第277話・加賀一揆勢の逆襲。


 永禄九年五月 加賀 織田中央軍 滝川一益


「進め!」


 戦場に人盾の悲鳴が濃密に漂っている。それを聞かぬように黙々と楯車と伴に進む兵たちの顔が歪んでいる。再び阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられたのだ。


楯車の幅に合わせて空濠に架けられた木材の上を渡る。楯車二台を繫いだ桟に縛り付けられた老人と女子供が泣いている。二台一組の楯車が十二組、一組に重ねるように縛り付けられた人は十五名。中央軍で百八十名の人盾が出す絶望の悲鳴は心を塞がせるのには十分だ。


楯車四組、その後ろに鉄砲隊百五十、足軽三百、弓隊百五十と続く。後続は槍隊の三百、遊軍三百。それが左右の竪堀を鋏んだ横にもいる。この三列が中央軍だ。鉄砲隊四百五十を含む五千兵。某は一千兵でその中央にいる。


間に三本ほどの竪堀をはさんで、右翼柴田隊・左翼丹羽隊もほぼ同じ配置だ。我らの後には御屋形様率いる本隊四千五百が布陣している。総勢一万八千七百の軍勢だ。瀬戸城五百、鳥越城五百、船岡山城三百兵を残している。


対する一揆勢の総数は解らぬ。三万とも五万とも言うが、八割は碌に槍も持たぬ百姓らだ。数の差はさして問題では無い。だがその中には精強な一隊がいる。鳥越城の鈴木や船岡山の城の若林などは断じて侮れぬ勢力だ。




「第五の空濠に橋を渡せ!」

 足軽が動いて材木が運ばれ二間幅の空濠に楯車に合わせた橋が架けられてゆく。


 砦と同円状五十町おきに掘られた空濠は六本。第四の空濠を渡ると砦まで二町で弓・火縄の射程内になる。だが実際は第三の空濠を渡った辺りからの攻撃になろう。曲輪は高く、敵に利がある。第三からは一気に行かなければならぬ。


「第四の空濠に橋を渡せ!」

「射程内だ。敵の攻撃に留意せよ!」


 柵の上に敵の頭が並んでいるのが見えている。だがまだ攻撃して来ない。敵も我らが近付くのを待っているのだ。


「残りの木材を準備せよ。第三から第一まで一気に行くぞ!」

「火縄、銃撃準備!」

「弓隊も準備しろ!」


 そろそろだな。


「橋を架けよ!」

「おおおおお」と材木を持った足軽が一斉に前に出る。そこに砦からの銃撃・矢!

 忽ち数人の足軽が倒れる。空濠に転がり落ちる者もいる。材木も何本か落下した。次の者がすぐに出て来て橋を架ける・・・一本架かった、二本、三本、もう少しだ。うむ、やっと架かったか、大分やられたな・・・


「楯車出せ!」

 

 楯車の人盾も何人かが鉄砲玉を受けたようだ。だが、楯車が動き始めると攻撃が止んだ。生きた人を楯にするのは酷いがそれなりの効果はあるのだ。ただ人で無く、材木や竹でも間に合う、何故そうしないのだ?

御屋形様は見せしめだと言うが、何に対する見せしめか、土地を奪い民を殺しているのは我らなのに・・・


「駆けろ、グズグズしていると撃たれるぞ!」


 第三の空濠を渡った兵は駈けて第二の空濠に近付く。第二の空濠の先は砦から一町(110m)、指呼の間だ。火縄と矢の攻撃が一気に激しくなった。鉄砲隊は人盾の隙間から銃身を突きだして応射している。

兵たちにとって騒音で人盾の嗚咽が聞こえないのが唯一幸いなことだな・・・


 さらに多数の被害を出して、やっと第二の空濠に橋が架けられた。


「突撃、砦まで一気に行くぞ!!」

「おおおおおー」


 第二の空濠を越えて駆けだした楯車に、遅れじと鉄砲隊・足軽隊が続く。


 が・・・


 足軽が倒れている。

鉄砲隊もだ。

楯車が・・・止まった・・・


「何が起こっている!」


「敵兵です。敵の弓隊が濠から沸き上がっています!!」

「なんだと!」


 空濠に近付いた弓兵がバタバタと転がっている。


 濠から弓隊だと・・・


「第二の空濠は渡れません。濠内から狙い撃ちです!」

「鉄砲隊、全滅!」


「・・・戻せ。一旦退いて態勢を整える!」

「一旦下がれ!!」


 某がいたのは第四の空濠の手前だ。後続から順に第五の橋を渡って下がろうとした。狭い橋を渡らなければならぬ為に、一気に後退出来ないのだ。


「下がるな、前進しろと本陣より伝令!」

「一旦下がって態勢を建て直すと本陣に伝令せよ!」

「はっ!」


「引き返してくる味方を引き入れて、防御態勢を取れ!」

前方から算を乱して後退してくる味方を収容しながら、本陣よりの回答を待つ。鉄砲隊が全滅して、後の足軽と弓隊も相当数を減らしている。

それも右翼左翼も同じ状況のようだ。右翼・左翼ともに後退しつつある。



「何が起こったのだ?」


「どうやら、第二の濠内に大勢の弓兵が待ち受けていたようです!」

「濠内では弓は使えないだろう?」


 幅二間、深さ一軒ほどの狭い濠だ。弓なんぞ使えたものでない。


「短弓です。矢の長さほどの短い弓です」

「なんと・・」


「味方が、後退してきた味方がやられています・・・」

 

 こちらに一目散に後退してくる味方がもんどり打って倒れている。


「敵は何処だ?」

「竪堀です。竪堀を弓兵が迫って来ております!」

「なんだと。竪堀は塞がれていたのでは無かったのか?」

「解りませぬ。とにかく横矢で味方がやられています!」

「横矢の備えをせよ!」



「本隊よりの伝令。出て来た敵により砦の守備兵は減っている。後退せずに突撃しろと!」

「何と・・・」


「いきなり背後で銃撃音がした。本隊からの発砲だ。後退している味方が転がった。右翼・左翼隊に向かっても発砲された。味方が味方によって撃たれている・・・

 その銃撃で戦場が一瞬にして静まりかえったかのようだ。特に右翼隊の動揺が酷い。ひょっとして将が鉄砲玉に当ったか・・・


「馬鹿な、御屋形様は気が狂われたか・・・・・・」


 再び激しい銃撃音。今度は前からだ。


「敵に鉄砲隊の火縄を奪われた模様。それでこちらに向かって来ます!!」


 一気に血の気が失せた。前線に投入された火縄は一千三百五十丁。一揆衆には火縄を扱える者が多い。それで向かってこられたら、楯を失った我らは・・・


「橋を回収せよ。右翼に向かってかけ直せ。直ちに右翼隊と合流せよ!!」

「「はっ!!」」


 空濠に架けた木材を回収して、右方向の竪堀にかけて移動した。幸いな事に竪堀の幅は一間、重ねることも無く渡れる。


「戻れ、砦に突撃しろ!!」

 本隊からの怒号の声と共に、再び銃撃された。もはや御屋形様は狂人だ。


「構うな。駆けろ、渡れ渡れ渡れ!!!」


 柴田隊と合流した。そのまま山の方角に逃げ後退した。背後で凄まじい銃撃が本隊を襲うのが見えた。何本もの竪堀からの銃撃に、碌な楯も持たぬ本隊は蜘蛛の子を散らした様に散り散りとなっている。


 負けだ。織田軍は一揆勢に完璧なほど叩きのめされた。あのままあそこに留まっていれば某も間違い無く骸になっただろう。


 しかし、

 御屋形様に銃撃され命令を無視して逃走した某は、これからどうなる・・・


 いや、織田家はこれからも存続出来るだろうか・・・


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る