第111話・雑賀三郷の思惑。
紀ノ川の南岸を軍勢が長い列を組んで進む。それに無数の荷駄が続く。兵より荷駄が多いくらいだ。荷駄は五條の職人村で大量に作っている。次第に改良を重ねて軽く丈夫に出来ている。
軍列はゆっくりと進み、それが通過するのは一刻もの時間が掛かる。敢えてゆっくり進むのは、周辺の国人衆に見せる、つまり威圧するためだ。「山中には臣従するか戦うかしかない」という噂を広く流してある。
街道の南に聳える山々には、国人衆の城塞が絶え間なく並んでいる。九度山から河口までの七里の間に十を越える城塞があるのだ。
先頭を山中軍大隊長・北村新介の率いる部隊が進み、長い隊列の最後尾を警護するのは小隊長・嶋清興の隊だ。荷駄隊の間にも小隊が進軍して襲撃に備えている。荷駄隊を入れると三万を越える大軍だ。
それだけでは無い。
中隊長・梅谷珊之丞が率いる一千が、九度山から南岸を制圧しながら上流から下流へと進軍している。北岸は松山右近隊一千が、五條から西進している。
さらに軍列が河口の栗栖荘に着けば、小寺隊一千が北岸を東に向かい、新介が三千を率いて南岸を攻略する予定だ。
そう、紀ノ川流域は地頭らが荘園を差し出しても終わらせない。山中に臣従しなければ踏み潰す。この機会に豊かな紀ノ川流域を一気に山中領とする。
検地と言う名の実質は制圧戦だ。
久し振りに実戦に望む松山右近の張り切りようは、ただ事では無かったぞ。曖昧な態度を取った国人衆の末路が見えるようだ。新野が付いているので右近の遣り過ぎは止めるだろう。
まあ、ちょっとは仕方がない。平和な吉野で武闘馬鹿の右近のストレスは溜まっているのだ。
街道沿いには、軍列を眺める呆けたような見物人の顔が並ぶ。山間からみている侍の姿は見えるが、まだ武装して軍列を止めようとする国人衆は現われていない。
農民A:「いってい何が起こっただ・」
農民B:[ひょっとして、鎌倉幕府の大軍が又来たんかぇ?」
農民C:「阿呆、あれは大昔のことだんべょ」
農民B:「だってよ。楠木が復活したっておら聞いたぞなもし」
農民A:「そりゃあ、おらも聞いた」
農民C:「おらも聞いたが、それとこれは関係無えっぺょ」
農民A:「じゃあ何事だ?」
農民C:「あれだよ。ほら、地頭らが目の色を変えて走り回っていただろ」
農民B:「おお、あれか。って事はこれ、山中様の兵だか」
農民C:「それに決まってら、こんな大軍、他に出せる国人はいるめえょ」
農民A:「守護様はどうだべ?」
農民C:「守護様は河内から逃げ帰ってきて、和佐山に籠もっているというだょ」
農民B:「仮にも守護様だ、一声掛ければ熊野から大勢の兵が駆け付けるベ」
農民C:「阿呆だなおめえは、熊野の者はみんな山中様に臣従したぞ」
農民A:「おらも聞いた。女神様が熊野の悪たれ国人の首を飛ばしたとな」
農民B:「だっども女神様が降臨したちゅうのは、おら知らねえぞ」
農民A:「いやいや、守護様に味方する者は少ねえって話だよ」
農民C:「山中様が悪たれ地頭を懲らしめるための軍だろうってことよ」
農民B:「ふうん・・なんにせよ、欲深い地頭の首が飛ぶなら歓迎だぁ」
農民C:「悪たれ地頭の奴らめも、今日で年貢の納め時って訳かょ」
農民A:「おめえ、上手く言っただなぁ。もう年貢終わったけどな」
農民C:「・・」
農民B:「・・・」
農民A:「・さあ、帰って筵でも編むか」
雑賀宮郷・太田城、津田算正
「太田殿、山中に降る決心がつきませぬか?」
「惣国を離れる事は構わぬが、所領を失うのは・・」
「我が津田家など父も従兄弟もとっとと山中に降れと、うるさいくらいじゃったぞ」
「算長様や照算殿も・・」
「おお、儂も悩んだが臣従してすっきりと致した。領地は山中が発展をさせてくれるのじゃ。民も大喜びじゃ」
「民が山中の統治を望んでいるのは知っております・・」
「ならば何を悩まれる。このままでは民が山中領に逃げて行きますぞ。実際に各地でそういう事が起こっていると聞いておる」
「・・分かり申した。某は山中様に臣従致します」
「おお、良く決心してくれたな。ならば我らは朋輩じゃ。宜しく頼む」
「こちらこそ、ご指導願いたく」
やれやれ、やっと太田が折れてくれたか。これで中郷・南郷の説得も楽になろう。津田家と三郷とは長い間、良き隣人だったのだ。攻め滅ぼすのは気が重いわ。
威勢を誇る雑賀衆といえども、今の山中様に抗うと壊滅する。それを分かって欲しいものだ。
「山中様、お待ちしておりました」
「おお、照算どの、出迎え忝い」
西進して来た軍勢が津田家の吐前城の前まで来た。そこには津田家の兵が整列して迎えてくれた。ここで小寺隊と新介隊が分かれて、決められていた方向に向かった。
残りはさらに進んだ雑賀惣国手前で、岩橋荘・栗栖荘という地で止まる。ここは山中の勢力圏内では最も紀ノ湊に近く、土地が高く水害に強い。北紀の拠点城に選んだのがこの地だ。
花山・大日山と言う小山が南北に並び、二つの山を切り崩して平らにして、広い拠点を作る。兵五千・最大で二万程が駐屯して、紀ノ川を掘り下げて水軍と商船を乗り入れる予定だ。
ここの普請にあたるのは三千の兵だ。それを率いる将は山田川・市坂・田原ら築城や普請が得意とする将に、二見光堅・野原頼早・島野安兵衛らの五條の若手らを補佐させる。何事も経験が肝要だ。普請する人手は臣従して来た新兵ですぐに増えるだろう。
俺は、護衛隊ら五千を率いて栗栖荘の普請場付近に陣を敷いた。紀ノ川流域の制圧戦の遊軍と雑賀郷への牽制のためだ。
「殿、宮郷の太田殿で御座ります」
「山中様、太田定久で御座ります。宮郷は山中様に臣従致します」
「おお。太田どの、真に忝い。多くの兵が怪我せずに済んだわ」
算正どのが太田を連れて良い知らせを届けてくれた。俺は思わず、太田の骨太い手を握って感謝したぞ。この太田が籠もる太田城だけでも、かの秀吉の大軍を寄せ付けぬほどの力があったのだ。そして壊滅するまで抗った。手強い者たちだ。
「殿、太田殿の働きにて、中郷・南郷の殆どが臣従しましたが、一部の者らが頑強に反対して、中郷・土橋城に立て籠もりました」
「山中様、申し訳ありませぬ。某の力が及びませなんだ・・」
「土橋城か、近いな。どのくらいの勢力だな?」
「兵六百、うち火縄三百ほどです。幸いな事に民はいち早く逃げて民兵は少なめで御座います」
中郷の半分ほどの領地を持つ土橋で、民兵少なめでも六百兵・火縄三百もあるのだ。とにかく雑賀惣国はとんでもない厄介な勢力なのだ。
「太田どの、土橋を攻めるが良いか」
「はっ、某が手勢を率いて攻め落としまする」
「それには及ばぬ。土橋城は山中隊で落とす。太田どのは普請の世話をして欲しい」
「はっ、忝し・・」
太田にとって土橋は今までの隣人だったのだ。色々思う事があろう。我らが攻める事を承知して貰えばそれで良い。
「清興、兵二千を率いて土橋城を燃やせ。山の上の守護様がちょっかい出してくるかも知れぬぞ。気を付けよ」
「承知!」
攻めよでなくて、燃やせと言った。それで通じるだろう。土橋には見せしめになって貰う。
実はこの地は畠山のいる和佐山城のお膝元なのだ。普請中の大日山の尾根を進めば和佐山に到達する。距離は一里も無い。当然、土橋城とも近いわけだ。
お膝元を好きにされて、今頃、畠山は地団駄踏んで悔しがっているだろうな・・
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