第204話・駿府・清水湊。
永禄七年一月 駿河湾 津田照算
大和丸一隻と熊野丸三隻の小回りの効く船団で、野分けが過ぎた昨年初冬から南回り廻船航路の開拓を始めている。熊野丸の船長は、庄司加仁右衛門と岡太郎次郎・関掃部太夫だ。いずれも雑賀衆で経験を積み信頼出来る者達だ。
このあたり一帯は今川・北条・里見・正木などの水軍が火花を散らしている物騒な地域なので、陸戦隊こそ乗せていないが全船が重武装している船だ。
清水湊は今川家のお膝元で大きな街だ。兵糧から道具・紙・布などの日用品から、高価な南蛮物まで幅広い需要がある。
当初、今川水軍が監視に出て来たが、我らが商いをしている様子を見てか手出しは無かった。彼らは関船が三隻に十隻ほどの小早の集団だった、我らの船の方が大きいからかも知れぬ。
この湊に役人に許可を得て熊野屋の支店を開いた。
店の準備が整うまでには暫く日にちが掛る。その間は船上で商いをする。熊野屋が各地で使ったやり方で、船上での商いは珍しく商人や武家がひっきりなしに訪れてくれて格好の宣伝になるのだ。
「これな短い弓で使い物になろうか・・・」
壮年の身分が高そうな武家が大和弓を見て首を捻っている。
「左様、長弓に比べ威力は落ち射程も八分ほどで。利点は何よりも携行が楽なことで御座る。座しても密集しても使えて、背負えば槍に持替えることも山を駆ける事も出来、一度使えば長弓など持てなくなりますぞ。それに何より安価で均一な品で御座る」
某も大将や氏虎どのに負けずに頑張ってみた。
「安価とは一張り幾らだな?」
「弓だけならば、矢十本も付けて一張り二貫文。鉢金・胴丸・刀に矢箱の足軽用揃い品ならば、一組十貫文でござる」
「うむ、刀が付いた足軽用は安価じゃな」
「刀も今までより丈夫な良い品で御座るよ」
「実際に使って見せてくれぬか」
「承知、的を用意して下さるか」
老武家の指示によって的は、半丁(55メートル)先と一丁半(165メートル)先に用意された。実戦を想定した距離である。的は戸板を二枚立てたもので大きくは無い。
「半丁先の的に各自三連射せよ!」
船の内外で多くの者達が眺める中、五名の弓手が一斉に矢を番えて放った。修正しながら二射三射を放つ。的に矢が吸い込まれるのが見える。的横の者が的を確認して大きく手を上げる。敵中である。
「見事じゃ。遠矢はどうじゃ?」
一丁半の遠矢なれば直射は不可能で、大きく上を狙う軌跡を取る。そうなれば風や湿気などから大きな影響を受ける。だが空に放つ攻城矢の練度が高い山中兵は熟練している。
一人がやや高い目標に向けて放つ。カンッという的に当たる音が微かに聞こえる。的横の者が手を上げて足を示す。やや下だったと言うことだ。
「十間上では低かったようだ。十二間上で良かろう」
頷いた兵が一斉に引き絞り放つ。連続して的に当たる音が響く。二射、三射、全くぶれない見事な腕だ。
大きく手を上げて回す的横の者、敵中である。監視員が興奮するほどの大的中なのだろう。
「見事である。短弓の足軽揃い組をあるだけ買おう!」
「有り難う御座いまする。五百組取り揃えてございますが宜しいか?」
「うむ、すぐに武具奉行に命じる。用意して置いてくれ」
「畏まりました。某、津田照算と申します」
「朝比奈泰朝、遠江掛川の城主をしておる」
おう、今川家重臣として名前が轟いている朝比奈殿であったか。 今川家は松平家と三河を巡り激しい戦闘中である。遠江城はその最前線の要と言える城だ。
「残念ながら火縄までは手が出ぬが、今後とも良い物を入れて呉れい」
「毎度、おおきに」
ここでは仕入れるよりも殆どが売り商いだ。買うのは水産品・日持ちする干物類だ。山中国は紀伊・大和・近江と内陸部が多いので海の物は良く売れる。以前と比べて民が豊かになっている分、購買力も増えているのだ。
両替も限定的に始めた。金は金貨へ、銀は銀貨へ、銅銭は銅貨への両替だが商家限定とした。民や武家も含めると収拾が付かなくなる恐れがあるためだ。
「悪銭が多いですな、見るからに薄い銭が混じっています」
「・・・ふむ、ならば見て分かる悪銭が混じっていれば、両替率を落とすのだ。さすれば自然に悪銭は減るだろう」
「畏まりました。さように取りはからいまする」
悪銭が含まれていれば両替せぬ。という選択も取れぬ事は無いが、鋳銭司としては硬貨を広めたい気持ちがあるからな。それならば両替率を落とす事で相手が両替せぬ方が良いと判断すれば良いのだ。
通常でも銅銭一千枚で銅貨八枚(八百銭)と交換なので二百銭も損をするのだ。それを悪銭の数を見て銅貨七枚、六枚と下げてゆく。相手にとっては大幅な損だがそれでも両替を頼む者は多かった。
黒い汚れた銅銭の固まりがしっかりとした造りの新品銅貨に変わる誘惑には勝てぬのだろう。その気持ちは某にも良く分かる。
悪銭を見て両替率を下げられる事が伝わると、次の日からは両替に持ち込む悪銭は急激に減っていった。商家の方で悪銭を抜く作業を事前に行なっているのだ。
そんなこんなで十日もすると積んできた品物が底をつき始めた。代わりに船は干物、銅銭や金銀などで埋まっていった。ここらで一旦帰る必要がある。
だがまず次の風待ち湊の下田湊に向かう事にした。ここには熊野屋の番頭と手代らと奉公人合わせて二十名程が残った。この手代と奉公人の殆どが三雲殿の配下の者だ。
更に熊野屋の行商人として五十名が降り、その中には三雲殿もいる。彼らはここを拠点に駿府・遠江・三河・甲斐・信濃を行商しながら情報を集める任務だ。
三雲殿は、自ら望んで新天地での働きを志願してきたのだ。それで大将は駿府での活動を命じた。七十名を選抜して、領内各所で厳しい調練を受け、更に日置湊で船にも商いにも慣れた者達だ。拠点用の改造小早を大和丸から二隻降ろした。
白い雪化粧した圧倒的な大きさの富士のお山を後に遠ざかって行く。左手の対岸には北条水軍の重須湊があるが、船が出てくる気配は無い。今は甲相駿同盟で駿河湾の平和が保たれている状態だ。
伊豆半島の突端・下田湊ここは以前に蝦夷廻りで寄った湊だが、今回は緊張した気配が漂っていた。臨戦態勢の軍船が集っているのだ。
今回は北条国との商いで来たので下船して、挨拶の品を持ち下田城に伺う。
「紀伊の熊野屋で御座います。此度は御家との初めての商いを神奈川湊で致したいと思い、まずは御挨拶に伺いました」
「おお、其方らが紀伊の商人か、清水湊での評判はここまで伝わっておるぞ。神奈川湊か・・・実はな、武蔵から上総にかけては里見との戦の最中なのだ」
献上した酒三樽に、清水という城主は丁寧に接してくれた。
だが、戦の最中か、どうすべきか・・・・・・。
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