第147話・織田主従、紀湊に驚く。


泉屋が山中家から許可を貰ったのが翌日の昼だ。南都まで往復したにしては速い対応だ。紀湊には既に連絡済みと言う。


 翌朝早朝に堺を発った我らは、その日のうちに紀湊に行くべく足を進めていた。泉佐野で宿をとり泉鳥取から山の中に入って行く。一刻半ほど歩いて峠に達する。そこからはつま先下りの下り坂だ、田畑や森や家が並ぶ遙か先に紀ノ川が流れているのが見える。対岸はやや急に立ち上がり山々が衝立の様に並んでいる。


「こりゃあ、まあ、良い所だぎゃな・・」


 紀ノ川流域は、見るからに豊かな土地だ。それが遥か上流まで続いている。高野山や根来寺が強大な力を持ったのも分かる。その力を今は山中が受け継いでいるのだ。


「信長様、あ・あれを!」

「おう!」


 下流に目を転じれば、そこに湊と街があった。まだ普請中だと分かるそれは端の見えない程の規模であった。湊には南蛮船と思える船を始め数十隻が停泊している。その先の高台に白壁に囲まれた建物群が見える。それが山中の新しい城・栗栖城だろう。

 大きい、峠のここから見るとその大きさが際立っている。


「これが紀湊か、山中の海の拠点の・・」

「おったまげただ・・」


「ドゴーーン」と腹に響く音がした。立ち上がった煙からこの道を降りた所あたりだと分かる。


「大砲でっか?」

「そのようだな」


 紀ノ川に向かって緩やかな下り坂を下る儂の心は冴えなかった。百丁の火縄を揃えるという覇気があったが、ここに来て逆におのれの小ささを知らしめられたのだ。山中は既に大砲の開発をしているのだ。火縄など売るほど持っているのだ。


(かなわぬ・・)


 紀ノ川に掛けられた大橋を渡ると、一番手前の山際が大砲の試射を行なっている所だが、厳重に立て巡らせた塀によって見る事は叶わなかった。


「まっこと、広いのう・・」

「どこまでも真っ直ぐじゃ・・」


 辺鄙な紀伊に行かなくとも良いと言った藤吉郎ら伴の者が、驚嘆の声を上げている。

広い道が真っ直ぐ河口に向けて続き、その北一帯が南蛮船の浮かぶ大きな入り江だ。山中は巨大なこの入り湊を人力で僅かの間に作ったらしい。どれ程の人夫と銭が動いたのだろう。想像もつかぬ・・



「織田上総介様、こちらへどうぞ」


 銀座は栗栖城の大手門の並びにあった。暖簾を潜るとすぐに別室に通され、あっさりと両替をしてくれた。


「我らは尾張の者じゃぞ。山中硬貨は領外持ち出し禁止なのでは無いのか?」


 あまりにあっさりと両替して呉れたで、つい嫌味が出たのだ。


「左様で御座いまする。その場合には、おそらく関所で没収されると・」

「なんだと、そんな話は聞いてないだぎゃぁ!!」

「・・」


「これ番頭さん、てんごうが過ぎまする」と奥から声が掛かって、主らしき恰幅の良い男が出て来た。


「上総介様、つい先頃山中銭を貨幣として認めると帝からお墨付きを頂きましたので、大手を振って尾張にお持ち下さいますように」


「で・あるか・・」




永禄五年二月


 熊野丸二号船、三号船が竣工した。紀湊で大砲を設置して、一号船と共に訓練航海に出ている。十二門の大砲のうち半数は火砲工房で作った青銅製のコピー品だ。試験運用だが取りあえずは実用になると判断されたのだ。


 火砲工房は琉球から来た鋳職の林さんの知識を取り入れて新しい大型炉を建造中だ。この炉が完成すると新しい大砲が作れる。後装式大和砲だ。

 大和砲は口径を上げずに、熊野砲と同じ三寸三分(10cm)で統一して作る。口径を上げないメリットは小型化軽量化だ。砲弾の形状と堅さで長射程と破壊力を得る方向だ。


口径を上げれば重い砲弾で大きい破壊力を得られるが、火薬も大量に必要で爆発力も大きく、分厚く頑丈にしなければならず当然重量も大きくなる。確実に一門数トンもの重さになるのだ。重量物を積める船と言えども、大きな負担だ。金属素材も沢山必要になる。

うちの船は、軍船では無くあくまで武装した商船なのだ。出来るだけ重量装備は避けたいのだ。

 


 今年の南蛮交易組は、一号船船長は津田照算、二号船・周参見氏長、三号船・渡辺藤左衛門。雑賀衆と熊野衆の交易チーム三百名だ。今年の交易はこの三隻で行なう。

交易は年一回、春先から初夏までの野分けが来にくい時期に行なう。熊野丸で揃った船団ならば風次第では相当に速い廻船が出来るだろう。


 さらにふた月ほど後には三隻の熊野丸が竣工の予定だ。そして大和丸の一号船が竣工する。火砲工房はそれに積み込む大砲の生産と開発に大忙しだ。

 紀湊の火砲工房、熊野城の造船所と共に日置では乗組員の調練がたけなわだ。

 大和丸の百六十名、熊野丸三隻で三百名あわせて五百名ほどの乗員がすぐに必要になる。


 それだけでは無い。各地に送る商人と護衛兵・忍び衆、それにプラスして橿原では、二千名規模の派遣部隊の編成を進めている。

橿原に入れた将は、玉置図書介・竜玄・曽根弾正・日置の並木勝俊・矢田千次郎の兵長たちだ。ちなみに武術馬鹿の松山右近は五條に配置換えをした。藤内の元で張り切って熱血指導者を務めているようだ。


ああ、お銀の娘・久美が藤内の子を授かったようだ。めでたし!

藤内の旗本ら(元柳生河原衆)も次々と妻を貰って子をなしていると聞いた。


「義兄上、御内書が来ました」

「おう、寿三郎か。公方様はなんと書かれている?」


 博多は今、焼き野原だと佐々木に聞いたのだ。二年ほど前に大友に叛旗を翻した筑紫維惟門(つくしこれかど)が焼き払い毛利に逃げたままの状況らしい。住民の殆どが肥後に逃げてほぼ無人の荒れ地になっていると。


 そこで博多を復興したい。義兄上(山中)にも要請するが、至近の高橋氏と風待ち湊に使う伊予河野氏にも助力を得たい。上様からそのように要請して貰えないかと、南蛮の貴重な壺に山中銭十貫文を付けて願ったのだ。


荒れ果てた地を復興するのには巨額の銭と無数の人手が掛かるが、九州の南北に拠点を欲しかった俺には、一から街作りが出来るのは好都合だ。


「博多の復興を成すとは殊勝であると。高橋・河野はもとより大友・毛利にも協力せよと申し伝えると。復興が成った後は余も見に行きたいと書かれています」

「阿呆か・・」


 高橋と河野だけで良いのだ。激しく激突している毛利と大友が、仲良く協力するものか!

 復興が成った後で見に行くだと、書を出しただけで自分が作ったなどと言わないだろうな・・まさか状況が悪化したら博多に逃げ込めると考えているのでは無いだろうな、無力で厄介な公方様なぞ邪魔でしか無いぞ。


 泥で作った船でも与えるか・・・

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