなのかもしれない。

 デインツリー・ビレッジで五点の『お土産』を手に入れる。綺麗な模様が描かれたブーメランだった。磨かれて、綺麗な色が塗られて、カンガルーと花が描かれている。

 リュックには入ったものの、大きくて重くて──なるほど、これが五点分の重みか、と思った。




 最後の一枚、キャッチカードになったのは『KING'Sキングス CANYONキャニオン』だ。マークは『水泳』と『コアラ』。その光景を上から見て、こんなに赤い岩ばかりなのに、どこにコアラがいて、どこで泳ぐんだろうかと不思議だった。

 実際に歩いたのはその岩の上じゃなくて、岩と岩に挟まれた谷間の方だった。谷間の底には木々が茂っていて、遊歩道を辿って歩いていくと、岩に囲まれた中にひっそりとした水場があった。ガーデン・オブ・エデンと呼ばれてると、かどくんが教えてくれた。


「え、『水泳』マークって、ひょっとしてここ? 泳いで大丈夫なの?」

「いや、実際はわからないけど……ゲームの中だから大丈夫なのかも?」

「そもそも水着持ってないよね」


 わたしの声に、角くんは何かに気付いたように目を見開いて、それからそっと視線を逸らした。そういえばここまで、いつの間にかその場所にふさわしい服装になっていたんだった。そう思い出して、はっと気付く。

 さっきまで、わたしと角くんは肌をほとんど露出してなかった。渓谷の中を歩きやすいように、山歩きをするような服装だったはずだ。けど今、目の前にいる角くんは、いつの間にかずいぶんと薄着になってないだろうか。

 角くんがいつの間にか履いているハーフパンツのそれは、水着の素材じゃないだろうか。その上に丈の長いパーカーを羽織っているけど、ひょっとしてその下は服を着てないのじゃないだろうか。

 気付けば、自分も足を露出していた。慌ててオーバーサイズのパーカーの裾を引っ張るけど、心許ない。この下はきっと水着だ。


 パーカーを脱ぐ決心はできないし、そもそも本当にこの場所で泳いでしまって良いのかもわからない、いくらゲームと言えど。角くんも、なんとなく気まずそうに視線を逸らしたままだ。

 それで結局、二人で水辺に座ってひんやりとした水で足先だけを濡らして、『水泳』は終わった。このときの『コアラ』のことは正直、覚えていない。





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