第174話・東近江・五僧街道。


永禄六年六月 鈴鹿山中


羽津湊(四日市)で船を下りて、桑名を視察してから北上して、北勢・朝明村(あさけむら)から山間に入った。そこから近江に通じる千種街道に入る。根の平峠を越え鈴鹿山中に分け入り、近江蒲生領・高津畑の近くまで歩いてみた。街道沿いには四つもの新たな集落が出来ていて、道も広く整備されて通行する者が絶えない賑やかな往還になっていた。


「集落に蒲生家からの干渉はあったのか?」

「役人が来て確かめておりましたが、袖の下を渡すと問題なく過ぎました」


 案内役は特務隊の檜助だ。蒲生や六角領からも鉱夫や炭焼に人が来ているし、食料や生活必需品を運ぶ者も頻繁に来ている。役人が調べに来るのは当然だが、税を取れぬとみて放置したのだろう。

ちなみに説明しておくと、南近江は各国人が分割統治していてその盟主が六角家と言う事だ。この時代の殆どの国がそうで、守護といえども国人衆の顔色を見ながら国を治めていて、中央が強力な力を持つワンマン国というのはあまり無い。


千種街道を引き返して杉峠を越えた所の集落で一泊して、根の平峠に戻りそこから稜線伝いに北上した。伴は杉吉と配下の者四名と檜助だ、四ヶ月も船に乗ってなまっていた体を戻すために杉吉らも山に入る事を望んだ。


 この一帯・実は現代に何度も歩き慣れ親しんだ道だ。崩落して変わった地形も多いが、驚く程そのままの地形もある。俺は記憶の中のあの時代との差を密かに楽しみながらの山歩きだ。こうして山にいるととても戦国の世だとは思えず、まるで時代を超えた夢を見ているのようだった。


 鈴鹿山脈を抜ける最北端の五僧街道まで来たのは山を歩いて二日目だ。もう山道を疾走できるほど体は軽く船旅の衰えは消えていた。

 五僧街道とは、北勢の時山から近江の彦根に抜ける街道で、桑名や尾張から彦根・敦賀に抜けるのに利便が良い。一帯は台地状の地形で、標高差百二十尺(約400メートル)程の登り下りがあるが、関所が多く常に紛争中の中仙道を避けて通行する者も多い。特に暑い時期は高地の涼しさが人気で、逆に雪が降ると通行が困難となる街道だ。



 五僧街道を西に向かい、谷底の様な地形をつづら折りに登ると、平野と錯覚するような広大な台地状の地形が広がっている。台地の東端にあるのがこの辺り最大の集落・保月村だ。


村の入り口に六郎太と龍神甚左衛門が数人の男達と共に出迎えてくれていた。


「殿、お待ちしておりました」

「六郎太、甚左衛門、出迎えご苦労」


「はい。殿の元気なお姿を拝見して六郎太、感激しておりまする」

「殿、こちらは保月村の村長・次右衞門様とこの辺り十三ヵ村を治めておられる川原殿でござりまする」


「次右衞門でごぜえす」

「川原治左ヱ門で御座います」


「山中勇三郎だ。こたびは我らに合力して頂き感謝しておる」

「いえ、山中様。ここに到って某、合力では無く山中家に臣従致したく。どうか宜しくお願い仕る」

と、川原治左ヱ門は地面に膝を着いて頭を下げた。


 南近江で六角と浅井の境界に位置する山間の領主・川原殿が山中家に協力してくれると聞いていた。それが臣従したいと心変わりした様だ。

六郎太は予測していなかったとみえて困惑しているが、甚左衛門はさもあらんと言った顔をしている。


 川原を説得したのは、甚左衛門だ。若い六郎太より年配の甚左衛門の年の功と言うところだ。六郎太と甚左衛門の老若コンビは上手く言っているようだ。お互いの不足しているところを捕捉し合っているようだ。


「分かった。受け入れよう。まずは頭を上げられよ、歩きながら話そう」

「はっ」



「我らその昔は京極家の陪臣でありましたが、家臣団の醜い争いに加わらず山に引きこもり細々と暮らして参りました・・・・・・・・・・・・」

細々と暮らしてきた川原らは、浅井が六角を破ったのを聞いて時代の流れを知り揺れていたのだ。そこへ我らが来て覚悟を決めたと言うことだ。


「十三ヵ村は山間の傾斜地が殆どでやす。ここ保月と杉村は広く平坦ですが、地目が悪く作物があまり育ちませぬ。それ故に侵略の憂き目にも遭わなかった貧しい土地でごぜえやす」


 村の主な産物は薪や木材で薬草も少し取れる。保月では旅籠業は盛んだが、それでも働き手の殆どは出稼ぎに平野に降りるのだという。南の鈴鹿山中の村々が活況なのを聞いて山中家に何とか手助けをして欲しいと考えたのだ。

 まあ産物などは内政の担当に丸投げだな。十津川でやって来た事など参考になろう。通行人の多い街道があるのは強みだ。


「川原、兵はどのくらいいる?」

「武士身分が五名と足軽十五名で御座る。戦となれば民兵三十名は集められ申す」


 通常兵二十名、戦時には五十名かまあまあの戦力だな。それにしても十三ヵ村あっても米が殆ど取れぬで、石高では言い表せないほどなのだ。俺の出発地の大和東山六村三百石が豊かな領地に思えるな・・・・・・


「城は?」

「城跡は幾つかあり申すが、今は男鬼城のみで御座る」


 男鬼(おおり)村にある山城か、うん、知っているぞ、現代に行った事がある。山間にあるのになかなかの城で、長い事人知れずの謎の城と有名になった。


 その日は村長・次右衞門殿の屋敷に世話になり、翌朝馬で街道沿いに台地の端まで行く。近江の海や下界の平野が一望出来る場所で、湖から吹き上がってくる風が気持ち良い。但しそこから先は、急傾斜の絶壁で、街道は尾根を曲がりくねって平野に降りる。

 台地の突端が多賀大社のご神木がある阿弥陀峰でそこにあるのが桃原城跡だ。


「まずは街道を整備しよう。普請に慣れた兵二百を寄越す。川原、ここに簡単な小屋と蔵を作ってくれぬか」

「畏まりました」


「次右衞門どの、村の者を集めて飯の支度を頼めるか?」

「お任せ下され」


「兵糧は我らが持ってくる。手伝った村の者や兵に飯も食わすし、給金も出す。多めに人を集めてくれ」

「「はっ」」



「川原、佐和山城は今、六角方だな」

「はっ、永禄三年の野良田の戦いの折には浅井方に、翌年には再び六角方になり申した。今の城主は池田景勝で、彼の者はなかなかの戦上手でござる。兵五百で守っておりまするが、浅井方の磯野員昌が執拗に仕掛けており、防御力が低下して予断を許さぬ状況です」


「やはり、佐和山城は手強い城なのだな・・・・・・」

「はい。見掛けに惑わされて力攻めすれば、甚大な被害が出ます」


 佐和山の地は、まさに要衝だ。今まで散々に攻防を繰り返してきた歴史がある。故に城の弱点は徹底的に洗い出されて対応済みだということだ。



「・・・殿、佐和山城を攻めまするのか・・・」

「川原、家中が反目し合っている六角家は、そのうちに大乱が起こるだろう。天下の隘路である近江が乱れると我らも影響を受け畿内は荒れる。特に今は京を治める三好家中にも当主が病で先行き不安がある。故にその時には、山中は六角を追い出して近江を鎮圧する。この事を念頭に我らは動いていることを覚えておいてくれ」


「・・・・・・承りました」




「・・・やはり、なかなかの城だな」

「左様で、正攻法では厳しい城ですな・・・」


 杉吉と佐和山城下をぐるりと廻ってきて、今は佐和山を一望出来る山上にいる。ここで甚左衛門も合流してきた。

佐和山は低い丘陵地帯の一つの山頂だ。それ程の高さも無く、断崖絶壁というのでも無い。一見すれば攻め易き城に見えるだろう。だがそこは度重なる戦で鍛え抜かれた防御構造が待ち構えていて、力攻めすれば大きな被害を出すのは間違いが無い。


「ならば攻めるのを辞めよう」

「ほう、どうされる?」


「佐和山を取るのは、北の浅井の干渉を阻むためだ。ならば、佐和山の北に新たな城を築けば良い」

「ふむ、なれば山中流の城を、好き勝手に築けますな」


 火矢などで焼き払えば佐和山城といえどもすぐに落ちるだろう。だがそれでは後の手当てが大変だ。民である城兵を無差別に焼き殺すのには気が咎める(何度かやったが・・・・・・)

 それに敵前で陣城を作るのは、山中隊の十八番である。調練も道具も万全であり、皆がみな張り切ってやるだろう。


「川原、周辺の山城の趨勢は?」

「はい、矢倉川東の菖蒲嶽城は六角方二百。その東の鎌刃城は三百、番場城百、太尾山城百五十に、少し北に位置する地頭山城百はいずれも浅井方でございまする」


「まったく狭い地域に城塞ばかりだな。我らは山間の小城は無視だ」

「浅井が動けば、それらの城兵も動きますな」


 山城から出て来れば叩く。だが敢えて人員を割いて山間の城塞を取りに行くことはしない。来ないのならば放っておけば良いのだ。


「甚左衛門、浅井家中はどんな様子だな?」

「はい、今井・磯野・垣見・高野瀬など新しく加わった国人衆を中心に士気は高いです。皆、虎視眈々と南を狙っておるようで、常に戦の準備をしております」


 ふむ、家中分裂で士気低迷の六角家とはえらい違いだな。


「甚左衛門、六角家に事が起こった時、浅井がそれを知るのを少し遅らせろ。一日二日で良いのだ、六郎太や川原の手を借りるのだ」

「承知!」


 その一日二日の内に、我らが陣城を構築して浅井を止める。それが出来れば別働隊の任務の半分は達成だ。


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